夜半の酒妖怪

井田いづ

第1話

「夜半の酒妖怪の話、聞いたかい」


 藪から棒に、木戸番の小太郎はそう言った。

 春一が通り過ぎて、やや冷え込む晩のことである。木戸番小屋で顔を突き合わせた暇人二人──小太郎と貧乏浪人の昌良まさよしは常から一緒に暇つぶしを探している。


「今宵は怪談か」

「おう。おれもな、昨日の晩に見た」

「何を見た」

「ゆうれいさ」

「ゆうれい?」

「おう。夜半にな──」


 小太郎が言うにはこう言う話だ。

 夜九ツ(深夜零時)を少し過ぎた頃、頭から水をぽたぽたと流した男が戸を叩いた。誰か門限に遅れたんだなと見てみれば、真っ黒くてぬるぬるしたものが張り付いた巨躯の侍が立っていたのだ。は小太郎の目の前に一口分だけ酒の入った徳利を置いて、何も言わずにまた夜の町に消えて行ったと……。


「おれにゃゆうれいに見えた。他にも見た奴がいてなァ」

「ううむ……」

「どうした、昌良」


昌良は難しい顔で顎を撫でた。


「いや、なんと言おう。その酒妖怪は恐らくおれだ……。気がついているかと思っていたのだが、まさか物怪の類にされていようとは」

「お、お前かよッ!」


小太郎はずっこけた。


「酒は旨かったぜ、ありがとよ! しかし、昨日は泊まりだったんだろ?」

「いや、そうなのだがな──」


 昌良が語るにはこういうことだ。

 旧友の家で食事を世話になったあと、彼は出された酒の旨さに至極驚いたそうだ。杯を重ねて、是非小太郎にも飲ませたい──その一心で酔っ払いの夜半の散歩が始まったのである。

 酔い覚ましも兼ねていたのだが、行燈も持たない彼の道のりは険しかった。見事に雨上がりのくさむらで転け、身体中に泥と落ち葉と色々くっつけながら、徳利だけは守り通して木戸番小屋に辿り着き、無事旧友宅へと戻ったそうな。

 二人は腹を抱えて笑い出した。


「ちぇ、妖はお前か。怖がって損した」

「折角だ、今宵はこれで怖い怪談を作らないか?」

「お、そりゃいいな!」


今宵も長い晩になりそうだ。

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夜半の酒妖怪 井田いづ @Idacksoy

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