二日目(昼)

 出発の前に、私は鎧を体につけ直す。

 分厚い布鎧、ギャンベゾンの上につけるのは、小札鎧ラメラーアーマーだ。


 重量はかさばるが、板金一枚で作られたような鎧と比べると、柔軟性があって動きやすい。鎖鎧に比べて丈夫だし、通気性もそこまで悪くない。

 何より一人で身につけられる簡便さが良い。


 今回の冒険は、戦闘が起こる可能性はかなり低いと見ているが、それでも万が一ということがある。件のドワーフ要塞は、緑肌のオークやゴブリン共がドワーフたちを追い出したと聞いている。残党がいまだに残っている可能性は捨てられない。


 私は片刃の剣、ファルシオンを左の胸に掛け、結わえて固定する。剣を普通に腰に差すと、歩く時にわずらわしくてたまらないからだ。

 あとは荷物を背負い直せば、出発の準備は終わりだ。

 


 出立する前に、パーティの様子を確認する。

 メンバーの体調が悪化していれば、引き返すことも考慮に入れた方がいい。


 ニルファ、クルツは問題なさそうだ。さすがベテランといったところか。


 ヴァンを始めとする剣士のデナン、弓使いのフリードも様子に変わりはない。

 あとは荷物持ちを任せた中年のイルーゾだが……、すこし様子がおかしい。


 彼の顔からは、動揺の色が見て取れた。


「イルーゾ、どうした?」

「へぇ……このまま進むんで?」


「なにを言ってやがる。ここにきて今さら、一人で帰れると思ってるのか」


 この言葉は私のものではない。ヴァンのものだ。

 彼はこの場にいる全員が聞き取れる舌打ちをすると、雪を蹴飛ばした。


「銭をもらったなら、はらを決めろ。」


「もうこれ以上申しません。ですのでご勘弁を」


 彼は冒険者ではない。山裾に住む人足で、こうした山を行く者たちの手伝いをして、金を貰い、暮らしている男だ。


 そんな彼なら、雪山の過酷さは知っているはずだ。

 私はその動揺の理由が知りたかったが、ヴァンが彼の口を固くさせてしまった。あの剣士の前では、彼はきっと喋ろうとするまい。


 心の中で奴よりも大きく舌打ちして、私は移動を下知する。


 パーティは先ず、尾根を目指す。

 さながら羽虫が光を求めるように、日に向かって進むのだ。


 日の陰になっている尾根は、尾根がその全身で落とす大きな影によって、山肌の表面、その小さな変化がつくる影が打ち消されてしまう。

 影の中では、微細な足元の様子がつかめない。


 私たちは視界を埋め尽くす尾根に、へばりつくようにして進む。

 首の限界まで見上げる形になって、ずっと見ていると痛くなってくる。


 青一色の世界から抜け出した頃には、すでに陰側にも光が差し込み始めていた。


 尾根に登ると大分見通しが良くなったので、位置を確認する。

 東側の視界が明瞭になったので、空と星から得られる情報も増えた。


 星見術師のニルファは、空を見上げ、地図と我々の位置関係を補正する。


 東に真っすぐ進んだつもりだったが、斜面のゆるい場所を選んだがために、少し北側にそれていたようだ。だがこれは、むしろ好都合だ。

 このまま北に向かい、巨人のテーブルを目指すことにする。


 ニルファが観測を続けている間のことだった。

 クルツは私に近寄ってくると、世間話を装って話しかけてきた。


「セレスティア岳は、なかなか、手強いな」

「あぁ。」


 山で喋ると、どうしても単語での会話になる。

 息を深く吸うと肺が凍てつくし、空気も薄い。息が続かないのだ。


「レックス、あの雲は良くない。太陽にも輪がかかっている」

「クソ……雲がちぎれてるな」


 見上げた空の太陽には薄くガスがかかっている。

 そして、低めの位置にある雲は細かくちぎれている。これが意味するところは、風来神シーレによって、強い空気の流れが生まれ始めているということだ。


「天気が崩れるまで、時間がない。きっと風来神が、博奕ばくちを打ちに行くんだろうさ」


 風来神シーレはクルツの信仰する博奕と旅、風の守護神だ。彼女は神話の通り、余計な事ばっかりしてくれる。


「今日はあまり移動できないな。野営場所を、今のうちに決めよう」


「そのほうがいい」


 私はニルファの近くへ雪を踏みしめて近寄ると、作業の進捗を聞くような素振りをして、変わり始めている天気の事を切り出す。


「ニルファ、天気が崩れたときに備えて、野営に向いた場所を探しつつ進もう」


「快晴そのものだけど、レックスは注意深いね」


「山の天気は信用しない方がいい。そこらの女より気が変わりやすい」


「仰せのままに」


 私は地図のある地点を指差す。

 地図に表記されている尾根と、別の尾根が交わっている部分だ。

 

「何故そこが良いんだ?」


「尾根と尾根の間は、雪が溜まって足を取られるが、雪が溜まるということは、風で吹き飛ばされていないということだ。ここならば風を喰らわない」


「なるほど……たしかにこのへんは雪が浅い」


「そう、ここはそれだけ……激しい風が当たるということだ」


「わかったよレックス。しかしすこしルートが東側へ膨らむよ?」


「構わん。風に全てをさらわれるよりはマシだ」


 ニルファと一緒になって地図に書き込みを増やして、それを閉じる。

 さて、後は時間との勝負になる。


 風来神の足が速いか、私達の足が速いか。

 競争といくとしよう。

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