第17話 この人生は、誰のもの?

 三十年前の高校生が保護者の許可を得られなくても、お小遣いだけで、独学で中国語を学べる方法はラジオ講座だけだった。


 大好きな三国志の英雄達の母国語に触れられるだけで満足をする、わけはなく。中国語が楽しくなれば、なった分だけ

「英語の二の舞にはなりたくない」

 机上の空論、使えない試験のための勉強で終わらせてしまうことへの不安が日々大きくなっていった。


 高校一年の最後に行った修学旅行の後は、地味で平凡な生活のまま、中国語の勉強も自己満足レベルにさえ至らないまま、受験シーズンに突入。

「あの世で孔明先生に謁見する日に向けて、中国語と中国文化をガッツリ学びたい」

 そんな期待を胸に志望大学の説明会に参加したが、そこで聞かされたのは、私を愕然がくぜんとさせる説明だった。というのも就職のために学ぶ中国語が大前提だったからだ。

 在学中に休学届を出して留学するのも可能だと、その方が就職にはますます有利だと、満面の笑みで保証されたが、私自身が満足出来ないその生き方は、誰のための人生なのだろうと疑念を抱かせた。


 一度きりの人生。私は、私のために生きる。


 だが通信教育で中国語を学びたいというだけでも反対される家庭で育った私を応援してくれる、理解ある家族や親戚などいるはずもない。 


 彼らが異口同音に私に向けた言葉は「現実をみなさい」だった。

 現実とは何なのか? 少なくとも私にとっての現実はたった一つ。

 三国志愛を貫くことが生きる意義であるということだけだった。


 ちなみに、現実という言葉の意味は「頭の中で考えるだけのことではなく、現に実際、こうであるという状態、事実」だという。


 だったら尚更である。私にとっては三国志にどっぷり浸かって中国語を学びたいという夢を実現するには、現実的に考えて日本では不可能、無理だった。


 だったら、どうする?

 私が一人会議で決めた答えとはー

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