037

 教室のドアに手を掛ける。杖を忘れるなんて動揺しすぎなんだと思う。ベルの遺体はすぐに片付けられた。ヴェルディオン家に届けられて、そこから埋葬するんだと思う。


 中から声が聞こえる。誰か居るのだろうか。皆とっくに帰っていると思ったのだけど、そうでもないらしい。


 まぁでも別に気にすることは無いかと思って開こうと手に力を入れて耳を疑った。


「………………………………、」


 微かに聞こえる声。けれどそれは笑い声も含まれていて、けらけらと耳障りだ。言葉は上手く聞き取れない。けれど、ベルの事を言っているのは分かる。正確に聞き取れているわけじゃないけど、それでもどうしてか分かる。


「…………────────」


 そうか、このヒト達か。


 漠然とそう理解して教室のドアを荒々しく開く。目が合って、四人の女子の顔は少しだけ青ざめた。わたしが来ることは予想外だったのだろう。杖の存在にも気付く訳が無い。どうしてわたしがここに居るのかも分からないけど、まずい状況なのだとすぐに理解出来たらしい。


 どうでも良い。そんな奴らなんてどうでも良い。関わりたくも無いし話をしたくも無い。


「あんた、アリシア様の娘ってな」


 気の強そうな金色の髪をした子がわたしに声を掛ける。無視しても良いけど、こういうのは無視しても突っかかってくるだろう。


「それがどうしたの?」


 語気を強くして言葉を返す。アリシアさんの娘、それは間違いじゃないのだから、それがどうしたって言うんだ。


「羨ましいとでも思ってるの?」


「…………何だよその言い方」


「何も思わないんだったらわざわざそういう事聞かないでしょ。あぁ、それとも、ベルが死んじゃって新しいターゲットでも探してるの? 本当に、クズなんだね」


「お前、状況分かって言ってんのか? こっちは四人なんだぞ?」


「四人だろうが八人だろうが十二人だろうが関係ないでしょ。それに、否定しないんだね。そんなんじゃ、レグナードは振り向いてくれないよ。いや、眼中にも無いんだから振り向くというより、認知してもらうのが先か」


 敵には威嚇して威圧しろ。言葉を強くし、気を握りつぶす勢いで持って絶対に離すな。アリシアさんの教え。こいつらがベルを虐めていたというのなら、わたしは……っ。


「あのさぁ。黙って聞いてたら面白い事言うじゃん。アンタも同じことされたいわけ?」


「っは、出来ない癖に大口だけは叩く。面白い事言うのはキミの方だよ。知ってるよ、わたしの事尾行して、家特定してさ。アリシアさんの家だって分かって何も出来なかった軟弱者じゃないか。それとも、もう後戻り出来なくなった? ヒトを殺した感触はどう? 最悪? それとも腐ってるし最高とでも言うの?」


「……アンタ、狂ってるのか?」


「ヒト殺しておいて平気な顔してるキミ達の方が狂ってるでしょ。良くもまぁベルが首を括った机に平気な顔して笑いながら座れるモノだね?」


 凄い、思ったよりも言葉がスラスラと出て来る。自分で思っているよりもかなりイラついているんだろう。握りしめた拳が彼女達に向かっていないのは奇跡かもしれない。手元に杖が無くて正解だった。無茶苦茶な術式も中途半端で未完成な魔法でもヒトは簡単に傷付けられる。


「…………アンタ本当いい加減に……ッ!」


 背筋を悪寒が舐める様に走る。


「…………………………………ッ」


 それは四人組から送られてきたモノじゃない。わたしの背後。丁度廊下側から。プレッシャーというよりも、悪意そのモノが具現して、わたしの背中を這うようにしているような。


 現に四人組の言葉も途中で途切れた。最悪な予感がする。心の底を這っていたモノが登ってくるような感覚。痛みを伴わない恐怖は、手の付けようが無いくらいにどうしようも無くて……。


「…………────────ッ」


 本物の恐怖に直面した時、ヒトは悲鳴さえも出せないらしい。黒い何かだった。ズズズ、と体を引きずるようにして、ソレはゆっくりと教室へと侵入してくる。


 大きな塊だ。ただ、意味が分からなかった。気配は、魔力回路は、その匂いは。


「……………………べ、る……? …………………………ッ!」


 立てかけてあった杖を強引に手にして思いっきり地面を突く。前に見た、あの魔導士が使っていた魔力障壁。原理も構造も骨子も分かっている。なら、出来るッ!


 ソレは大きく口を開けて、


「■■■■■■■■■■■■──────────ッ!!」


 獣のような咆哮だった。怨嗟が籠った、それだけで気圧されそうな程の。開いた口に魔法陣が浮かび上がる。


「…………………………ッ、!」


 構築急げ。魔力障壁。魔力を外に放出してそれによって簡易的なバリアを作り上げる。魔力一つ一つを並べて……ッ。


「出来たっ!」


 わたしと四人組を覆う様に、魔力障壁が展開される。同時にソレの魔法が構築され、放たれた。火球。たぶん名前なんて無い。アレに魔法自体を構築出来る理性は残っていない様に見える。だからあれはたぶん、汎用魔法でも何でもない、ただのソレのオリジナルだ。


 火球は魔力障壁にぶつかると爆発を伴ってわたしの体を揺らす。威力が高すぎる。まともに受けたら即死だ。周りの椅子やら机の木の部分は一瞬で燃え尽き、鉄は溶けている。熱された空気が喉を焼きそうだ。息がしにくくて、窒息してしまいそう。


「……………………、ベル、なの?」


 黒いそれは確かにベルの匂いがする。ベルの魔力を感じられる。けれど存在していいはずが無い。あるはずが無い。だって死んだんだ。わたしの目の前で首を……ッ! だから、あり得るはずが無い。あり得てなるものか。彼女は死んだ。そうだろ……ッ!


「逃げよう。誰か先生でも呼べば……」


 四人組の誰かが呟いた。こんなの、先生でも相手出来ないんじゃないか? けど、逃げるのには賛成だ。でもどうやって?


 黒い何かは、わたしをじっと見つめて……? 違う、わたしの後ろ。四人組をじっと睨んでいる。目は無いし耳も無い。口を開いたと言ったが、そもそもあれが本当に口なのかどうかも分からない。生物として破綻しているように見える。まさしく化け物。なのになんでベルの匂いがするんだ……?


「狙いが、わたしじゃないのなら……」


 わたしだけなら逃げられると思う。けれど、さっきの魔力障壁による防御によってソレの怒りを買ってしまった可能性が多少なりともある。それに、これがベルなら、わたしは……。


「──────────ッ」


 ポケットに入れてあった宝石を取り出す。秘匿結界、簡易グラーヌス、簡易イグニッション、簡易サンダーボルト……。どれもこの状況では使いにくいモノばかりだ。教室を壊してしまうのではないかという懸念もあるけど、そもそも魔法が効く相手なのかどうかもわからない。


 アレに実体は無いように思う。魔力ではなくエーテルの塊のような。物理で殴ってもすり抜けてしまうような危うさが感じられる。


 わたしはアレに類似しているモノを知っている。魂だ。アリシアさんが言っていた事が正しいのなら、あれは魂の様なモノであり、それが放つ魔法となれば、わたし達ヒトが扱うモノより高度なモノである可能性がある。単純にサイズが違いすぎる。全長十二メートル程あるその巨体全てがエーテルであるのなら、存在規模が違いすぎる。


 私はたぶん、この存在を形容する言葉を知っている。麗愛の物語に出てきた、被霊という言葉。たぶん一番当て嵌まっているのがこれだと思う。それだとベルの匂いがするのも頷けるんだ。でも随分と形が違う。


 そうか、被霊には恨み辛みという感情は含まれていなかった。けれど、この存在には恨みや殺意が感じられる。そもそもが魔女が生み出した存在だったはず。なら、この国に住まう魔女がしでかした事なのか?


「いや、今はそんな事どうでも良いか」


 これだけ考える余裕はあった。だけどこの間に行動を起こさないのは失態だった。誰か一人でも逃げられたのならもしかしたらチャンスはあったかもしれない。けれど、もう既に遅い。


 黒い被霊はわたし達を睨みつけていたけど、その口が再び開かれる。魔力障壁のやり方は分かってる。けれど、たぶんわたしのじゃ防ぎきれない。さっきのを加味した上でアレは魔法を放ってくると思うから、わたしの練度じゃ足りないと思う。


「…………………………、ッ!」


 避けられない。この部屋から脱出しなければ確実に当たる。あの魔法は辺り一面全部吹き飛ばす程の規模だ。魔力量が桁違いだ。ベルの匂いがするだけで、本当に別物なんだ。


 四人全員盾にすればわたしは生きられるだろう。そんな選択できるほどわたしは腐っていない。それに、少しでもベルの匂いがするモノにヒト殺しなんてさせたくない。


 だから四人を全力で押して窓を押し割り二階から飛び降りた。この程度じゃ誰も死なない。そこまでヒトは柔らかくない。少し捻挫くらいならするかもだけど死ぬよりマシだ。


 ガッシャンッ! ガラスが激しく割れる音と共に、四人の悲鳴が響く。耳を貸す余裕はない。わたしだけ上手く着地して、後は知らん。ここまで来れれば逃げるのは簡単だろう。ただし、誰かが気を引けば、だけど。


 窓を割って飛び降りた先は、校庭。魔法実技講義の為に設備されたオヴィレスタフォーレの木を使った木人やらなんやらが並んでいる場所だ。遠距離魔法の実技を行うのもあって、かなり広範囲に場所を取っている。これならば、教室よりも広く色々と工面が可能だと思う。


「逃げるなら逃げて。死にたいならここに残って」


 短く告げて、杖を振り上げる。


「遠つ御空みそら煌々こうこう輝くかけまくしもかしこき星辰よ、御空を彩るく美しき精霊よ。貴方達が望むのなら、わたしの魔力を捧げよう。その代わり、一度ひとたびわたしの願いを叶えたまえ。あるべきは夢の始まり。罪知らぬ我らヒトは導かれ、我らヒトの血は繁栄せん。狂信に信奉に奉るは星の海。終端の星達よ、太陽に照らされ消え逝く星達よ、ここに、願いを叶えたまえ」


 祝詞。魔法を扱うモノにとって、意識を切り替える為や、そのまま魔法になる重要なモノ。わたしの場合は意識の強制遷移。全身を流れる魔力回路全てを認知しなれければわたしの魔法は中途半端なモノになってしまう。アリシアさんに教えてもらったモノで、多分にオリジナルが含まれている。アリシアさんなら、こういう祝詞は必要無いのだろうけど、普通の魔法使いなら、大きな魔法を扱う時大抵唱えることになる。


「炎雷よ、わたしのかいなと成りて……ッ」


 知っているだけの魔法。使ったことも無ければ見た事も無い。本で読んだだけの魔法だ。それでも何故だか、今なら出来ると心が叫ぶ。


 被霊は窓からにゅるりと身を乗り出している。十メートルを優に超えるその巨体は窓枠に少し締め付けられていたが、鉄なぞもろともせずにひしゃげさせその全体像を空の下に晒す。


「一つ、二つ、三つに四つ。収束し一つと成るは炎剣のくさびッ」


 眠っていた魔力回路が叩き起こされる。炉心が急激に熱を帯びて胸が燃えだしそう。生成された魔法陣が四つ。やがてそれらは一つとなって、魔法を形成しようと回転を始める。杖の先ではなく、わたしの右上辺り。形成されていくそれは炎の剣。雷はどうしたって? 知らん! 詠唱通りにわたしは詠んでる。たぶん作ったヒトがバカ!


 いや、もうそんなのはどうでも良い。使えたら今はそれで良いッ! 本来逃げ惑ってさんざ慌てふためいて情けない姿を晒すのが関の山。けれど、魔法が使える。戦えるのなら、わたしは存分にやってやるっ!


 形成された魔法が待機する。わたしが魔法名を呼ぶまで魔法は待機したままとなる。大きく息を吐く。緊張している。というより驚いている。わたしに使えるとは思っていなかったし、理論も構造も骨子も理解しているとは言えここまでの魔法をやれるとは思っていなかったんだ。出来るとは思ったけど、本当にとは思っていない。


 被霊は窓から飛び降りてわたしの眼前に着地する。


「……ッ! グラーヌス──ッ!」


 杖を前へとかざし、炎剣を放つ。岩石の剣? 違う、本来のグラーヌスはこういう形なんだ。セニオリスさんやアリシアさんのモノがおかしいんだ。


 炎剣は真っ直ぐ被霊へと吸われるように向かって行く。同時に魔法障壁を展開してわたしに届く被霊に直撃し発生した衝撃を緩和する。それでも髪や服は激しく揺れる。地面が焦げる匂いを初めて嗅いだ。全身が震えている。ここまでの魔法が使えるのかという実感と恐怖。知識のみのわたしにとって経験は何よりのスパイスだけど、同時に恐怖だって孕んでいる。


「…………………………ッ!」


 それでも被霊はびくともしない。エーテルの塊だから魔法に耐性があるのか? …………、その場合、成す術はない。だけど、


戦火いくさび抜刀……ッ」


 杖に溜め込んだ魔力は三分の二を切った。グラーヌス一本でこれだけの消費量だ。長期戦になるとわたしは負ける。というか今現在死んでいないのが奇跡だ。本来絶対に敵わない相手。だけどなんでだろう。きっと、ソレは、手加減してくれている。


「……やっぱり、ベルなんだね」


 匂いだけじゃない。魔力回路だってそうだ。形は大きく変わってしまっているけど、中身は同じ。


「恨んでいるんだよね」


 杖に溜め込まれた魔力を出来る限り吸い出していく。分割思考なんてして居られるものか。


「………………………………」


 異形となった親友は、大きく口を開く。


「■■■■■■■■■■■■ォォォォォォォオオオ────────ッ!!」


 再びの咆哮。その口には魔法陣がいつの間にか生成されている。


「一は原初、二は始祖で三は終端。四は開闢かいびゃく、五は棄却。六は燃え尽き七は星と成る」


 戦火抜刀。知識だけの魔法。実践したこともなければ見たことも無い。だけど、やらなければ、死ぬ。例え相手がベルであっても、迷いは捨てろ、想いは要らない、生きる為だ。その為にわたしは──っ!


「全てを貫く槍と成りて、我が腕は放たんッ!」


 炎だ。一番扱いやすいのは炎。なんせイメージがしやすい。だから多分成功率だって上がるんだ。グラーヌスだってきっとそうだった。イメージが容易いから、ああして使えたんだ。だから、


 形成された六本の槍。グラーヌス程ではないけど、わたしの身長程の刀身をした槍だ。扱いによっちゃ剣とも取れるかもしれないけど、今回は槍。貫け、魂。斬れないのなら、貫くのみ……ッ!


 杖を前へと。放たれた魔法は被霊に向かって真っ直ぐ飛んでいく。


「────ィィォォォアァァアォアアア■■■■■■■■■■ッ!!」


 被霊の放つ炎の魔法とぶつかって、衝撃と熱された空気がわたしに届く。相変わらず息がしにくい。


 爆発だった。わたしと被霊の魔法がぶつかり合って大規模な爆発を引き起こす。焼けた土の匂いが先ほどよりも強くなり、巻き上げた小石やら土がわたしの肌にまとわりつくような感覚がある。


「──、く、ぅ。あ」


 杖から魔力を引き出したとは言え魔力回路には負担が掛かっている。無理をして魔法を捻りだしている状態だ、たぶんどこかしら魔力回路はイカれていると思う。だけど今更引き返せない。戦火抜刀によって使った魔力の量は杖に溜め込まれた全ての魔力に及ぶ。これ以上の長期戦は危険。だけど、それを被霊は許してはくれない。


「は、っぁ、────っぅ」


 杖で体重を支えながら立つ。無茶をした魔力回路が悲鳴を上げて痛みを伴って救難信号をひっきりなしに叫んでいる。


「キミがベルなんだったら、どうしたら止まってくれる……っ?」


 話が出来るのなら一度で良いから止まってくれ。どうせ効果はあまりないとは言え、こうして魔法をキミに向けるのは……。例え化け物であっても嫌なんだ。


「全部が全部ベルの魂ってわけじゃないんでしょ、これ」


 ヒトの魂は絶対に増大することはない。増幅するのであれば、たぶんわたしの魂は今頃爆発していたはず。だから、この被霊は周りのエーテルを吸って、成長しているのか……。そもそもなんでこんなモノがここに居るんだ?


 態勢を立て直して、深呼吸。炉心を廻し続けて熱を帯びた胸の所為で体温も上昇して少し汗ばんでいる。杖を握り直す。言葉は届かない。その獣の様な咆哮を以てして、再び魔法陣が生成される。


「…………………………ッ!」


 やるしかない。やらなければ死ぬ。選択しろ。決めなければならない。二度と迷うことは許されない。ベルをヒト殺しにしてしまう訳にはいかない。その為ならば、わたしは……ッ!


「キミを、叩き潰す事になろうとも──ッ!」


 ……………………、杖をかざす。死ぬ事は許されない。それは彼女をヒト殺しにしてしまう。かと言って逃げることも出来ない。上等だ。何者かによってこうなったのであれば、その根元事ぶちのめす。それくらいの覚悟を持て、わたしッ!


 残りの魔力はわたしの中にあるモノだけ。あれを全て消し飛ばす程の魔法はわたしには扱えない。理論や構造、骨子は理解していても技量が追い付いていない。先ほどから全身が痛みを叫んでいるのはその所為だ。だからどうした。痛みなんて今更気にするモノじゃない。思考は一つ。他は要らない。全てシャットダウンしろ。


「炎雷よ、わたしの腕と成りて、……っ、あ。が、────ぁ、……一つ、二つ、三つに四つ。収束し一つと成るは、炎剣の楔……ッ」


 わたしの中に存在する魔力はそこまで多くないはず。グラーヌスをポンポン放てる程の魔力は持っていない。けれど、やらねば。


 炉心よ廻れ。廻って廻って、焦げ付いても構うもんかっ!


「──────、ッグラーヌス……ッ!」


 被霊の放つ魔法に合わせぶっ放す。炎弾と炎剣は交わって爆風を伴って破裂する。ベルにここまでの魔法使用が出来たのだろうか。それとも何かが、まとわりついているだけで……。


「考えるなッ!」


 鈍る。そんなの後で良いッ。ただ目の前のソレをぶちのめす事だけを考えれば良い。それくらいでようやっと……ッ!


「は、ぁっ、……ぅ、っあ」


 魔力が急激に減少した事による酔いが回って来た。視界がグラついている。普段ここまでの魔力消費なんてしないから体が驚いて拒絶している。これ以上の魔法使用は危険であると訴えてきている。だけど、それでもわたしは、進まなければ。


「……っ」


 杖をかざす。ふらついた足で立っているのもかなりキツイ。それでもこの眼で被霊を睨む。


「……、ベル、キミがわたしを恨んでも仕方ない。わたしはそれほどの事をキミにしたんだと思う」


 そうだ。気付かなかっただけじゃない。レグナードの件だって、アリシアさんの娘だって隠していたことも、本当はただの冒険者の子だってことも。全部隠していた。だから、恨まれても仕方ない。だけど、それでも、


「恨まれても良いから、キミと友達で居たかった」


 信頼して、心から笑いあえて、一緒にご飯を食べて、勉強して卒業して、毎日は無理だけど、たまに会って談笑して。それくらいの夢も見ちゃダメだったのか? なあっ!


「…………………………………………」


 被霊は開きかけた口を閉じる。


「お兄さんの手伝いをするって言ってたじゃないか。憧れだったんでしょ、大好きだったんでしょ? なのに……ッ」


 たった四か月やそこらで、彼女の何が分かるというのか。馬鹿言え分かるに決まってんでしょうがッ! 隣に居た。ずっと、ずっとキミの隣に居た! だから、………………………………………………。いや、そうか、何も、分かっていなかったんだ。分かった気になっていただけだったんだ。


「キミは底抜けに良いヒトだから、わたしに相談したら困らせちゃうって思ったんだよね」


 キミは強いから一人で背負いこもうとして、押し潰されてしまった。


「今更だ。全部今更言い訳がましいかもしれない。だけど、キミが居なくなるくらいなら、相談して欲しかった。困らせて欲しかった……っ! 友達ってそういうモノじゃないの……?」


 知らない。ライラしか居なかったわたしにとって友達とは本の中の出来事だ。だけど、実際に経験したベルとの事は、それ以上に楽しかった。本で綺麗だと思ったモノは確かに綺麗だったけど、でも現実はもっと綺麗で……。


「…………ィィィイイアッァァッァアアアァッァアァァァッァ■■■■■■■■■■■■■■────────ッ!」


 崩れている。彼女の体が少しだけ歪んで落ちて形が変わっている様に見える。魔法の影響? いや、でも何も……。


「ミーシャちゃん」


 アリシアさんの声がした。そうか、ここまでばかすか音を立てたらアリシアさん達なら気付いてすぐに駆け付けてくれたのか。


「よく頑張ったね。ここからは……」


「いえ、わたしがやります。わたしがやらないといけないんです。大丈夫、わたしは貴女の娘。きっと出来ます。それに、ベルは、わたしが、」


「……………………………………っ」


 アリシアさんの顔がくしゃくしゃになって、その瞳に涙が浮かんでいる。これは、わたしが選んだ道だ。


「辛い、想いをさせてごめんね」


「──────────、辛いのはわたしじゃなくて」


 ううん。確かに辛いかもしれない。でも、もう良いじゃないか。何もかも煩い。そうだ、これはわたしが決めて勝手に辛い思いをしているだけ。アリシアさんは何も悪くない。辛さなんて感じる必要はない。


「わたしが、選んだ道です。辛いのは、わたしだけで良いんです。だから、泣かないでください」


 口下手なりにアリシアさんに思いを伝える。最初から出来ていたら、きっともっと綺麗に進んだんだと思う。ごめんなさい。弱かったんだ。ずっと逃げていたんだ。そうすればわたしだけは楽になれたから。


 アリシアさんは大きく目を見開いて、頷いた。


「魔力をあげる。キミの決意を無駄にしない為にも、きっちり受け取って」


「……え? あげるって、どういう…………っ」


 体の熱が冷めていく。急激な魔力消費に追いつこうとしたわたしの炉心がその動きを通常運転に切り替えたんだ。代わりに見知った魔力が溢れていく。


「行き先は全部杖になるから安心して。キミはキミがしたいようにすると良い。私とオリちゃんは見守るよ」


 撫でられるということにも随分と慣れた気がする。だけど、なんというか、いつもより優しい様な気がした。


「ありがとうございます」


 わたしの魔力回路に魔法図書館みたいな能力があって、発現するなら今だ。分割思考は何の為にしてきたのか。何の為に魔法を練習してきた。何の為にアグニを使い続けた? 考えろ、最善の手があるはずだ。一歩、また一歩着実に進む為の理由がッ。


 杖をかざす。使い方はまだ分からない。起動方法が分からないのだから、会っても無くても同じだ。でも、たぶんわたしは魔法図書館を使わないとアレには勝てない。アリシアさんに貰った魔力だって有限だ。だから、これから使える魔法はもっと収縮して、不必要な部分は削る必要がある。


 剣である必要はない。槍である必要はない。大きくある必要も無い。結局は性能よりも見た目が重視されている汎用魔法じゃ、この先戦えない。


 知識と理論。骨子と決意。そして魔力。わたしに必要なのは十分揃っている。教養魔導書は既に頭の中に暗記している。アリシアさんに貰った本も全て記憶した。理論も構造も骨子も、どうすれば魔法が発現するかも理解している。


 必要なのは炎。ただ燃やせばいいという思考だけでかなりの幅が用意出来る。剣である必要は無いんだ。それこそ線や点で良い。だから必要な理論は……。


 いや、ダメだ。纏まらない。わたしにそこまでの練度は無いらしい。だったらどうやって魔力を温存……


「ィィィァイァイアァァァァアッァァァアアアッァァアォッォォッォォオオッォオオ■■■■■■■■■■■■■■■■■ァァァアアア────────ッ!」


 咆哮があった。魔法が来る。考えている暇は無い。迎撃……いや、避けるッ! アリシアさん達ならこれくらいの魔法平気だろう。あの四人組もいつの間にか居なくなっている。


 逃げることは出来ないが避ける事くらいなら出来るはずだ。わたしは獣人。猫虎族。野性的な動きなら慣れている。屋根の上に登ったりするのは違法行為なのでそういうのは出来なかったけど、元来、獣人とはそういう種族。初代モッフモフゥの王、レグド・ベラトールはその力を使って『ジャバウォック』を撃退したという。正しくは勇者の力も借りたようだけど、それでも大いに貢献したのは間違いないはずだ。


 獣王が使ったのは出来ないけど、真似事なら出来る。獣人、セリアンスロープでもライカンスロープでも持つ種族特有の力。鷲鷹族は少し違うけど、犬狼、猫虎、兎飛であれば誰しもが持つモノ。有り体に言えば身体能力の強化。


 御託は良いか。使えるモノだから使うんだ。全身に力を籠める。魔力を籠める必要はない。血がなんとかしてくれる。地面を強く踏みしめて、思いっきり蹴り上げる。大きく飛び上がった体は、放たれた炎球をスレスレで避ける。熱風がわたしを襲うけど、やけどする程じゃない。


「…………っ」


 着地して走る。当たれば死。魔法とはそういうものだ。だから基本的に避けるか魔力障壁か、耐性のある防具を着るのが正解。結界で防ぐヒトも居るみたいだけど魔力量と効果が見あって無い。それなら魔力障壁でいい。見た目の良さだけを重視するなら多分結界なんだろうけどさ。


 止まって固定砲台になるか、移動しながらになるか。そんなの移動しながら一択だ。幸運なのは被霊の動きがかなり遅いことだ。これなら、止まらずに居れば被霊の照準もわたしには合わない。


 ただ問題なのは、わたしが走りながら詠唱が出来ないということ。だって集中出来ないんだもん。移動しながら詠唱を行えるのはそこに居るアリシアさんとか教会魔導士レベルじゃないと無理だ。わたしが無知なだけかもしれないけど、移動しながら魔法を扱うなんて冒険者は聞いた事が無い。そんな才能を持つならわざわざ冒険者にはなってないと思う。


 被霊が口を開く。最早咆哮も無しに魔法陣が生成されだした。予備動作みたいなそういうモノじゃなかったのかよ。アレにあった手加減が無くなっているように感じる。あれだけのエーテルの量なら、魔法の多重発動なんて容易だろうに、そこまでの思考回路が存在していないのか? いや、ベースがベルであるなら、分割思考を知らないはずの彼女だから、一発一発重い攻撃をぶちかましてくるのか。


 避けて避けてまた避けて、キリが無い。時間を稼いで何になる。攻撃しなければ何も起きない。被霊は、どうすれば倒せる? 麗愛にて現れた時は、祈りによって浄化され魂は冥界に返されたという。だけどわたしに祈りなんて崇高なものが出来るとは思えない。


「どうすれば……っ」


 祈りとは主へ捧げる敬愛の言葉。けれどわたしはシンジュルハはおろかアルストエヴァーさえも信じてなんかいない。そんなわたしが捧げる祈りとは誰に捧げるものだ。


「…………埒が明かない」


 魂だ。彼女の魂があの中に在るはずなんだ。被霊はそれを核として動いている。理屈は分かる。だから、……………………そんなの出来る訳無いでしょ……ッ! 魂を破壊してしまえば、彼女はどうなる。現世からは消滅するだろう。被霊は解決される。だけど、魂の還り場である冥界にさえも、辿り着けないんじゃないのか……?


「……、っは、ぁ」


 息が切れてきた。運動不足が祟って動きが鈍っている。もっとランニングとかしておくべきだった。あれだけじゃ本番に必要な体力は補えていないらしい。そもそも体力消費の激しい身体能力の強化だ。


「……っ、く、ぅ」


 知識を終結させろ、知恵を絞れ……っ! どうすれば止められる。どうすればベルを助けられるッ! 考えろ、考えろ、考えろ考えろ考えろッ!! 何かあるはずだ。必ずどこかに答えがあるはずだッ!


「…………………………………………」


 何も無いのか……っ、麗愛にヒントは残されていないか? 教養魔導書はどうだ。アリシアさんに貰った魔法理学の手引き本には? 魔法全集は? わたしが生きて来て経験したことで、何か……ッ。魂とはエーテルの塊。魔力はその老廃物によって生まれる。


「……………………なんで、エーテルに彩が付いているの?」


 そうだ、最初からおかしかった。エーテルはヒトの眼には見えない。だからベルの匂いも魔力回路も感じられるはずが無かった。なのになんであれは黒という明確な認識が可能なんだ? あれは、本当にエーテルなの?


「……………………、」


 エーテル以外にヒトには扱えないモノ。それは何か。


「そうか、魔素……っ!」


 だからなんだ? 魔素という事が解った所で結局成す術が無い。結局魔法を撃っても耐性があるから耐えられるだけだろう。わたしが彼女に出来る事は、なんだ。


「…………っ、! 一は赤色せきしょく、二は黄色おうしょく、三は白色はくしょく、四は青色せいしょくことごとく灯しわたしの道を照らせ。嗚呼ヒトと共に歩みヒトと共に常に在る炎共よ、ここ一度ひとたび希望を灯せ……ッ!」


 生成された魔法陣から炎球が形成されていく。それは赤色から黄色に変化し、更に黄色から白色、白色から青色に変化し、その温度を上げていく。炎自体も自転を開始し空気を取り込みながら規模を増す。


「グランビュート……ッ!」


 撃ち出された炎球は目にも止まらぬ速度で被霊へと向かって行く。着弾し、目を覆う光が届く。


 ッッッッッド、という所まで音は聞こえたけど、そこからは無音だった。あまりにも大きすぎて鼓膜が破れたのかと思う程だ。チカチカする視界の中で被霊を見る。かなりの威力だったはずだけど、あまり効果は見られない。


 先ほど溶けて崩れていた部分もいつの間にか直っている。火力が足りないのか、そもそも魔法自体無駄なのか。わたしじゃ力不足なのは分かってる。だけど今更それだけが理由でやめられないしやめたくない。勝ち負けって概念があるのかも分からないけど、それでも、もう、進むと決めたんだ。止まることは出来ない……っ!


「っぁ、は…………ぁ、っ!」


 心臓辺りを右手で抑える。炉心が再び熱を帯びる。魔力回路への負荷が尋常じゃない。全身の痛みは魔力提供を受けても治らない。朦朧とする意識を痛みが叩き起こす。


 左手で杖を突いて、体を支える。被霊は怯みもしない。


「く、っそ……」


 …………ダメなのか? 結局、決めた事さえもわたしは全う出来ないの? 力が入らない。痛みが邪魔をする。シャットダウンしたはずの思考が再び鮮明に浮かび上がってくる。精神的に参っているなんてそんなのは前からだ。


 嫌だ。弱いままなんて嫌だ。考えろ、知識を集めろ、知恵を絞れ……ッ! ベルを助けて、それで、色んなしがらみもどうにかして解いて、そんで、ライラと……!


「ぁ、っぁ、ぁあっ!」


 杖を振り上げる。上半身ごと持ち上げる様にして左腕で杖を思いっきり突く。わたしのダメージは殆ど自傷によって出来たモノだ。ベルに負わされたモノじゃない。それなら良い。ベルがヒトを傷付けるなんて、そんなの嫌だ。


「絶対に、負けない。キミが一度でも笑ってくれるのなら……、もう二度と話せなくても、冥界で笑ってくれるのなら……ッ! わたしは……っ!」


 覚悟を決めろ。死んでも良いなんて思わないけど、ここで全部使って倒れるくらいなら全然良いッ! 死ぬ気でやれ、助けるんだろッ! もう二度と迷わない。


「…………、は、ぁ」


 大きく息を吐く。切り替えろ、もう、必要の無いモノは全てここに置いて行け。わたしが何故神子候補に選ばれたのか。わたしが何故アリシア様の養子になったのか。何の為に覚悟した。何の為に決断した。何の為に進む。うるさい。今は要らない。全部置いて行く……ッ!


「使い方が分からないとか言ってられない。やるったらやるんだ……っ!」


 図体ばかりに囚われるな、動きは遅いし、デカイから当てやすい。落ち着けば必ず魔法は当たる……ッ。


「神子になるだけなら、分割思考なんて覚えなくても良かったはず。なんでアリシアさんは丁寧に教えてくれたのか。必要だからなのは間違いないけど、じゃあそれは何に必要だった?」


 考えるまでも無い。わたしの魔力回路に備わっているモノを起こす為だ。だったら、起動方法は分割思考と殆ど大差無いはずだ。アリシアさんの言葉通りなら、わたしの魔力回路には今まで使った魔法の理論、構造、骨子が記録される。それを直接呼び起こして魔法自体をその場に発現させる。特異能力と言っても過言じゃないモノ。


 被霊は落ち着いている。何故か先ほどから攻撃を仕掛けてこない。


「………………、っ、は──ぁ」


 息は依然切れたまま。だけど、十分休まった。炉心よ廻れ。この一瞬の為だけに、わたしの全てを……ッ!


「あるもの全部持ってけ! リソースなんて気にするな。魔力切れ程度じゃわたしは死なないっ! わたしの経験と知識、その全てを結集させるッ。必要なのはイメージ。わたしの中にある魔法の記憶を現実に引っ張り出すッ!」


 全身が熱を帯びる。これは炉心によるモノじゃない。アリシアさんに貰った魔力もまだ残っているから、炉心だけじゃここまでの熱は帯びない。心臓が高鳴っている。響く鼓動はわたしの寿命を浪費するが如く早く強く打っている。たぶん気のせい! 寿命なんて減ってたまるか。


 杖をかざす。本来杖なんて必要ないんだろうけど、この方がイメージしやすい。魔法とは結局イメージが成す業。


 ぼやけたイメージに自分が使ったという経験を元に輪郭を描いていく。魔力回路が熱を帯びている。眠っていた機能が急に叩き起こされて体が驚いている。十二年間全く使ってこなかった、在るとも意識していなかったモノ。そんなモノを急に使おうとしてるんだ。何かしら弊害が出たとしてもそれは仕方ないと飲み込むしかない。動きそうなだけマシだ。


「、ぜ、っは──ぁ、……、は、ぁ」


 集中しろ。体の疲労は今は気にしなくていい。わたしが彼女に出来る最大の事を今ここで……。


 わたしの中で強力に印象づいている魔法。それは、


「グラーヌス……っ」


 魔力回路がズタズタに傷付いている。わたしが扱える魔法の域を超えている。例えそのままテクスチャを貼って具現出来るとしても、扱う技術は一級品。経験不足、実力不足のわたしが扱えばそれだけのリスクが表出る。


「が、ぁ、────ぜ、ぇっ……はっぁ──っ、」


 体全体をのたうち回る痛みに意識が霞む。その度に、更に別の痛みの波によって起こされる。気絶さえも許されない。だけど好都合、こんな所で気を失っては本末転倒っ!


 わたしの後方に、セニオリスさんがしていた様にグラーヌスが数本展開される。詠唱なんてモノは必要無い。ただ、反芻すれば良い。わたしにとって魔法とは、一度使って記憶するモノ。詠唱を通して作られた魔法そのものを記憶したのなら詠唱なんてものは不要ッ!


 炎剣が五本、これが限界。戦火抜刀の様な状態でグラーヌスを待機させる。わたしの技術と魔力ではこれが限界だ。寧ろ五本も出せただけ奇跡に等しい。


 グラーヌス一本で、杖に溜め込んだ魔力三分の一を持って行く。本来これをポンポン撃つというのはあり得ない事だ。それを五本だけでも可能にしたのは僥倖。これだけの火力で押し切れないなら、最早打つ手は無い……ッ!


「は、ぁ────ァァァァァアッァアァァァァアアッァアァァアッ!」


 雄叫び。痛みを掻き消す様に叫んでグラーヌスの固定を外す。撃ち出し放つ。五本を一度に全て射出する。目にも止まらぬ速さで駆け抜ける五本の炎剣が被霊へと真っ直ぐ向かい────


 わたしの視界は光で埋め尽くされ、聴覚の機能が一瞬停止した。伝わってくる衝撃はわたしの体を少し浮かしてしまう程だった。グラーヌス五本の完全同時攻撃。威力は見てわかるくらいとてつもないはずだ。ヒトに向けたらたぶん消し飛ぶんじゃないだろうか。


「は、ぁ────く、ぅ…………っぁ、あ」


 膝を着く。もう立っていられない。魔力切れ。そんなの分かってる。問題は、


「……………………っ、!」


 まだ被霊は被霊のまま座しているという点で……。


「わた、し……じゃっ、届か、ない……の?」


 わたしじゃキミを助けられないのか……っ! 望まれていないことだって分かってる。だってキミはわたしを恨んでいるんだろうっ? だからわたしの手なんて拒否して当然だ。だけど、だけど……ッ!


 杖に体重を預けながら、震えた足で立つ。視界がグラグラ揺れている。霞んだ視界でギリギリ認識出来るのはぼんやりとした色と光。


「っあ、……っ」


 立った足がバランスを崩してまた膝を着く。最早立つこともままならない。魔力が足りない。体力が足りない。魔力が必要だ。炉心の熱は冷める事無く勢いを増す。全身を覆う筋肉痛の様な痛みと葛藤しながら、杖だけは離さない。


 アリシアさんはじっと見ている。隣に居るセニオリスさんもじっと見守ってくれている。これは、わたしが選んだ道。わたしがした選択だ。だから、わたしが決着を付けなければ。


「ま、ほうは、意味……無いっの……?」


 右手を地面に着いて無理やり体を起こそうとする。がくんっ! と肘が曲がって、危うく顔から地面に激突する所だった。ボロボロだ。彼女の攻撃は一度も受けていないけど、自分の技量以上の魔法を使い続けたせいで、魔力回路はズタズタだし炉心は熱いし、思考は鈍っている。


 このまま居ても死ぬ。だけど、被霊はわたしをじっと見つめて動かない。どうして? キミはわたしを恨んでいるんだろ、今がチャンスじゃないか。わたしはこんなにも弱っているんだよ? 今しかないじゃないか……っ!


「ぐ、ぅ──ぁ、ぜ、……あ、はっ」


 もう一度腕に力を込めて立ち上がろうと試みる。立てる、だろ。まだ終わってない。自分の決意を無駄にするな。力を籠めろ、立ち上がれ、炉心を廻せ。魂を、糧に……ッ。


「ぐ、ぁ、……、っあ、わっ」


 膝が曲がる。どれだけ力を込めてももう立ち上がる程の力は残っていないらしい。杖を握る手にも力が入らなくなってきた。


「く……そ、わたしは、……わたしは……ッ」


 どうしても、届かないの? なんで、ここまで来て……ッ。アリシアさんに教わった事全部使って、それでもまだわたしは弱いままなの……っ!?


「いや、だっ。わたしは、絶対、ベルを……ッ」


 拒まれているのは分かってる。恨まれて当然なのも分かってるッ! だけど、友達なんだ、信じていたんだ。友達として、好きだったんだ。優しかったんだ。安心したんだ。わたしなんかより強くて、わたしなんかより可愛くて、だから……。そんな子にこんな姿のまま居て欲しくない。誰かを呪うまま果てて欲しくなんて無い……ッ!


「あ、─────────ァァァァァッアアァッァァァァァッァァッァアッァァッァアッ!!」


 諦めるな……ッ。ここで全部使うんだろッ! だから、だから……ッ。魔力を、炉心を、魔力回路を……。


「……ぁ、」


 意識が、もう保てない。全身が叫ぶ救難信号に頭の処理が追い付いてない。


「べ、る……」


 聞こえているのなら、聞かせて欲しい。キミの声を、明日のお昼は何食べようとか、次の授業は何だったっけとか、そんなくだらない雑談を沢山しよう。なあ、ベル。そんな日常が好きだったのは、わたしだけだった……?


「…………………………」


 ………………………………あぁ、あるじゃないか。魔力、目の前に。沢山。エーテルから魔力に変換される中間地点。ヒトには扱えない、魔力とは別のモノ。中間地点なら、変換し直せる……んじゃないか?


「………………………………………………………………」


 ドサっと前方に倒れ込む。カランっという杖が倒れる音が少し遅れて聞こえた。左手はベルへと伸ばして、わたしは、まだ……っ。感情は、前に進む為の足枷だと言う。引っ張られ続けて戸惑い続けてそれで前に進めたかと言われれば、それは、違う。前になんて進めなかった。ずっと足枷なだけだった。どうやって前に進むって言うんだ。


「…………………………………………」


 わたしは負けない。負けられない……っ! 意識を保て、全身に力を籠めろ、炉心を廻し魔力を……ッ。


 目の前の塊に手を伸ばす。


 感情が足枷ならば、何によって背中は押されるというんだ。誰かの声援か? 誰かの生き様か? 誰かへの憧れか? ……そんな馬鹿な。それら全て一種の感情だ。結局ヒトの全ては感情に帰結する。


 だから、わたしは、わたしの意思でこの足を前に進めたんだ。これもまた感情で、言ってる事全部矛盾だらけだけど、ヒトなんてそんなものだ。


 力無い指先で地面をなぞる。恨みと怒りと憎しみが彼女をここまで肥大化させた。その責任はわたしが取る。わたしが今この状況で出来る唯一の事。それは攻撃でも無ければ、最早魔法ですらない。魔力を補うには魂の老廃物を炉心が加工するまで待つしかない。それが、聖方での考え方だった。


 現代魔法は違う。減速魔力とは炉心が生み出す不可解な物質であるという認識は変わりない。どういう物質か分かっていない癖に理論だとかそんな偉そうにのたうち回っているヒトが大量に出てきたのも現代魔法の分かりやすさが原因だと思う。だけど、一つ厄介な性質がある。


 オーバーロード。炉心の役割を魔法陣に押し付ける事の出来る性質。


「……、は、ぁ。……ッ」


 最後の全力を振り絞って、地面をなぞる指を一生懸命動かして──オーバーロードの仕組みも分かって来た。そう、被霊だ。オーバーロード、過重魔法陣は周囲のエーテルを直接魔力に変換するんじゃない。疑似的な魂を作り出し、強制的に成長させ老廃物を作り出し魔力を得る。正直言って、あまり良いモノじゃない。そして、その創り出された魂はどこに消えるのか。


 ……通常ならそれら魂は疑似的なモノですぐに外エーテルに融解して消えてしまう。生命として数えられる程完成していない。だけど、もしそれが何らかの形で残ってしまっていたら。今回のベルはたぶんそういう様な理由でこうなってしまったんだと思う。


「…………、っぜ、ぁ。は……ぁ」


 震える指先は魔法陣を描く。オーバーロードの構造は理解している。だけど、今回はエーテルじゃない。あの被霊を包み込む魔素。だから、通常のオーバーロードよりも術式は単純で良い……っ。


「が、ぁ、ふ……ぅ──っ」


 痛みに震えながら、その指先は描き切る。


 ここは学校だ。様々なインフラが整った至高の学園。インフラを整えるというにはそれなりの魔力が備わっている。その源は何か。地下に組み敷かれた簡易地脈とも呼ばれる魔力回路。ここから学校への魔力提供は行われている。学校に通っている魔力回路は多いんだ。


「……、接続──かい、し」


 これで、良い。物理魔法陣。本来水銀等の触媒が必要な行為。だけど、そんなモノは無いから、触媒無しで行うしかない。その結果、色々と副作用が起きるだろう。だけどもう遅い、わたしの意識は途切れる。あと数秒で完全に闇に呑まれる。その、前……に。ベル…………キミ、を。

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