033

「はぁ……」


 溜息を一つ。ベルは学校に来ない。フラれて、それから来ない。彼女にとってそれだけ大きいヒトだったんだろうか。それくらい大切だったんだろうか。まるで、彼女にとって唯一の支えだったかのような。まだ十二歳やそこらの歳で、そこまで思いつめた恋愛をするモノなんだろうか。……いや、わたしもきっとライラとのことを考えると否定なんて出来ないんだろう。


 ……、家の手伝いが忙しいだけ。なんて理由であればどんなに嬉しいか。きっとそうだ。そうに違いない。そうじゃないと、罪悪感で押し潰されそうだ。直接じゃないとはいえ、わたしの所為だ。幾ら取り繕っても結局結論は変わらない。わたしの所為でベルが来なくなった。


 それを分かっていて、好きだと言ってくれた相手をフッた癖に平気な顔して話す。わたしの人見知りは、たぶんフリだったんだ。逃げる為の口実だ。人見知りだから、自分から話し掛けなくて良いし、優しくしてくれる。だけど、もう、いい加減変わらなきゃ。いつまで経ってもライラと会えないままだ。これ以上、耐えられない。ライラに会いたい。ライラと話したい。抱きしめたい。もうずっと一緒に居たい。けれど、今のままじゃダメ。人見知りを辞めたから会える? 無理。まだダメだ。わたしは、まだ決めてない。弱いを言い訳にして、まだ決めかねてる。わたしには無理、そう思うけど、色んなヒトに期待されて、手放しに無理だとは言えない。


「どうしたの、ミーシャちゃん」


「…………なんというか、わたしはどうしたら良いんだろうって迷っちゃって」


「そっか」


 リビングで仕事の資料を読んでいるアリシアさんは、わたしの方を見ずに話し掛けて来る。帽子は脱いでいる。家で仕事してるなんて珍しい。


「ま、思春期だからねぇ。悩みは尽きないよね」


「ですねぇ」


 その半分くらい貴女の所為ですよ。とは言えない。まあそれ含めて神子になってというお願いなんだろう。彼女はわたしに神子になって欲しいとは思ってるけど、強制はしてくれない。強制してくれって懇願したけど、彼女は成れとは強制しない。わたしは成れと言われて何故? と理由を教えてもらった。他の国であれば、わたしの様な者に決定権は無く、わたしは強制的に神子になっていると思う。本当はわたしに機会が与えられただけありがたいんだ。わたしじゃなくて、他のヒトなら、きっぱり決断出来たと思う。


「家でお仕事なんて珍しいですね」


「あぁ、うん。これは仕事というより頼まれごとでね」


「頼まれごと?」


「ん~、まあ、知り合いにね」


「余計珍しいですね。仕事じゃなくて頼まれたってだけなのに」


「そりゃあ、私だってそこまで薄情じゃないさ。今回はちょっと気になることもあるし」


「気になる事……?」


 相変わらず重要な事は何も言わない。守秘義務があるのだろうけどさ。気になる事だけ言って何も話さないのはずるいと思うんだ。聞いたわたしが言うのもなんだけど、さ。


「ミーシャちゃんは、宗教には詳しい?」


「宗教……ですか。カミサマとかどうたらってやつですか?」


「そう。それ」


「えぇと、アルストエヴァーくらいしか……。聖典の内容が素敵だったので覚えています」


 素敵な話。アルストとエヴァー、二柱のカミサマの話。いつから存在するのかは知らないけどね。


「素敵、か。まあ大雑把に纏めるとあれは恋物語だからね。ヒトが何故ヒトなのかって大元の話。まあ真実では無いんだけどさ」


「真実ではない? まるで本当に真実があるみたいな言い方ですね。ヒトがヒトである理由が存在するんですか?」


「あるに決まってんじゃん。ま、これは流石に教えられないけどね」


「なんですかそれ。気になるじゃないですか」


 またこれだ。本気で気になったわけじゃないけど、そうやって知的好奇心だけを擽ってお預けするのはやめて欲しい。禁書庫に侵入したくなっちゃう。


「私が今調べてるのは宗教関連。この国に何の宗教が入り込んでいるのかって調査だね」


 アリシアさんは深く息を吐く。背もたれに体重を預けながら、少しめんどくさそうな顔をしている。彼女からすれば宗教なんて面白くないんだろう。何を知っているんだろうか。アリシアさんに何かを問えば制約さえなければ全て教えてもらえるような気がする。


「この国は商人が多いし、冒険者だってかなり居る。そうなると自然に多くの宗教が信仰される事になる。神を信じれば報われるなんて甚だ疑問だけど、そういうのは政治にとって諸刃の剣でもあるんだ。慎重に禁止すべきモノと尊重すべきモノを決めないといけない」


「カミサマって存在するんですか?」


「え、するわけないじゃん。してたら、きっとこの世界は皆幸せだよ。ばかばかしいにも程がある。…………と言いたい所なんだけど、実在するんだなぁ、これが」


「え、でも見た事無いですよ? わたし」


「神を見た事あるってそれもう教祖になれる逸材だよ。正確には神として定義するしかないモノが存在するって言った方が正しいかな」


「……? どういう事ですか?」


 トルガニスは龍神信仰の国だった。あれは宗教というより、何か、別のモノを感じるけどそれも宗教と呼ぶのなら、そうなるに至る理由があるはず。それがカミサマってこと? あれ、自分でも言ってることが良くわからなくなってきた。


「魔法には理論も理念も骨子も構造も関係無いって話したよね。覚えてる?」


「はい。おかげで気楽に魔法が使える気がしています」


「そか。そりゃ上々。カミサマもそんな感じだよ。ヒトの思いが具現化する、いわゆる創造魔法。偶然と偶然と偶然、あと百個くらい偶然が重なって出来た奇跡の魔法みたいなモノ。ヒトの思いが重なり、星を廻るエーテルが重なり、魔法と成る。何かに縋りたいという気持ちから生み出される人々の逃げ道さ。奇跡的にそれを見たヒト達がカミサマだなんて言って奉って聖典作って広めてるんだ」


「…………?」


「あるいは、聖典を先に作って、偽物を作るか、だね」


「えぇと……。つまりカミサマは存在する。ただしそれは偶然が幾重にも重なって出来た魔法で、カミサマではない……と?」


「聖典に語られるようなカミサマは存在しないってのが正しい。偽物を作るというのは一つにしか当てはまらないんだけどさ」


 カミサマは奇跡の産物の魔法で、それを見たヒトが勘違いして、高次元的な存在であると勝手に解釈して宗教が生まれたという事だろうか。


「なら今もどこかでその魔法は動いてるんですか?」


「いや、動いてないね。だからヒトの前に現れる事は二度と無い。だけど、例外が一つある」


「例外……。アリシアさんって、そういうの好きですよね」


「実際例外なんだよ。この世界には例外が多いんだよ。覚えておくと良いよ。そんでその例外が、シンジュルハの一つの宗派。ベスターだ」


「シンジュルハ、ベスター……。聞いたことありません」


「宗教に詳しくなければそれが普通だよ」


 どういう意味なんだろう。シンジュルハという神なのか。でも宗派って言ったよね。一神教なのかな。う~ん。分からない。まだまだ勉強不足だ。


「私はその例外だけは許さない。シンジュルハベスターだけは許してないんだ」


「えと、どういう事ですか? 偽物とか、許さないって……」


「許さないのは個人の感傷でもあるけど、偽物っていうのは、ベスターという神自体が偽物って事だよ。ヒトによって形を与えられた奇跡ではなく必然の戦神だ」


「必然の戦神……。良く分からないです」


「うん。少し難しい話かもね。今はまだちゃんと理解しなくていいよ。だけどいつか絶対、向き合う時が来るから、覚悟はしておくと良いよ。立場上、キミは宗教と密接に関わるかもしれないからね」


「はい。……それで、禁止するっていうのは、そのシンジュルハ……なんですか?」


 その言葉にアリシアさんは少し困ったような表情を浮かべて、


「うん。シンジュルハっていうより、シンジュルハの宗派、ベスターを禁じるんだけどね」


「どうしてです? 戦神って戦いの神ですよね。冒険者だったり騎士だったり、そういうヒトは信仰したりするんじゃないんですか?」


「生贄信仰なんだよ。人身御供を介してカミと接触を図る禁忌なんだ」


「…………いけ、にえ」


 ピンと来なかった。正直わたしから遠い話だから、そんな言葉を意識することは無いけど、その言葉の意味は知っている。わたし達は魔力を生贄にして魔法を扱っているとも言うから、そういう場面ではたぶん良く聞くんだと思う。けど、この場合は、人身御供と言った。カミサマにヒトそのものを捧げ寵愛を受ける。そういう宗教。確かにアリシアさんが嫌いそうな宗教だ。


「……宗教だからね。誰が何を信じようが私の知ったこっちゃない。けど……よりによってベスターか……」


 アリシアさんが大きな溜息を吐く。


「何か、あるんですか?」


「…………オリちゃんの出身が、シンジュルハベスターが広まった土地なんだよ」


「………………………………そ、れは。なんとも因縁深いモノですね」


 生贄という時点で嫌っているけど、セニオリスさんの生まれの土地の宗教なら蔑ろにしづらいんじゃないだろうか。あれ? でもセニオリスさんが宗教を信じてるような様子は……。


「オリちゃんは宗教なんて信じてないよ。意味無いって思ってるから」


「そうなんですね……」


「ま、意味が無いとは言わないよ。心の拠り所にはなる。けど、そういうのはアルストエヴァ―だけでやってほしいんだよ。シンジュルハを選んでも良いけど、アグター辺りが良い。美しい男神でね、聖典を読む限り、あいつが一番話が通じる」


 そういうのはちゃんと読んでいるのか。手放しにダメとは言ってない様で、流石だ。


「ベスターは最初村の風習みたいなモノだったんだ」


「風習、ですか」


「オリちゃんの生まれは国に属した村じゃなくてね。丁度オヴィレスタフォーレの中にあったんだ。そこの村では、治癒魔法が使えないモノしか生まれなかった」


「それってあり得るんですか? 採癒魔法だけが使えないって、他は使えるって事ですよね?」


「言ったでしょ、魔法は理論や構造、骨子なんて関係ないって。思い込みなんだよ、ミーシャちゃん。村全員が治癒魔法が使えないって思いこんでる中で自分だけは治癒魔法が使えるなんて思えないでしょ?」


「……そうですね。わたしだったら無理です」


「だから、たまに生まれて来る治癒魔法が使える子は聖女として扱われる。良い響きでしょ? 私は大っ嫌いだけど」


「…………、」


「聖女って事は聖なる女ってことだ。聖なる女、生贄信仰、もう、あとは言わなくても分かるでしょ?」


「セニオリスさんは治癒魔法が使えますよね」


「………………あの子の場合は、それだけじゃなかったけどね」


 彼女が手に取っている紙の手が触れている部分がくしゃくしゃに歪んでいる。手に力が入っているんだ。明確に怒りを抑えられていない。本当に嫌いなんだろう。何があったかは正確には分からないけど、たぶんセニオリスさんは酷い仕打ちを受けたんだと思う。


「ま、昔の話だよ。今は違う。そんなオリちゃんだから、宗教なんて無意味だと思ってるんだよ。実際カミサマが存在するなら真っ先に救われるべきはオリちゃんだからね」


 生贄が救われるというのもまた違うと思うけど、カミサマというモノがヒトを救ってくれるモノであれば、そもそも生贄なんて要求しないだろう。この場合、救われるのはヒトではなく、村全体への救い。雨が降らないとか、繁栄とか、そういうのを願って生贄を差し出すんだと思う。ヒト個人を救う為にヒトを生贄にするなんてバカバカしい。


「実際に生贄が通じて救われて見えるようなこともある。ただの偶然というか、そりゃずっとやってたらいつかはたまたま雨が降る事だってあるってモンだよ。それは神の力じゃない。自然の力だ。そうやって尊敬と畏怖がカミサマという形を得る。カミサマが居るから生贄を捧げたんじゃない。生贄を捧げたからカミサマが生まれたんだ」


「アルストエヴァーは、ヒトを救うという教えはありませんよね。あれは何のための宗教なんですか? ヒトが何故ヒトなのかって、それだけなんですか?」


「うん。だって、あれほんとはただの小説なんだってば。恋愛小説? それが何故か知らないけど神格化したって感じだし。たまたまその中の登場人物が神だっただけで書いた本人は納得いかねーって顔してたし」


「…………知り合い、なんですね」


「もう死んじゃったけどね」


 そりゃそうか。皆が皆アリシアさんみたいに長生きするわけじゃない。とは言え、教祖みたいなヒトってそんな簡単に死ぬモノなのか……。こういうのって教祖も神格化されて復活したりするものじゃないんだろうか。


「アリシアさんは顔が広いんですね」


「この大陸の事なら任せてよ。向こうの大陸は……知り合いは居るけど、そこまで多くないかな」


「向こうの大陸ってどうやって行くんですか? 行ったことのあるヒトを見た事無いんですが」


「船だよ」


「船……実在するんですねっ」


「海無いもんね。そりゃ見た事ないか」


「飛空艇が建造されてるって噂は聞きますが、海を進む船は見た事ありません。大きいんですか? 小さいんですか? 本に出て来るような立派なモノなんですか!?」


「お、おぉ、まさか船でそこまで興味を引くとは」


 少し意外そうな顔をして、アリシアさんは頬をぽりぽり掻く。困らせてしまったかもしれない。一旦落ち着こう。凄く気になるけど、だからってどうこうなる問題じゃ……。


「今度見に行こうか。もうすぐ学校は長期休暇でしょ? その時四人で見に行こう」


「……っ! ぜひっ!」


 海というモノも気になる。船も気になる。どこに行くとしても国外だ。わたしは国の外に出た事無いから、そもそもファブナーリンドの一歩外でも興奮する自信がある。


「行くとしたらデグルかな。最近どんなものが開発されたのか気になるし」


「機械……ですか?」


「そうそう。便利だよね機械。わざわざ魔法を使わなくても火が出せるんだよ。凄くない?」


「そりゃ凄いですけど……なんでアリシアさんはそんなにも機械に惹かれてるんですか? 一番魔法大事にしないといけない立場じゃないですか」


「え、私そんな立場になった覚えないんだけどな……。機械に惹かれてるのは、別に深い理由は無くて、便利だからだよ」


 機械と魔法は相反するモノだと思うんだけどな。……? あれ、なんでわたしはこんな考え方を持っているんだろう。最近だと、砲身から宝石を撃ち出して宝石魔法を使うなんて荒業もあったと思うし。そういうのは結局親和性が高ければ何でも良いんだろうか。


「古きを捨て新しきを得る。丁度今は時代が移り変わっていく時期なんだ。これからは魔法と機械が共生していく世界。この国の風景もあと四十年ほどでガラリと変わるよ」


「それは、なんだか実感が湧きませんね」


「その頃はミーシャちゃんもおばあちゃんだねぇ」


「……ですね」


「大丈夫、ミーシャちゃんは美人さんになるから、歳とっても素敵な女性になるよ」


「いえ、そうではなく、ちょっと、色々思う所がありますし……」


 神子とか。


 でもまあそんな先の未来なんて気にしても仕方ないでしょ。見えないものを気にしたって疲れるだけ。だと思う。見えているモノを気にして疲れてるヒトも居るし、何が正解か分からないけどさ。少なくともわたしはまだ考えなくていい。


「話は戻るんですけど、何故今になって宗教を調べてるんですか?」


「頼まれごとだって言ったでしょ?」


「……そういうのは仕事でやるじゃないですか。頼まれごとだって引き受けませんよね絶対に」


「そこまで薄情じゃないってば。それに今回だけは例外。流石にあのお願いは却下出来ないよ」


 一体誰に頼まれたのだろうか。彼女が断れない相手、そんなの居るの? わたしは想像出来ない。もし居るとしたらそれこそカミサマとかそういうのだろう。もしくは、彼女の弱みを知っているモノ。セニオリスさんはカウントしないって事にすると、後ありそうなのは、ユメ様とかかな。


「布教されているモノを調べるのが頼み、だったんですか?」


「いや、これは頼みの一環だよ」


「頼みの一環って……、一体何を頼まれたんですか?」


「ん~……子供の監視かな」


「子供の、監視……?」


「言葉を選ばずに言うとそうなるね」


 臆面もなく言うから、たぶん悪いことじゃなくて仕方なくやっているんだろうけど、他のヒトが聞けば怒りそうな話だ。


「そんなに重要なモノなんですか?」


「それはこれから分かってくるよ。ただ……、これはライラックに関係している事だよ」


「……ら、ライラがなんでそこでっ」


「だって、ライラックに依頼された事だもん。娘の将来のお婿さんに言われちゃ断れないでしょ」


「………………………………っ、はぁ」


 思わずため息を吐く。色々聞きたい事はあるけど、ライラの事はあまり聞きたくないな。会いたくなってしまう。


「……? 根掘り葉掘り聞かないんだね」


「ライラの事です。どうせ正義感からの行動でしょう? なら、別に聞く事はありませんよ」


「そっか。信用、というより、諦観してるんだね」


「何言っても聞きませんよ。あの子はそういうヒトです。だからわたしも……」


「わたしも? なぁに?」


「分かって聞いてますよね?」


「たまにはデレを吸収しておかないと。ミーシャちゃんのデレは健康に良いんだ」


「意味が分かりません」


 もう一つ溜息。なんだか茶化されるみたいで少し嫌だ。アリシアさんだから悪気は無いんだろうけど、なんとなく。


 ライラが関係してるのかぁ。気になってないわけじゃない。聞いても意味が無いというのもあるけど、それ以上に、資料を見るアリシアさんの顔がやけに深刻そうで、口を挟みづらい。ライラの頼み事というのはそこまで深刻なモノなのだろうか。人命が関わってるとか、そういうレベルの。


「ま、シンジュルハベスターについては、後々だなぁ。分かったことは多いけど、動けないのは確かだし」


「え、でも有害なんでしょう?」


「実害が出てないと私だって動けないんだよ。……実害が無いのが一番だから、そういう面倒なのはやめて欲しいんだけどさ」


「冤罪は防げますね」


「ま、そうなんだけどさ。こういう宗教系のはどこかしら魔力が動く。ヒトが沢山集まって、カミへ祈りを捧げる。その行為は魔力を伴うから、その流れと糸を掴めば簡単に何をしていたのか分かるんだけど……。生贄信仰はねぇ。それが難しいんだよなぁ」


「生贄って、ヒト一人全部贄にするんですか?」


「どうだろう。最近のシンジュルハベスターに詳しくないから断言出来ないけど、ヒトを殺せばバレやすいから、例えば血とかを捧げてるんじゃないかな」


「……血、ですか。それはなんとも……」


「痛ましい?」


「はい。捧げても結局何も起きないんじゃ、生贄になったヒトも報われないではないですか」


 そうだよねぇ。とアリシアさんはこくりと頷く。分かっていても対処出来ない。法律というモノがある以上、簡単に手は出せない。そもそもファブナーリンドは宗教の自由を大切にしている。こんな大陸の中心で、色んな国からヒトが集まる場所に宗教を固定する事なんて無理だ。逆に言えば、新興宗教も広まりやすいという事になるけど。


「と、ミーシャちゃん学校は良いの? 早めに出ていくって言ってなかった?」


「あ、そうだったっ! すみません。話の途中ですが、もう行きますね」


「うん。気を付けてね」


 慌てて鞄を持ちあげて、リビングを出る。


「あ、そうだ、ミーシャちゃんっ! 学校終わったら図書館来れる?」


「はいっ、わかりましたーっ」


 返事をして玄関に置いてあった杖を持って外に出る。少し出るのが遅れた。走ろう。走れば、予定の時間に間に合う。日直というのは悪い文化だと思う。朝早く起きて学校に行かないといけないというのはお弁当を作って持って行くわたしにとっては少し辛い。


 と、文句も言ってられない。杖を置いて職員室に行って色々受け取らないといけない。別に先生が持ってきたらいいのでは? いや、そういう決まりなんだからそういうのには理由があるはず。先生が面倒だから? ……いやいや。


 杖が重い。握ったまま走るのには辛い。持ちやすい形状をしているからまだマシだけど、大きめの買い物袋を持って全力疾走しているようなモノなんだ。かなりキツイ。


「ぜぇ、はぁ」


 九か月くらい運動していないわたしからすればかなりキツイ。体力がめちゃくちゃ落ちてる。確かに学校には体を動かす講義自体はあるけど、あれは気休め程度だし。あれでは運動不足は解消されない。散歩とか行きたいけど、勉強ばかりで出来てないし……。シグに付き添ってもらってランニングでも出来れば良いんだけどなぁ。


「ひぃ、しんっどい、なぁっ」


 鞄と杖が完全に足を引っ張ってる。まぁこれは仕方ないか。空間置換が使えるなら、楽だし、なんなら転移が使えれば何もかも解決なのに、さ。くそぅアリシアさんに送ってもらえばよかった。誰だよ学校には毎日自分の足で向かいますって言ったやつはっ! 運動不足には丁度良いって理由だったけどこの距離歩いたところでそこまで効果あるんだろうか。無さそう。


 暫く走っていると中央広場に出る。まだ少し早い時間。学校の生徒はまばらにしか見えない。皆わたしと同じで日直だとかそういうのだろうか。クラスのヒトは一人も見ない。少しくらい歩いても良さそう。ここからなら歩いても余裕で予定通りに着く。寧ろ思ったより早いかも?


 校門を通って校舎に入り、肩でしていた息を整える。話に夢中になるのも良くない。朝アリシアさんと話しているといつの間にか思っていた時間より過ぎたりするし。


「……、ふぅ」


 ようやく息も整って、階段を登る。まだヒトが少なくて静かな学校は少し違和感。いつもなら既にヒトが結構居て息苦しいんだけど、まだ早い時間もあって、かなり閑散としている。


 階段を登りきり教室の前へ。杖を置いて秘匿結界を張って、鞄は持ち歩こう。杖は結界がある限り盗まれることは無いだろうけど、鞄はもしもの事がある。


 教室のドアを開く。さぁ今日もがんばろー。と意気込みも兼ねて、勢いよく開く。その方が気分が上がる……かもしれない。


 だけど、その判断を後悔した。


「……………………………………え?」


 ヒトが、見えた。わたしが一番最初だと思っていたけど、そうじゃなかったみたいだ。だけど、その様子は変で────


「………………………………………………、」


 言葉は出ない。息をするのも忘れ、鼓動が大きく体中に響いているかのようにうるさい。


 何故と思う事も出来ず、ただ、それを茫然と眺める。だって、そんなはずはない。そんなわけがない。だって、だって……っ。


 あり得ちゃダメだ。これは夢だ。夢なんだ。じゃないと、わたしは、わたし、は。


「べ、る────────」


 ヴェルニア・フォン・ヴェルディオン。彼女が、わたしの親友が、その細い首に紐を通し──────


「あ、…………え、?」


 彼女の体液が机を汚している。その顔はわたしを見下ろすかの様で。


「……え、あっ、……っ、」


 理解が、出来なかった。何故、と彼女に問うことも許されない。


「いや、……っ、」


 嫌だ。分かりたくない。そんなの嫌だ。嫌だ、だって、もっと、話したいことが、これから先一緒の事も増えて……っ、それで、それで……っ!


「いや……っ、嫌っ!」


 彼女の目は、わたしを見下ろしている。恨みの籠ったその目で、わたしを見下している。決して許すモノかと、その目は光無くわたしをじっと見下ろしている。


「イヤぁぁぁぁぁぁああぁっぁっぁああああっぁぁァァァァッァアアアッ!!」


 死んでいた。冷たかった。だらんと垂れた腕には無数の切り傷の跡。足には、打撲の跡。傍らには遺書があった。


 まるで、死ねることを喜ぶように、その顔は苦痛になんて歪まずに、嬉しそうに、今まで見た事が無かったくらいの笑顔で、彼女は、親友は、死んでいた。


 漏れ出たモノで汚れた机の上には切り刻まれ、まるでゴミ箱にでも捨てられてきたのを拾ってきたのかと思う程に汚れた教科書や教養魔導書。そして、折れた杖があった。わたしは、終ぞ気付かなかったんだ。わたしは、どうして。こんなにも──────


「べる、……べるっ! ねえ、ベルっ!」


 わけもわからずに彼女を呼ぶ。届かない届くはずが無い。近づこうとして、傍らの紙に目が行く。遺書があった。けれどたった一言。遺書というにはあまりにも短い一言。


『おまえのせいだ』


 たったそれだけ、書かれていた。

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