三日目(夕)

「クルツ、遺跡内のマッピングを頼む」

「わかった、だがあまり正確性は期待するなよ? ここは広すぎる」


 私は周囲を見回す。彼が言う通り、このホールはあまりにも巨大だ。

 普段の縮尺を基準に地図を書きはじめたら、とても収まりきらないだろう。


「ああ、大きさに関しては不正確でいい。扉や通路のつながりが知りたいだけだ」

「承知した」


 クルツは木板の上に灰色の草木紙を広げ、方形を書き込んでいく。

 私はそれを見守っていると、視線を感じたので、そちらに振り返る。


 私を物言わずに見つめていたのは、剣士のデナンだ。

 彼は近東生まれの剣士だ。素焼きの土器のような色をした肌に、我々と比べて一層彫りの深い顔をしている。


 最初、余りにも何もしゃべらないので、彼はあまり我々の言葉がわからないのかと思っていた。だが、道中での私やヴァンの指示には正確に従ったので、彼はただ寡黙なだけだとわかっていた。


「どうしたデナン?」

「火を焚いてから感じる。空気が動いた。それで風に死臭が混じっている」

「死臭?」

「そうだ。死の臭いだ」

「死体の臭いということか」


 デナンはこちらを見つめたまま、軽く頷いた。


「私は近東の農場でヤシの実を拾う奴隷だった。しかし疫病が流行りだし、ヤシの実の代わりに死体を荷車で運ぶようになった」

「その時に嗅いだ死体の臭いだと?」


 私はホールの臭いを嗅ごうとするが、黒油の出す煙の臭いが強すぎる。

 いや何か、別の匂いもするが……これはなんだ?


「気付いたか。これは『盗賊の酢』の匂いだ」

「『盗賊の酢』?」


「疫病が流行った時、死体の財布には誰も手を付けたがらなかった。だが盗賊は手を出した。彼らは病を退けるために秘密の『香草酢』のレシピを持っていた」


「随分と詳しいな?」

「奴隷が他所の国に行くための船に乗るには、金と知恵が必要だ」


「……なるほど、大したもんだ」


「つまりここでは何らかの疫病が流行った可能性があると言いたいんだな」

「そうだ。」


「なんで今まで静かにしていた?」

「近東は空気が乾いている。無駄口を叩くと喉が渇く」


 なるほど、そういう文化か。


 ともかく、『盗賊の酢』の臭いが強ければ、そこは汚染されていると見たほうが良いだろう。きんはともかく、疫病の種までススラフに持って帰る訳にはいかない。

 

「つまり、酢の臭いは避けろ、そうお前さんは言っているわけだな」


 デナンは首を縦に振った。


「教えてくれてありがとう」

「気にするな、自分のためでもある」


 ドワーフの要塞で疫病が流行っていたという話は聞いていない。

 だが、戦いで大量に死体が出ればどうだ?

 ここは密閉された地下空間だ、空気が悪くなり、病が流行るのも頷ける。


 あの弩が必要になるほどの相手だ、さぞや死人が出たことだろうよ。


「みんな、手を貸してくれ」


 私は皆に「盗賊の酢」の事を告げ、扉の近くの様子見てもらう。

 そして臭いの弱い場所から、遺跡の内部をたどっていくことにした。


 少しの後、情報が出揃う。


 このホールには北に大通路が一つ。

 そして東西に2本づつの通路があり、南には4つの通路と言った具合だ。

 南の4本のうちのひとつは、我々が使った通路だ。


「南側の通路は連絡路と見たほうが良いだろうな。妙な臭いもなかった」


「クルツの言うとおりだな。南以外のルートで先を目指そう」


「東西の通路はおそらく、この工房の素材や製品を運ぶためのインフラではないだでしょうか。残されていたレールカーはかなり大きかったです」


 ニルファの言葉にヴァンが続く。


「ああ、それには同意だ。西側は酢の臭いが強かった。ニルファの行った東には、特にそういうものはなかったそうだ」


「主要な通路は北の大通路だと思う。だがとても匂いが強い」

「なら、避けたほうが無難か」


 デナンが言うなら間違いないだろう。

 となると東の2本の通路、その左右どちらか一択か。


 私たちはホールの東へ向かい、どちらの扉へ行くか決めることにした。

 青銅製の半円の扉は開け放たれていて、ポッカリと空いた暗黒がある。

 そして、そこからはわずかに空気の流れを感じた。

 さて……どちらを選んだものか?


「ちょっといいかレックス?」

「なんだ?」

「指を口に含んで風を見てみろ、左は吹き込んで、右は吸い込まれている」

「……本当だ。しかし、これに何の意味がある?」


「空気は高いところへ向かう。雲がそうだろ? 空気が吸い込まれる方は上行き、逆にこっちに吹き込んでくるのは下へ行くってことだ」


「上を目指すなら、空気が吸い込まれている右を選べということか」

「ああそういう事だ」


 さすがベテランの偵察員なだけはある。大した洞察だ。

 私は右の通路を選び、遺跡の上を目指すことにした。


 偉いやつは上の方にいるのが世の習いだ。

 人間でもドワーフでもそう違いはあるまい。


 酢の臭いがしないのは風向きのせいでは? その不安もないわけではない。

 しかし、追い風なら、風が私達を瘴気ミアズマから守ってくれるはずだ。


 我々は松明につかう油を篝火台から失敬し、暗闇の中を進んだ。


 東側の通路は緩い坂になっていて、左に向かってゆるやかに湾曲していた。

 どうやら外周の施設は、こういったリング状の通路で一つにつながっているのではないだろうか? それなら行って戻ったりせずに、一方向にレールカーを流すことで全てが済む。とても効率的に思える。


 ……つまり、ドワーフたちがもし、素材を集積して保管しているとするなら、それは今目指している上部の施設にあるということでは?


 俄然やる気が湧いてきた。きんだって素材のひとつだ。

 きっとこの先に求めるものがあるはず。


 私は何かに背中を押されるように、暗黒の中を、松明を持ったまま進んだ。

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