第20話 「留学は過去の遺物」に非ず!

「何言ってんだ、あんたらは! 馬鹿はおまえさんたちだ」

 大御所様、祖父の登場。

「ジィちゃん!」

 祖父だけは、物心ついた頃から変わらず大好きだった。

 私の唯一の味方だった。


 祖父の祖父は武士だったからだろうか。武士の血を引く祖父の生き方、考え方、言動に「武士とは、こんな感じだったのだろう」と何度となく思い知らされていた。

 そんな自慢のラストサムライな祖父は、それまで黙って成り行きを見守っていたが

「自分で決めたのなら中国へ行きなさい。こんな田舎にいては、小さな世界でしか生きられない人間になってしまう」

 一呼吸置いてから、父を見た。


「それでも、いいのか?」

 父は、むむむっと言葉を呑み込み、祖母は

「女の子なのに、中国なんて危険すぎる」

 それでも心配してくれたが、祖父も動かなかった。

 祖父の持ち前の頑固さがこの日ほど心強かったことがあろうか。


 仮にこの当時からネットが普及していたら、私には不利な中国関連の情報ばかりが氾濫はんらんするネット社会。留学の実現は更なる困難を極めたであろうことは容易に想像できる。


 また、ネット上で気軽にプロから学ぶことができる今の時代、留学は過去の遺物だという著名人もいるが、果たして本当にそうだろうか?

 ちなみにこの留学不要説を唱えた本人は、留学を経験していない。


 確かに、知識だけを学ぶのであればネットで十分である。

 留学をしたことに胡座あぐらをかき、怠惰たいだな生活を送る人よりも、日本にいても真剣に真面目に自主的にネットで学んだ人の方が、お金をかけずに高いレベルの知識や技術を手に入れることができる。この点では賛同できる。


 だが! 人生、そんなにつまらないものではない。


 留学しなければ得られないものも確実に存在する。

 それは、どんなにネットを駆使くししても、お金を払っても得られないもの。

 生きていることの喜びや幸福感を与えてくれる、好きなことを追求するからこそ得ることのできる「出会いと体験」である。


 もっとも、留学不要説を唱えられても、それに負けないくらいの情熱がなければ態々わざわざお金と時間を懸けて、危険を冒してまで海外へ行く必要はない。

 好きなことへの情熱が中途半端な自分への説得材料として有り難く受け入れるべきである。


 なぜなら、留学不要説を唱える著名人は、あくまでもその人自身の見解と意見を述べただけであり、その意見に従ったからといってめてくれるわけでもないし、後年、やっぱり留学しておけばよかったと恨んでも責任を取ってくれるわけでもないのだから。


 人生と情熱を懸けるに値する生き甲斐とは、依存するものでも、逐一ちくいち誰かに自慢、披露するようなブランドものでもない。


 ただただ純粋に生き場を求めて命に直結する、誰に何かを言われても、言われなくても、かたくなに変わることのない、不器用で不便極まりのない、それでいて、他の人には到底味わえない、生きた甲斐のある人生を共に切り拓いていくものである。

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