第3話 胸に灯る火

 がッがッ硬い音が、深閑たる闇に刻みこまれる。土塀になにかを打ちこんだものらしい。足がかりとするためのものか。とはいえそれは、大ぶりな枯れ葉だとか椀のころがるほどでしかないひそやかな音であり、ひそめておこなっている気色があった。

 暗夜のなか、音もなく塀を乗り越えてきた者が数人。そのなかのひとりがしたことなのか、手引きした者の時宜をはかってのしわざなのか、内から木戸が開かれる。つねには軋みを立てるそこであるのに、当たり前のように、いやに静かになめらかに開け放たれた。

 どッと焰の吹きこむように、黒い集団がなだれ込む。焰の舌が先ずむかった先は、護衛をつとめるツワモノふたりだった。ツワモノとは名称であって、そうであるのが本来であったろうがあくまでも役名でしかないことをすぐに屠らたことでも露呈した。ツワモノなき後は、おもうぞんぶん打ち壊し奪うのみ。幼児の息の根までくまなく奪いつくし、残ったものに火をかけた。

 吹き上げる焱の轟音のなかに、パシパシと木材のはぜる鋭い音。強奪してゆく賊の姿をゆらめく大火が照らし出す。そこにひとり、なにをするでもなく、腕を組み、仁王立ちで火宅を眺める男がいた。壮年というにはまだ年月が要るほどの青年、もしくはことによると少年といってもよい齢であったかもしれないが、細身ながら頑健なししづきをし、その顔貌や雰囲気にはどっしり構えた風格といったようなものがかんぜられる。

 ざんばら髪の下にある、鋭い光を湛えた双眼には、のびあがる火焔がうつっている。そのためにそうみえるだけなのか、眼睛に朱のいろがみえ、それが踊りあがっているようにみえる。それでいながら、表情は笑うでもなく誇るでもなく、猛々しさのかんぜられない、冷徹ともちがう、しずかな、どこか哀しげですらあるような色がある。風貌の荒々しさと不似合いなその顔色に、どうしようもなく目を惹きつけられる。視線に気がついたのか、射すくめるようなきつい眼光が飛んでくる。・・・・・・

 ・・・・・・彼らは強奪したものを馬に背負わせ背に負い、ねぐらである山間へともどってゆく。その途上には、苔生したおサワの磐があることだろう。・・・・・・ 

 リウはうつらうつら船をこぎ、あてがわれた室内で床に倒れこみそうになりながらもどうにか堪え、端坐していた。数刻前、主に呼びだされ、戸越しからではあったが、直々に申しつけられた。ここよりべつの屋敷に奉公に出よ、と。どのような家であるのか、理由はなんであるか、なにも説明はなかった。問うことは奴婢の立場でできようはずもなく、否応なく遵うしかないことであったが。

 リウには全く窺い知れない身分(世界)での事情。ただ、主直々にということから、かなり重大事であり、動揺があってーーそこには後ろめたさもーーの行為であることは間違いないような気はされた。

 言いつけられていたのだろう、だんまりさんから湯あみするようにいわれ、着替えるよう着物もわたされた。出立は明朝だという。

 藤いろの、模様のない簡素な筒そでのものであったが、裾は花瓣をさかさにしたような具合にひろがっていて、女もののようだった。かつ、官位をもつ家の息女が身にするものらしい。リウは身近でみたことがな装いで、ここの屋敷のお嬢が似たような身なりをしているのを目にしたことがあった。さりとて、低頭しみあげることの許されない状態で、そもそも彼ら奴婢のまえにあらわれることなど、稀であり、かくいうリウとて離れたところにいた息女を認め、慌てて目を伏せ低頭したことが2回ほどあっただけであったが。瞬間で遠目であったため、創作に近い印象でしかないが、目もとや口もとのだらしなくゆるんだ、それでいて高慢さのみえる、親似だとおもわされる造作だった。

 湯あみは、こちらに世話になるようになってからはじめてのことだった。週に1,2度行水をするのみ。竃の火をふたたび興し、数年ぶりに頭のぎりぎりから爪先まで湯をとおし流した。

 被服を1枚ぬいだかのように、外気がちかくかんぜられる。よほどの大家、すくなくともここよりは身分の上の家にゆくことになるのだなとおもう。

 そう言われたわけではないが、何時出立の声がかかってもよいように肌着も着物もすでに身につけ、端坐して待っていたのだった。あれからニジを探したのだが見当たらなかった。つうじるかどうか分からないが、説明してゆきたかったのだったが。ここでのこころ残りは、ニジと色止めに漬けおいてある糸束のほかはない。

 さりながらどうもしようがなく、鬱々とーーそう深刻にではないが案じながら、それでいて昼間の仕事の疲れもあってうつらうつらと船をこぎ、夢であるのか判別のつかない、火やひとの景色を、いとけざやかに知覚していたのだった。そのような夢、であるのかないのか、映像をみること自体はリウにとっては特段珍かなことではなかったものの、この度のものほど胸に迫るものはなかった気がする。平生であれば即座に雲散霧消してしまうところが、よりあざやかな印象をひろげてゆく気配。なにとなく、近いうちに会うことになる、と確信するようにおもった。おもう、いや、願い、だろうか。

 「もう出るぞ。駕籠がきた」

 小屋の戸の外から、だんまりさんの低くしわがれながらも、よくとおる声がかかった。

 

 

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