第4話 おらほのチュンナ

 濃藍の幾分うすまりかけてきた黎明のなか、リウは屋敷の外に待つ駕籠におさまった。雀ーーリウの郷里ではチュンナとよぶーーの鳴きかわす声がしている。


 チュンナ、チュンナ

 どごさいぐ

 そっちばわしの畑だじゃい

 

 チュンナ、チュンナ

 わしの畑、塩辛い

 あっちの畑はああめえぞ  

 チュンナチュンナ

 あっちゃいね

 チュンナチュンナ

 あっちゃいね


 駕籠にゆられていると眠気の波がうちよせてきて、抗えないほどになる。のみこまれ土下座するようなかたちにかがみ込む。チュンナのさえずりからか、ふる里の幼きときにふれた唄がうちにわき、流れる。その声はあたなかな男性のものであり、女性のものでもあった。

 ーーおらほのめんこいチュンナはどこさもいぐな 

 ーーめんこいがら、みんなこっちゃ来いていうだ  

 ーーリウはおらほの一等ひがるたま(光る玉。宝物の意)

 持ちあげられ抱きしめられし、稚い自分のたてる笑い声。とっちゃ、かっちゃ、そうおもってくれるのは、あなた方だけだよ。おらほのチュンナは、あっちゃいねあっちゃいねとしかされていない。

 いや、全部が全部そうではないのかもしれない、とほんのりおもう。屋敷を出しな、だんまりさんにはかるく驚かされた。

 ーーむしろしあわせかもしれん。

 そして、堪忍なとつぶやくようにいわれたものだった。皺が幕となり相変わらずなんの表情も読みとれず、ひとりごつような調子ではあったが、老体がそこまではなすところに遭遇したのははじめてのことだった。そしてそこにはこころなしか、労るような励ますようなあたたかみの気配があるように、かんぜられてならない。こちらに来てから、はじめてかけられた、ぬくもりのあることの葉。そうかんぜられたのは、抑揚のせいでもあるのかもしれない。どことなく、陸奥のつづまるような懐かしい響きがほのみえて。

 ごとッと地に着く音がし、ゆれが治まった。着いたらしい。起きあがり居ずまいを正す。なにも指示されれてはいなかったが、主直々にはなされたことからの一連のながれのなかで、女人としてとおすのは無理があるとして、すくなくも奴婢であることは覚られぬよう秘めとおさなければならぬだろうことは、思いおよぶことができている。

 土塀のまえに降りた。木戸の真ん前に槍を片手にした中年男が立っている。番人であるからして常人(平民)である者かもしれなかったが、それであってもリウの身分からしたら目をあわすことも憚られ低頭しなければならぬ身分であったから、いつもの習慣で反射的に腰をかがめうつむきそうになって、はっと気がつきこうべをあげる。もろ手を組み合わせジュデで染まった指がみえないようにしながら。

 番人に、主の姓であるものを告げるとなかへとおされた。なかにはなかの番人がいて、飾り気の皆無な建物の、吹きぬけの通路をぬけ、一室の戸のわきに立つ官吏に問われる。リウをみる面に訝るようないろはあったが、穿鑿されることもなく室内にはいるよういわれた。

 あきらかに女人にはみえないであろうし、あきらかにそれなりの身分とはみえないだろうと自覚していた。刑をうけるだけの資格さえない立場であるからして、内々で速攻処分されるかもしれないと覚悟し、震えを抑えていたため、あまりにもすんなりとおりゆくことに拍子抜けし、膝がぬけそうになる。が、それにも堪え、足に手に力をこめ自らを奮い立たせる。まだまだ水端に立ったばかりなのだ、と。

 外観と等しく、内もまた味気なく、調度品などいっさいない場だった。そこに腰かけがいくつか置かれていて、4人の女人がおもいおもいの方をむいてかけていたが、リウがはいるといっせいに視線があつまった。リウにだからこそ、ではないことはリウはわかりながらも、知らぬひとら、なおかつ決して顔をあげてはならぬひとらであることに怯みそうになりながらも平静をたもち(そうふるまうよう努め)、何気ないようすで手近な腰かけにつき、みなを見まわす。目をあわす者、そっぽをむいたままの者、いろいろで声をかけてくる者はひとりもいず、それはリウにだけではなく、はなしをしている者はなくて、それぞれにそれぞれなりの緊張のこわばりがみてとれた。ひとり、下ぶくれの娘が、目を細めて笑いかけてくれた。リウは笑いかえすだけの余裕はなく、会釈だけをかえした。

 「みなさんお集まりになりましたので、本処にむかいます」

 戸外にいた官吏がはいってきて告げた。

 牛車に5人が乗り込む。牛車にしては、かなり大がかりな、農耕でつかう大八車のような、牛のひくちいさい小屋といった風情の。馬車、といったほうが近いか。

 みな居心地わるそうに、不安げなようすだったが、下ぶくれはにこにこ笑いながら、リウのそばによってきてはなしはじめる。

 「ほんまこない朝はようからかなんな。どっから来はったん。ああそうなんや」

 ひとの多い往路に出たらしく、人声がかまびすしくしはじめる。道もわるくなってきたのか、輪のたてる音もたかくなり、ゆれがつよまった。それを見すましたように、

 「あんた男やろ」

 と声を潜めささやいてきた。

 「うちもやねん。いや、おなごやで、これでも」

 と口を抑えて笑い、

 「うちもおなじようなもんや、いうことな。ほかのひとらも、かわらへんわ」

 と、下ぶくれは目くばせする。彼女がはなすところから推察するに、彼女は常人の出で奉公にでていた立場であり、リウも然りとおもったものらしい。ほかのひとらも、というのは、みなが使用人であるという謂でなく、ほとんどが身替わりにされてだろうというほぼ間違いない推定だった。

 「ただなぁ、ひとりだけ、代わり用意できひん、ほんまのお姫さんもおってなぁ」

 とさらに声をひそめ、ちらっとその対象を目でしめし口を両手でおおう。おかしくてたまらないらしい。ささめき声であったが聞こえたのだろうか、いわれた娘が睨みつけてくる。気位の高そうな、頬骨のでた女だった。物も仕立ても良さそうだったが、古びた着物を身につけていた。おお怖っと下ぶくれは、首をすくめてみせたが、全く怯えてなくおどけた仕種によるものだった。

 リウは勇をふるって、やはり声を潜めてだが、なんのためにこうして集められ運ばれてゆくのかわかるか聞いてみた。

 「本処いうてたやん。祭司はんがいてはるとこやろ。お告げかなんかあったんやないかな」

 ふんふんと肯いていると、

 「なんやらあんまし聞いた事ない喋り方しはるなぁ。どっからきたん?」

 うやむやに茶に濁そうとしていると、ヒイさんの睨みつけてくる目がリウにむかい、表情がかわった。青ざめ、こわばる。眉間に皺がはしる。唇がふるえ、信じられないようなものでもみたように目をみひらく。勘づかれたのだ、とリウはかんじた。格式の高い屋敷では奴婢は決しておかないところがある、と耳にしたことがある。かといって常人の使用人もろくにおけないまでに困窮した家の方のようではあったが、そういう格式だけを自恃とするだけに昂じた沽券に執するご令嬢であるようであった。

 彼女がなにごとか口を開きかけたとき、突如牛車がとまり、そのゆれで皆倒れ、倒れかけした。叫び声や、慌ただしく駆け去る音声がする。

 「なんやら賊がでたようです。なんとか切りぬけますんでご安心ください」

 護衛が外からいった。そのときご令嬢はすっと腰をたて、リウから顔をそむけた姿勢で居丈高にいいはなった。

「賤しいやつ、早ぅ出てお行き。ハシタ・・・の分もわきまえんと」

 「なんやのん、うちのこというてはるん?」

 下ぶくれは笑みをうかべながら、つよい口調で対峙する。そうではない、とリウは首を左右にふってみせ、自分がその対象だとうつむいてみせた。それでどういう反応をしたのかリウはわからない。偽らずにある身分にもどり、ひらいた自らのジュデに染まった指先だけをみ、そのままこと葉もなく額を下につけ謝してから、うごきはじめている牛車から出たから。

 だれも止める者はいなかった。飛びおりたとき、着なれない裾が足にからんで地面に倒れこみ、たなごころを擦ってしまった。突きとばされ追いだされたわけではなかった。が、そちらの方が楽なのではなかろうか、とおもった。

 棍棒やら蛮刀やらをふるう集団の進行を、護衛2人が押しとどめようと奮闘していた。が、多勢に無勢。ほどなく地面に打ちたおれされてゆく。

 牛車は遠ざかってゆく。リウの眼前には、兇器を手にした集団がいた。

 「なんや、囮にされてもうたんか。えらい気の毒にな。気の毒やから、楽にいかせたるわ」

 赤黒い液体のしたたる鎌をもち、髭面の男が笑いながら近づいてくる。リウは逃げなかった。逃げ切れるとはおもえなかったし、逃げこむ場所などどこにもなかった。

 もう一度だけでいいから、ニジに会いたいと切におもった。あの黒いふわふわのあたたかな毛並みにふれ、抱きしめたかった。

 リウは立ちつくしたまま、目を瞑る。もう見たいものしか見ないようにしようとするかのように。瞼を閉じてくれる者のないかもしれず、あらかじめしておこう、というつもりも、あったのかどうか。

 とっちゃ、かっちゃ、あなたたちのチュンナは、最期の最期まで、いねってされたよ。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る