深夜と、出来事と。

雲条翔

第1話 深夜と、出来事と。

 かつて、地球には昼と夜があった。

 誰もが、朝日と夕日を眺める権利を、当たり前のように有していた。


 それも昔の話。


 大規模隕石の衝突により地軸が傾き、太陽の光は、地球の半分にしか当たらなくなってしまった。

 常に昼のエリア「ヌーン」と、常に夜のエリア「ナイト」に別れ、日照権を巡って各国間で戦争が勃発。

 

 やがて戦争が終結し、瓦礫まみれの荒廃した地上で、わずかな人々が逞しく生きている時代……。


 十代半ばの少女・ミヤは、雨が好きだった。風が好きだった。


 風雨のあとは、地表に染みついた火薬と血の匂いが流され、空気が澄み渡るような気がするからだ。


 肩から下げたボロ布の鞄に、固いパンと缶詰、そして瓶詰の水を詰めて、空を眺める。

 24時間沈むことのない太陽が輝き、雨のあとの美しい虹が浮かんでいた。


「虹を見ると幸運だ、って昔の人は言ったんだっけ」


 ミヤは、そんなことを言いながら、自分で修理したモーターサイクルのエンジンをふかし、動くことを確認する。

 ぶすぶすと黒い煙を上げて、ご機嫌斜めだったが、なんとか煙は止まって、けたたましい駆動音を鳴らし始めた。


 モーターサイクルにまたがり、お尻の下に振動を感じながら、走り出した。


 昔、地上には、高い建物や、大きな木があった、と聞いたことがある。

 地表が盛り上がっている場所は、「山」と呼ばれたんだとか。

 ミヤは、「山」を知らない世代だ。


 戦争で使われた爆弾が、すべてを壊したのだそうだ。


 流れる風景は、どこまでも遮蔽物がない、だだっ広い荒野。

 地平線以外の光景を、ミヤは知らない。

 

 建物や車などの残骸が、今もあちこちに残っている。

 多くのものは、炭と化した燃えカスになっていたが、その中でもまだ無事で、使えそうなものを拾って、直すのが、ミヤは得意だった。

 乗っているモーターサイクルも、自分で見つけて、動かせるようにしたのだ。


 ミヤは、このモーターサイクルに「チルホ」と名前をつけて、丁寧に扱っていた。


 風を受けながら、「チルホ」を走らせる。

 視界に動く人はいない。

 動かず、放置されている人なら、あちこちに見かける。

 ハエがたかって、次第にグズグズに形を失っていく。

 ミヤは、そういった「元・人だったもの」を見ないことにしている。


 やがて、地面に立っている、一本の旗を見つける。


 配給所でもらった食料品を、この目印に届けるのが、ミヤの日課だった。


 「チルホ」を止めて、旗の根本を何度か蹴りつける。


「おにいちゃん! デライジおにいちゃん、持ってきたよ!」


 すると、砂まみれになったフタが、ぱかっと開いた。

 生きている人間は、地下に住んでいるのだ。

 

「昼寝の時間だったのに、起こしやがって……」


 無精ヒゲの青年・デライジが、眠そうな目で穴から顔を出した。

 おにいちゃんと呼ばれたが、特にミヤと血縁関係はない。

 兄のように慕われ、兄妹のように懐かれている、それだけのことだ。


「昼寝って概念は時代遅れだって、みんな言ってるでしょ、ヌーンエリアに夜は来ないんだから、もう……デライジおにいちゃん、寝てばかりだね」

「昔の人は、ロウドウというのがあったらしいが、今は、何もすることないからな。寝るに限る」

「まったくもう……」

「いい夢見てたんだけどな、お前に起こされて、中断されちまったよ。モーターサイクルのエンジン音がやかましくて、近づいてくるのが分かったぞ。地下だと、地上の機械音が余計に響くんだよな」

「いい夢って、どんな夢?」

「あれ? そう言われると、どんな夢だったかな。起きた瞬間に、忘れた。モーターサイクルの爆音で、消えちまったんだよなあ……。なんだったっけなー」

「モーターサイクルじゃなくて、チルホね。名前あるんだから」

「はいはい。わかったわかった。メシ食ったら、夢の続きを見るために、また寝ようかな」


 呆れるミヤの前で、デライジは「ふわーあ」と大きなあくびをした。


「はい、パン。それと、配給所のおじさんが、缶詰ひとつサービスしてくれたから。今日は、いつもより一個多いよ」

「ありがとな」


 デライジはパンと缶詰、水を受け取った。

 ミヤは、ニコニコと微笑んだまま、立ち去ろうとしない。


「……ん?」

「また、あれ貸して」

「好きだな、お前は……あいよ」


 デライジが、ミヤに渡したのは、一冊の本だった。

 様々な記録が燃えて失われたこの世界には、貴重な「紙の本」である。

 見る人が見れば「これはブンコボンという種類ですな」と判断するであろう、小さくて薄い「紙の本」だった。


 学校もなく、文字を教える大人も少ないこの世界で、ミヤは独学で字を学び、覚えていった。


 デライジが住み着いたシェルターに、たまたま数十冊の本が保管されており、ミヤはそれを一冊ずつ借りていたのだ。

 デライジにも素養があったのか、文字を読めるようになり、時折、ミヤと答え合わせをするかのように互いに教え合っていた。


「ねえ、デライジおにいちゃん」

「なんだ?」

「この本に書かれている文字、カンジって言うんだよね。わたし、カンジで自分の名前、書けるよ」

「へえ。書いてみなよ」


 ミヤは、近くの小石を拾うと、砂の上に文字を書き始めた。


「深夜」と書いた。


「それでミヤって読むのか? 二文字目は、ナイトエリアを意味する文字じゃないのか?」

「いいの! ミヤって読ませるの。合ってるかどうかは知らないけど……」

「じゃあ、俺の名前も書いてくれよ」

「いいよ! 考えていた字があるんだ」


 ミヤは、小石で「出来事」と書いた。


「これで、デライジ? なんか変な気がするなあ」

「チルホも考えてあるんだよ。見て」


 ミヤは、「散歩」と書いた。



深夜ミヤ散歩チルホで起きた出来事デライジ】<完>

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深夜と、出来事と。 雲条翔 @Unjosyow

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