第6話 鬼

 このごろ都にはやるもの


 夜うち 強盗  謀綸旨


 なんだろう。きょうは村祭りの日だったろうか。歌ったり笑ったりする陽気なさざめき。三味の音。笛の音。祭り囃子ともまたちがうような気もされるが。

 前後も知らず臥しまどろみける所より浮かびあがるなか、リウはあたりの様子へと意識をあつめてゆく。

 やはり祭り、ではないらしい。謡いや笑い、しゃべりの声に、微塵も敬いとか高さのいろがなく、ただひたすらに野鄙だった。三味の音もまた然り。

 さりながら、そんななか笛の音は、異彩を放っていた。ひときわ高かったり、激しかったりはしない。空の青海のあおにも染そまずただようしらとりをおもわせるような、清澄なる孤高な音色。閑かに妙韻がしみわたり、こわばりをほどきゆく。霖雨のやみ、ぶ厚い黒雲の裂け目より射す、まばゆいあたたかな光。ほぐれゆくだけでなく、粘りつく黒いものが蒸発してゆくようだった。

 右ほおに、さわさわやわらかくあたたかな感触。手をあげてふれ、目をひらく。黒い猫ーーニジがそばでまるくなっていた。うすく目をひらき、こちらをみる。撫でると目を閉じ喉をならした。

 光沢のある黒い毛に顔をあてていて、はじめて気になった。一体、ここはどこなのか。一体全体あれからどうなったのか。状況が全くつかめない。川むこう(黄泉の国)にいるのではなさそうではあったが。

 笛の音がやんだ。やんだ方をみて、はっと息をのむ。窓の框に腰かけた男がいた。樺色の笛をおろし、右斜めに深めに上体を傾け、かつその上体だけ正面に捻るかたちにした姿勢からなおるその者には、見覚えがあった。鋭くつよい光を放つ双眸。が、いまのそこには、ゆめうつつで垣間みた焰立つ荒々しさはない。雲ひとつない碧空のような澄んだ眸子。

 リウは鷹下の雀のように身動きできなくなり、視線も離すことができない。猛禽類をおもわせる眼ではあったが、さりとて怯えとか萎縮ではなかった。かといって、幻視したものが事実あらわれた驚愕、でもなかった。どこかで、自然なことのようにかんじられもしている。

「気がついたようだな」

 低いがよくとおる声だった。髪は束ねずざんばらにし、町人ふうの、それにしては赤や茶をつかった華美な装束で、襟ぐりを大きめにとり、裾をまくって膝をみせている姿からだけでも、カタギの者でないことは一目瞭然におもわれる。

 だとしても常人以上のひとではあろうとはっと思いあたり、起きなおって謝そうと急いで上半身をおこす。が、目が眩み、また頭をおとしてしまう。ニジは起きあがり、すこし離れると、倒れまた横になったリウの首もとにもどって臥する。

「すいません」

 謝りながらせめてもと、両手で顔面を覆い隠す。

「なにがすまないというのだ」

「ご無礼をおゆるしください」

 と言いつつ、自分のはいたこと葉によってさやかに気づかされる。おのが身を顧み、赦しをこうこともまた僭越であることに。震えがおきる。恐怖ではなかった。羞恥、それもなくはなかったろうが、なかんずくつよい哀しみによるものだった。

 ははッとかるい笑い声があがる。

「われとて偉くはないわ。ひとに蔑まれてせんないことばかりしてな」

 

 このごろ都にはやるもの

 

 しらぎ山の鬼大将


 近くの座敷からの謡いの文句がしたとき、笛を手にした男は口もとを歪め、

「そんなたいそうなもんでもないわ」

 と苦笑する。そして、手で顔を覆い小刻みに震えているリウに問う。

「うぬはどこか往くあてがあるのか」

 いらえはなかった。なかったことが解答になってもいた。

「うぬがよければだが。われのところに来ぬか。」

 震えがおさまってゆく。さきの紫にそまったか細い指のあいだから、くぐもったあえかな声が漏れる。が、隣室の喧騒もあって掻き消される。

「聞こえぬぞ」

 それは攻めたり嘲る調子はなく、叱咤するものだった。

「・・・・・・よいのでしょうか」

「よいも悪いも、うぬが決めることだ。ただしいうとくと、われは賊じゃ。うねを殺めようとした。鬼とよばれてる、な。鬼の住み家でかまわぬのであれば、来い」

 鬼とは、このようにやさしくあたたかな声をはなつものなのだろうか。リウはべつの意味で、面からてのはらを外せなくなっていた。

「返答はすぐでなくともよい。いずれにしても立ってゆけるようにせねばな」

 という内に、戸の開く音がし、米の煮えるかおりがしてき、老婆の声がした。

「えらいお待たせしまして」

 老婆の去ってゆく物音。

「胃あたりのええもん運ばせたから、食べ。せかなくてええしな」

 


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