お・も・ち・か・え・り

御子柴 流歌

深夜の恩返し(※当社比)

 珍しく――本当に、あまりにも珍しく、今日は残業無しで帰宅できることが確定していた俺はその帰路、喜び勇んで自宅最寄り駅のすぐ近くにあるスーパーへ向かい、リキュールコーナーへと直行した。ある意味ではこれこそである。

 明日は休日。しっかりと休めることが確定している休日。こんなに晴れやかな気分で酒が飲めるなんてなかなか無い――というか、1ヶ月ほどは無かった。本当に素晴らしい夜だ。軽やかにスキップなどしながら帰ろうかという気分になる。

 しばらく飲むモノには苦労しないくらいの缶が入った袋は、俺の指に食い込んできてわりと痛い。が、これもその後の快感のためだ。何ならこの痛みすら快感かもしれない。しかし俺はマゾヒストではない。少々ハイになっているだけだ。

 スキップこそせずに、自宅まで残り300メートルを切ったくらい。さすがに手が痛い。

 ここらで少し、この袋の中を軽くしてもイイだろう。

 適当に一番上に積まれていたレモンサワーをプシュリ。

 そのまま、ぐいっとひと口――ふた口――――そして三口。

「くぁあ、うめえ」

 まったく、これだから最高だぜ。

 歩き出しつつも、缶はしっかりと口の側。喉に炭酸の心地よさを感じれば、空にはレモンのような月が見えた。

 まったく、これだから最高だぜ。

 ――結局アパートへと辿り着く前にレモンサワーは俺の胃袋の中に収まってしまい、敢え無く自宅近くのコンビニに立ち寄ることになってしまった。



     〇



「……つまみがねえ」

 大事なところに気が付かなかったのは不覚すぎた。恐らく日頃の残業祭りのせいで脳細胞の肝心なところが萎縮していたか何かしていたのだろう。全くどうしようもない。

 致し方ないのでコンビニへ向かうことにする。24時間営業のスーパーも無くは無いが、そこまでだとさすがに徒歩だと遠い。酒にはある程度強い方だとは言え、一応今世ではニンゲンをやっている以上法に触れることだけは自制する。

 ついでに、何かコンビニ限定の酒でもあればそれを買おう。

 思い立ったが裁量のタイミング。財布をケータイを引っ掴んで俺は外へと繰り出した。

「……ん?」

 しかし、その道中。あまり見かけない者を見かけた――気がした。

 モノではない。者だ。ヒトだ。

 思わず視線を送ってしまったのだが、折り悪く向こうもこっちを見てきた。

 笑顔。

 ――おお、何と麗しい。

「こんばんは。夜分失礼致します」

 妙に丁寧な言葉遣い。

 そこに立っていたのは、和装美人。ぎんねずの着物に身を包んだ女性だった。

 端的に言えば、美人。それ以外に、まともな表現が思い付かない。

 銀の簪が特徴的。しかし、その落ち着いた立居振る舞いの割に、見た目は若い。20代前半くらいか、あるいは10代後半か。

 ――思わず、喉が鳴った。

「え、えーっと……。その、何か……?」

 そちら方向へと妄想は進んでいくが、言動には出さないようしながら訊く。

「はい。簡単に言うと、やって参りました」

「……はい?」

 思わず訊き返す。

 恩返し、とは?

 こんな美人さんに、俺が何か恩を売るようなことがあったのだろうか――。

 ――いや、あったんだろうな。

 疑問に思う必要なんて無いだろう。

 だって、こんな美人だぞ?

 こんな美人が、恩返しをしてくれるって言うんだから、ここは粛々と恩を返していただくのがベストだろう。そうに決まっている。絶対だ。

「ああ、いや。……そうですか、なるほど」

 咳払いをしつつ、ちょっとだけ背筋を伸ばす。付け焼き刃の誠実さを身につけた俺に、抜かりは無い。

「立ち話も何ですから、せっかくでしたらウチへいかがでしょう?」

「ええ。最初から、そのつもりですよ」

 ――おお。

 おうおう、イイねえイイねえ。

 たまらんねえ。

 ?き出しになりかけている欲望をどうにか抑え付けつつ、コンビニでの買い物にもくっついてきてもらいつつ、何とも自然な流れで無事に『お持ち帰り』をするに至った。

 心拍数が少し上がっているのは、外を歩いてきたからか、あるいは今から始まらんとする行為を期待しているからだろうか。

 逸る気持ちはあるものの、しかし「どこまで至ってヤろうか」という部分は一旦傍らに除けておく必要がある。

「ちなみにですが、訊いてよろしいでしょうか?」

「ええ、何なりと」

「お名前は?」

 やはり、名前を知っておくことは大事だ。盛り上がりに欠けると思う。

「あ、そうでしたね。これはとんだご無礼を」

「いやいや、そんな」

 ――しっかりと奉仕してもらうから大丈夫だよ。

 その麗しい口からどんな素敵な名前が聞けるのだろうか。

「わたし、アキカンです」

「……あきかん?」

「そうです、アキカンです」

 変わった名前だ。

「……あなたが1ヶ月程前に、駅前通りから少し離れたところにある草むらにポイ捨てをした空き缶です」

「……んんん?」

 何を言ってるかわからない。

「リサイクルされるなんてイヤだと思っていた私を、あなたはヒトの目につかないところに捨ててくださった。あなたは私の恩人なのです」

 全く何を言っているのかわからない。

「この姿になった私は幸いにして、他の空き缶たちの声が聞こえる能力を得ることもできたので、私と同じ心を持った空き缶たちにも来てもらっているんですよ」

 これっぽっちもカノジョの言っていることが理解できない。

「私たちのことを、末永くよろしくお願いいたしますね」



 ――そこから先、俺の記憶は無い。



     〇



 ――翌日。

 目が覚めたとき、部屋には大量の空き缶が転がっていた。

 いや、正確に言えば『部屋は大量の空き缶で埋まっていた』になるだろう。

 当然わずかに脳裏にこびりついていた眠気なんか一瞬で吹き飛ぶ。

 どうにかしてゴミ袋か何かを――と思って、今度は血の気が引く。

 ここからはどう見ても俺の部屋の玄関扉は開け放されていて、幾度となく目を擦ってもその扉から大量の空き缶が漏れ出ていた。

 その空き缶は部屋の中だけでは無く、俺が住む部屋の玄関先、さらにはアパートの敷地にも大量の缶が転がっていた。

 何が何だかよくわからないままに、大家からすべての責任を押しつけられた俺は、即時ここからの退去を命じられた。


 ――空き缶は必ずゴミ箱へ、もしくは自宅へましょう。

 

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