026

 図書館の屋根の上に座る。


「………………逃げちゃった」


 溜息が漏れる。最低だな、私は。ずっと昔からそう。誰かの為と言いながら結局全部私が嫌な思いをしない為にやってるだけ。ミーシャちゃんに選択肢をあげたのは、ミーシャちゃんが選べるようにじゃない。結局全部私が逃げるため。シグだってそう。一番苦しめているのはシグじゃないか。苦しんでいるのは私じゃない。


「親っていうのはやっぱり難しいな……」


 彼らに何がしてあげられる? 衣食住の提供? それくらいじゃないか。私はシグに嘘を吐き続けている。彼には魔力と呼ばれるモノは無い。炉心の異常とも言い切れないのが厄介だ。炉心が原因なら星読みも不可能なはずだ。もし、それを指摘すると星読みさえも出来なくなるかもしれない。それはダメだ。絶対にダメだ。それだけは奪っちゃだめだっ!


「魔法は、信じ込む事で引き起こされる。魔法式なんて言葉も、魔法の名前も、理論も構造も、全てまやかしだ」


 彼がどうやって星読みを行っているのかは分からない。オリちゃんに聞いても彼女の答は無かった。知っていて言わないんだ。あの子はそういう所がある。……はは、それはお互い様、か。私が知っている事と彼女が知らない事、この六十年でかなり差が出来てしまった。問題は無いはず。いや、オリちゃんは一度、アレを使おうとした。あれは、私を知りたいんじゃなく、知って欲しかったのだろうか。あの子が未来を憂う事なんてあるはずが無い。……いや違う違う。正確にはあるはずが無かったというのが正しい。


 シグを拾ってから、あの子は変わった。大きく変わるのはこれで、三度目だろうか。冒険した時、殺し合った時、そして今。


「私は臆病者だから、羨ましいよ」


 勇気が足りない。あの時だって背中を押されただけだ。傷が、記憶が、夢が、理想が、贖罪が、仲間が。だから私は前にだけ進めた。今度は私の番だと、色々やってみたけど、


「似合わないなぁ本当に」


 というか全然出来てない。レンデオンの真似ってオリちゃんには笑われたけど、真似すら出来てないでしょ。あぁ、ちくしょう。もう一度でもレンデオンと話せるのなら、今の私を思いっきり指指して笑って欲しい。あいつの酒の肴にはなるでしょ。あの時の私を知っているヒトからすれば滑稽な光景だと思う。


 八年だ。時間は後八年しかない。たったそれだけの間に私の出来る全ての対処を行わなければならない。こんな所で落ち込んでいる暇は無い。無いけど……。


 世界の終わり、なんて簡単な文字列は麗愛の時代に何度も聞いた。そんなのはどうでも良い。というか、世界の終わりだとかなんとか言ってる間はまだ余裕がある。本当の終わりにはそんな事を言ってる暇は無かった。あれは二度とごめんだ、オリちゃん。


「私は、結局何も出来ずじまいか……」


 何も、全て解決しようってわけじゃない。無視していいモノは無視する。とは言え、シグを拾う事を予見出来ていなかった時点で私に掛けられた呪いも殆ど薄れかけているのも事実。決定されたモノが、徐々に変わっていっている。…………何故か、は大体予想が付いている。アニマ家が原因だ。というか、あれが分岐点。原因という言い方はあまり良くない。そもそも初めてズレたのがあの崩壊なんだ。


 それから視えていない事だらけだ。ミーシャちゃんの事も結局視えていなかった。……視えていないのがここまで怖いとは。情けない所を見せてしまったし、でも、私をそれでもお母さんと呼んでくれるのなら……。


 これまで以上に慎重にならなければならない。神子になるならないっていうのは大事だけど、それよりもミーシャちゃんが幸せになれるようにしないと。


 シグは、どうするべきなんだろう。あの時開かれていた瓶。あれが意味するモノを知っている。けれど、それと魔力に何の因果関係がある? 魔力が生まれていないという事は、魂の代謝が行われていないという事になる。魂の代謝、エーテル、魔素、魔力、炉心、回路、月と星。


 オリちゃんは知っているのか? だとしたら何故何もしないのだろう。何も出来ない、のか?


 ミーシャちゃんが来る前の喧嘩も、ミーシャちゃんやシグの扱いに対してのモノだ。オリちゃんの叱咤も当然だけど、これ以上私に出来る事が何もない。魔法で何とかなるのならいくらでもやる。私の命一つで解決出来るのなら、魂ごとくれてやる。けどそうじゃない。そもそも分割された魂渡された所で相手も戸惑うでしょ。炉心も別に停止した所で支障はない。接続先は炉心じゃないのだから今更だ。


 この身一つで出来る事なら、どんなに良かったか。急造した十三砲台も本当に使う日がやってくるのか。そりゃ来ない方が良い。かつて魔王を倒した一撃の、単純に数えてその十三倍。国に向ければ消し飛ばす事くらいは出来るだろう。だから、ファブナーリンドは他国に警戒されやすい。中央に位置したファブナーリンドからなら、全ての国に対して照準を合わせる事が出来るだろう。そんな事しないけどさ。


 あの時より私は強い。知識も着いたけど、それよりも単純に力の使い方が上手くなった。お父様に貰い受けた指輪も必要無くなったし、帽子だって、既に本来の役割を終えている。指輪は外した。オリちゃんとお揃いのモノを付ける。それが私にとって一番に思えたから外してしまった。お父様も多分怒っていないと思う。だけど帽子だけは……。と思って鍔を掴もうとすると、そういえば、司書室に置いてきてしまったのを思い出す。


「……………………………」


 どうしよう、めちゃくちゃ戻りたくない。でもまぁオリちゃんが居るなら、オリちゃんが大事に仕舞ってくれるでしょ。なら良い。あれ以上に信頼してる子は居ないんだし。ていうかいつの間に戻って来たんだ。今日の戻りはやけに早いな。


「我が王に敬礼を、我が主に敬愛を……か。古い祝詞。めちゃくちゃな意味だ。ただのスイッチみたいなモノだったけど、もう少し気が回らなかったのかな、昔の私」


 今でも思い出す。私の魔法の詠唱にもなる程劇的な冒険だった。私の生涯を詠唱に昇華した、という時点で魔法に理論も構造も意味が無いというのが分かるかもしれない。出来るという思い込みと知識と経験が物を語るんだ。とは言え、全てが全て出来るという訳じゃない。限度はあるし、魔力の量もあるし、己の力量に合わない事をしようとすると脳が沸騰してしまう。


 私がこれからやるべき事。仕事は減らしたとは言えまだまだ多い。オリちゃんを駆け回らせても良いかなとも思う。どちらかはシグの傍に居る方が良いだろう。それにミーシャちゃんが家に帰って来た時、私達が居ないのもなんだか寂しいし。だったら全部私だけでやった方が良いんだろうか。なんて言うとオリちゃんに怒られる。全てを一人でやろうとするな、とか言って。


 今日の喧嘩は、まあ良くあることだ。長年一緒に居ても喧嘩くらいする。私とオリちゃんは同じだとよく言われるけど、かなり違うと思うんだけどな。見た目とか、色々。弱い所とか……は同じか。同じだね。同じにされたね。いや、それはどうでも良い同じなんだよ。ちがくて、はぁ、まあいいや。


 とにかく、私とオリちゃんは全くの同じじゃない。一人称だって違うじゃないか。些細な違いだ。他人から見ればそんなの同じで良いじゃんと言うだろうけど、同じじゃマズイんだ。アレと完全に同じになるなんて私には出来ない。魂の構造が違うんだ。オリちゃんにおいて魔力は…………魂の、構造……? いや、確かにあの瓶は……。


 手を後ろに着く。屋根の上だから汚いけど、魔力でコーティングすりゃどうとでもなる。いや、それはどうでも良い事だ。そんな事より、そうか、魂の構造……。炉心は確認している。でも魔力回路は……。魔力が通っていないだけで存在しているのか。いやでも……。


 彼の体の構造はヒトと同じだ。魔法が使えないだけの普通のヒト。星読みは、どういう原理だ。私は彼に星読みの方法は教えた。それは彼が知りたがったから。出来なくてもまぁまだ子供だからねって誤魔化せると思ったから。だけど彼は未熟だけど起動した。何故。魂の構造がヒトと違っていて、炉心が機能していないのなら。そんなの、消去法的に、常時大気中のエーテルを吸って炉心とは別の方法で魔力に変換しているか、エーテルそのものを使っているかの二択になる。


 …………、役割を請け負ったわけじゃないんだ。なら、あり得ないはずだ。オリちゃんは役割と名前を請け負った。だけど、魂自体が丸ごと入れ替わった訳じゃない。だからアレは前例だとは言えないし。


「………………本当に、生きてるのが奇跡だ」


 魂のお医者さんが居れば良いけど、生憎そんなのは存在しない。誰も魂に干渉出来ないのだから、居るはずが無い。頭が痛くなってきた。もしこの仮説が本当なのであれば、常駐している意味が分からない。拒否しているのか? 何の為に?


 一旦考えるのはやめよう。そうか、禁書庫に何かあるかもしれない。また読みに行こう。一応全て私は目を通しているし、内容も全て把握している。アグレシオン、だ。必要なのは麗愛じゃない。麗涙だ。私だって詳しく全てを把握している訳じゃないけど、あるとすれば麗涙、アグレシオンだ。


「まあ、希望は薄いけど、さ」


 内容は全て把握したと述べたが、私が読み飛ばしてしまったか等のミスをしていない限り、シグのヒントになりそうな項目は無かったと思う。まぁ確認しておくのは良い事。というか、そうでもしないと私が爆発してしまいそう。


「…………………………」


 それじゃ早速、って思って腰を浮かそうとして、止めた。もう少し風に当たろう。温かい季節の訪れ。私の一番好きな季節。だけど、何百回も経験すると流石に飽きる。重ねた歳に意味があれば良かったけど、重なったのは私の権力だとか立場だとか、余計なモノばかり。


 私みたいな活発な奴を国王にするとか、絶対やめた方が良い。こういうのはすぐ動ける立ち位置に居るのが一番良いんだ。というか私が王とか、馬鹿じゃないの? カルイザムでの王位継承も破棄したのに、なんで今更別の国で王なんてやらなきゃいけないんだ。


 王なんてめんどくさい! あんなのマゾだけで良いんだよマゾだけで! いや、うん。まぁ我が王を愚弄する訳じゃないけど、あれはダメだ。


 隠居してオリちゃんと二人で過ごす。余生がどれだけあるか分からないし、オリちゃんに関しては不死でもあるし、どこまでやれてしまうのか分からないけどさ。いつか、役割を譲渡する時が来る。その時初めて私とオリちゃんは死ねる。現代において私達は特異点だ。麗愛において捻じ曲がってしまった二人だから、この時代で前に出て何かするっていうのはあまり好ましくない。けど、指咥えて滅びるのを見るのは夢見が悪い。オリちゃんが居れば生きていけるから、滅びようが実質関係無いのだけど、そう思うには少々ヒトと関わりすぎた。


 失くしたくないモノと守りたいモノがちょっと多すぎる。全く、何も出来ない癖にヒトとだけは関わるから。最近もベラトールに招待されたばかりだ。レグル・ベラトーラ。現獣王であり、獅子のライカンスロープ。ヒトと獣の完全な融合体。白き獅子が二足歩行で立っているんだ。なんとも面白い容姿をしている。


 元々、ライカンスロープは人狼の事を指していたけど、まぁもうセリアンスロープがヒトの体に獣の耳と尾なら、ライカンスロープで良いんじゃね? っていう軽いノリで決定された。それも最近の事。この事に私から意見が欲しいからベラトールは招待したんだろう。それくらい自分で決めろ、王だろ、とは言えず、仕方ないから明後日くらいに顔だけ出そうと思ってる。たてがみをモフるのだ。


「いつまでそうしてるの」


「急に転移してくるのもどうかと思うよ」


「…………どう返すのが正解?」


「無視してくれるとありがたい」


「そ」


 オリちゃんは溜息を吐いて私の隣に座る。


「汚れるよ」


「汚れないよ」


「ミーシャちゃんは?」


「お昼寝。ご飯前だから……朝寝?」


「そか」


「「ん~~~っ」」


 二人一緒に伸びをする。


「何、してたの?」


「考えないように別の事考えてた」


「…………一人にしてあげようって思ったけど、ダメそうね」


「ダメだね。全然ダメ。何したら良いのかわかんない。ほんとに、なんでこうなっちゃうんだろうなあ」


 オリちゃんはもう一つ大きな溜息。


「幸せが逃げるよ」


「総合的にシアちゃんの方がまだ多いからセーフ」


「セーフじゃないでしょ」


「今ボクがここで溜息を吐いて出て行った幸せはシアちゃんが息をする事で吸い取ってるからセーフだよ。シアちゃんの幸せはボクの幸せだ」


「…………そういうのはもっと若い時に言われたかったよ」


「今も若いでしょ」


「体はね」


 十六歳で止まってしまったからなぁ。内臓とかも全部劣化しないし。


「で、どうする? ボクに甘える?」


「ははは、そりゃとっても魅力的なお誘いだ。是非ともお願いしたい所だ」


「……こりゃ相当追い込まれてるね」


 オリちゃんは何かを察したのか、私の頭へ手を置く。


「たまには泣いた方が良いよ」


「…………、そういえば私が泣くとでも? 見たいだけでしょ」


「ま、それもある。けど、そろそろ限界でしょ」


「────────────────」


「沈黙は肯定。君の言葉だ」


 オリちゃんは私の頭をグイっと自分の方へ持って行って、膝枕の形になる。


「ここなら誰にも見えないからね」


「本当に、キミには敵わないな」


「それはお互い様でしょ。ミーシャちゃんに言ったんだね」


「……うん。隠す必要も無いからね。だけど……」


「自分で語って冷静に整理しちゃって蒸し返しちゃった?」


「…………………うん」


 今まで自分がやってきた事は本当に正しいのか。ミーシャちゃんの為になるのか、シグの為になるのか。全て、分からなくなった。自信が無くなって、なんというか、やるせない気持ちになって。


「落ち着く」


「君の愛の膝枕だからね」


「…………そうだけど、良く自分で言えるよね、それ。恥ずかしくないの?」


「こうやって言わないと忘れるのは君だろ」


「…………忘れないよ。心から愛してるヒトを忘れるなんて。愛してる事を忘れるなんてあり得ない」


「どーだか。一度全部忘れた癖にさ」


「……あれは……不可抗力だよ」


 オリちゃんは、にへへと笑う。


「それでも思い出してボクの所まで来たのは嬉しいけどさ。また、同じことをしようとか、同じような事になるような事をしようとしてない?」


「してないよ。何の為に十三砲台用意したと思ってるの? あれは私の負担を減らす為に……」


「…………、塔に行った時にシアちゃんが作った結界。あれはテストなんでしょ」


「──────────っ、」


「気付かないと思った? 君が無駄な労力を使ってあそこまでの魔法を使うとは思えない。興が乗ったって、あれも嘘。やらないといけないし丁度良い機会だから試しただけ。現に、あの塔の欠片を君は持ち歩いてる。随分と、細かく砕いたみたいだけね?」


「……………………オリちゃん、私に何かあったら、その時は、二人を頼むよ」


「親なんだから当然」


「……この八年で変わったね」


 ヒトを憎んでもおかしくないヒトがヒトを愛している。大きな矛盾だけど、それは私が納得させた。その為の殺し愛。とは言え、極力ヒトと関わるような子ではない。ましてや養子だなんて最悪だーっ! とか反吐が出るとか、そういう事を言ってもおかしくは無い。


 子を想い愛する母に変わった。私は元々ヒトを愛する事に抵抗は無いし、オリちゃんだってずっと愛しているし。王に与えられた王はしっかり返さなければならない。王が居ないのであれば、別の形で別の方法で還元しないとならない。だからまぁ、カルイザム魔法学校の学校長にもなったし、あの馬鹿王の話も極力聞いてやった。


 だけど、オリちゃんは。…………ダメだダメだ思い出すな。わざわざ過去を掘り返す事は無いでしょ。ましては自分の愛の最悪な過去なんて。


「変わらないといけなくなったんだ」


 オリちゃんは優しく呟く。


「前は、否定したけどね。ボクが変わったってそんな事は無いって。だけど、うん。やっぱり変わったよ。初めてミーシャちゃんを抱きしめた。初めてきちんとあの子を愛おしいと思った。肩書が親だからってそういう理由付けでボクはあの子の面倒を見ていたけど、なんだかそうじゃなくなったみたい」


「なろうとしてなるモノじゃない、か。キミは既にあの時にきちんと親を出来ていたと思うよ」


「それじゃ、シアちゃんのおかげだね」


「私?」


「シアちゃんがシグを子にすると決めた。シアちゃんがミーシャちゃんを養子にすると決めた。だからシアちゃんのおかげ」


「……まぁ、そうだけど。なんか、なんだかなぁ」


 納得いかない。それは私のおかげじゃない。あの時私じゃなくてオリちゃんだったら別の判断をしていた。でもきっとそれも間違いじゃなかったんだ。私には子育ては無理だ。ここまでなんとかやってきた。私には母乳なんて出ないし、ミルクのあげ方だって知らなかった。必死になってシグを育ててこれたのはオリちゃんのおかげだ。ってこの話はかなり前にした気がする。オリちゃんは、覚えてるだろうか。覚えていて、その上で私のおかげって言うのは……。素直に受け取るべきなんだろうか。


「ミーシャちゃんはシアちゃんの事嫌いになんてなってないよ」


「なんで、今その話?」


「あれ? ちょっと気まずくなって逃げたんじゃないの」


「……嫌われたとは思ってないよ」


「そ? ま、色々溜め込んだモノが爆発しちゃったんでしょ?」


「そうだね。爆発爆発。ぷろみねんす~」


「こりゃ重症だなぁ。シアちゃん。気晴らしにどっか行く?」


「気晴らしに、か。もう全部行きつくしたから、オリちゃんと一緒に居たいな」


「何、それ。もう。可愛いなぁ」


「私は……、本気だよ?」


「──────────────、あのね。シアちゃん。そういう事言われるとボクだって歯止めが……。前したばっかだし……」


「後八年。たぶん、あと八年で私達は隠居する事になる。だけど、もう私が視えているのはブレブレのモノだけ。でも、ブレているのは過程だけで結果はブレていないと思うんだ」


「…………何が起きるか分からないけど、結末だけは知ってるって事? そりゃ最悪だ。アリスもお腹痛めて出てこなくなりそう」


「ふふ、うん。そうだね。アリスが居たら多分、めちゃくちゃキレてたと思う」


 いくら続きを望む少女でもこれはパス。読んでられないわとか、あの子なら投げ捨てるだろう。ハッピーエンドを迎えた物語に続編を投じるなんてそんな野暮、許されていいはずが無い。精々後日譚、幸せになったヒト達だけを描けば良い。物語そのものだったあの子は毛嫌いするだろう。というか麗愛の時点でかなりイライラしていたと思う。自分は綺麗に終わったのに、周りがあれじゃあ、ね?


「落ち着いた?」


「…………オリちゃんが来た時点でかなり落ち着いてたよ」


「嘘ばっか」


 オリちゃんは私の頭を撫で続ける。髪に指を通して、解すように優しく。この感触は、何度でも飽きない。何百何千と繰り返してそれでも飽きないのだから、彼女の撫で方が上手いのかそれとも私が撫でられるのが好きなのか。どちらにせよ、幸せなのは変わりない。


「君は本当に頑張っているよ。例え報われなくても、それはボクがきちんと見てるし覚えてる。誰にも認められなくても良い、それでもって言ったのは君なんだ。ボクはそれを信じるよ。だから、あの時負けたんだ」


「…………うん」


 私が死ぬことに対して恐怖は無い。長く生き過ぎたし、普通の女性として老いてオリちゃんと共に朽ちていくのも悪くない。それが叶わないのなら、オリちゃんが生きるならと、ここまで付いて来たけど、後の事は全部放って二人で死んでしまうのも悪くない。役割なんて適当にそこら辺の奴に押し付ければ良いんだよ。


「十三砲台の調整、ユメちゃんにお願いしておかないと」


「細かく調整するんだったらシアちゃんが行った方が良いんじゃない?」


「細かく調整するのは後六年は必要無いかな。結界も弄りたいし」


「これ以上協力な結界にするのはどうかと思うけどな。現状、この国に居るヒト達全員君が管理していると言っても過言じゃない」


「やだなぁその言い方。結界の都合上仕方なく、だよ。それに製作者が私なだけで管理は神子だよ」


「情報は閲覧しようと思えば幾らでも出来る癖に」


「…………悪用しないからへーきへーき」


「プライバシーのクソも無い」


 私の頭から手を離す。


「それで、この先の事は教えてくれないの? 未来が変わっちゃうとかなんか言ってたけど、もう関係無いんじゃない? シグの事もミーシャちゃんの事も視えていないんでしょ。視えていたら、こうはならない」


「……………………ミーシャちゃんは神子になる。これは視えてる。強制しなかったのは、過程が視えなくて怖かったから。シグは、分からない。彼に関しては何も見えない」


「八年後っていうのは?」


「…………八年後、ファブナーリンドが滅びる。それの余波で大陸全土にかなりの被害が降り注ぐ事になる」


「そりゃまた、楽しくないお話だね?」


「流石に、阻止しないとでしょ?」


「まぁ、滅びって言うのは生命が辿る唯一の絶対だからなぁ」


「こらこら、そういうヒト以外の立場からモノを言うのはやめなさいな」


「…………まぁ大陸だけっていうのなら、それは魔王とか、そういう類の恐怖でしょ」


「どうだろうね。それも分からないからさ」


「うへぇ、不便だね、それ。結果は視えてるって、何によって起こされたかっていうのも結に纏められると思うのに」


「魔王という明確な敵が居るのなら、その対策をすればいい。まぁ魔王はもう出る事が無いから、別の何かなのは確定だけどさ」


「まあ実際何が来ても結果は変わらないんでしょ」


「変わらないけど変える気ではあるよ」


「そうだろうけど……過去の清算を終えた今、今度は未来の改変。これは前も言ったけどさ、忙しいね君の人生」


 彼女の手に力が籠る。少し怒っているようだ。


「今も昔も理不尽に直面する事が多いね。ファブナーリンドだって本当は創る気無かったのに」


「運が悪かったんだよ」


「そんなの言ったらずっと運が悪いじゃん。カルイザムで学長やる前は、まだましだったかもだけど。トルガニスは……まぁ滅ぼそうとは思ってなかったしね?」


「あれは……色々不運が重なった結果だからなぁ。幸いにも私が関わっている事はたぶんバレてないけど」


「ネドア・ルビツが悪いと思う」


 ごめん! トルガニス滅ぼしちゃった! 後始末よろしく! って全部押し付けて行ったからなあのジジイ。ほんとにさ……。


「そういえば、あのヒトはまだ故郷探してるんだっけ?」


「故郷自体は発見したみたいだよ?」


「え、初耳」


「今は行き方を探してるらしい」


「行き方? 海の上にあるとか? 別の大陸なのは分かってたけど、そんなに遠いとは……」


「いや、空」


「空? 浮遊大陸って事?」


「みたいだね~。禁書庫にもそういうのがあるって記述は何度か見たけど、千年生きて見た事無いな……」


 彼の忠義を果たす為に探していたらしい。姫に受けた恩は死んでも返しきれない。この命に代えてでもネドアの奪還を達成する、と。最悪なのは、被霊が存在するのを確認したらしい事だ。


「あのヒトもあのヒトでかなり過酷な人生を歩んでるよ。私が唯一ジジイって呼べるくらいの歳だし」


「あのヒト一体何歳なんだよ……。ていうかシアちゃんより過酷ってそんな事ある?」


「浮遊大陸に住まう被霊が彼が忠義を誓った姫だって話をしようか?」


「……、それは……。最悪だね。比べるモノじゃないけど、戦士よりもキツイ」


「戦士君もちょっと異常だったけどね。アグレシオンの騎士、自分が愛したモノを二回殺さなければならない苦痛は私には測りかねる」


 相手が吸血鬼で不死で、そんでもって、幼馴染で、純粋に自分を愛してくれていて、敵対してもいない癖に殺さないと前に進めない。あれは、私が経験した中でも最悪だった。直接あの二人を見届けた訳じゃない。あれは私達が介入するべきでは無かったから、二人に任せたんだ。だって、見ていられなかった。あんな表情カオの戦士を見て、掛ける言葉なんて出て来る訳も無かった。


 呪いの様に付きまとった。姫に対する忠義も、吸血鬼に対する愛も、本物だったと思う。忠義を果たす為に己の愛さえも殺して、それでも前へと。痛みを刻み込んで、思い出を殺して、剣を握った。託された唯一のモノを明かりにして、足元だけを照らし進み続けた。あれが騎士として生きるという事なら、私は心から騎士でなくて良かったと思ってしまう。


「二度と、掘り返しちゃいけない。あれは彼らの話。私達が干渉するべきじゃないし、私達には必要の無い過去として割り切らないといけない。だから、麗愛の書にも本筋は書かなかった」


「アリスが居れば、もう少しまともなモノを書けたんじゃない? それに、そう言ってる割には教会に三人の像を作ったじゃん」


「……忘れたくは無かったんだ」


 あれは私にとっても大切な記憶だ。物語としての完成度は最悪だけど、私の人生としても最低だったけど、でもあのヒト達は皆満足して逝った。ならそれで良い。男が己の決めた信念に従って、戦い続けた。あれはそれだけの話だったんだ。戦士とカプリケットの話は、誰にも知られない所で終わるのが最適なんだよ。


「エゴだね」


「そうだよ。少しくらい我儘言わせてよ」


「否定はしてないでしょ」


「そうだけどさ」


「はいはい、今度魔法いっぱい撃とうね~……」


「何それ、それで私が喜ぶとでも?」


「喜ばないの?」


「正直かなり嬉しい」


 最近は魔法ぶっ放すと環境への影響が~とかごちゃごちゃ言われて撃ちづらいんだよ。なんだよ環境への影響がって、そんなの起きたら千年前に滅んでるし。ばーかばーか。エーテル環境が変化するだぁ? 観測出来てねぇ癖に何言ってんだよ。


「海の上とか? ほら、丁度浮遊魔法の試験も出来そうだし」


「あぁ、それはアリ。まぁでも今はまだ魔力は温存しとくべきだよ。いつ何が起きるか分からないんだ。八年後に滅ぶけど、その前から何かが起きるかもしれない。急に滅ぶわけじゃないだろうしさ」


「だと良いけどね」


 不安だ。麗愛を駆け抜けた時よりも不安だ。明確な目的があるのと無いのでは全然違う。くそぅ、不安すぎて同じ事を何度も言っている気がする。自分でも色々整理できていないんだ。


「オリちゃん、そろそろ戻ろっか」


「………………、ミーシャちゃんは、まだ寝てるかな」


「さっさと仲直りして欲しいんだけど」


「だって、気まずいじゃん……。逃げたんだしさ」


「ミーシャちゃんはそんな事気にしてないよ。君はいつも考えすぎなんだよ。ミーシャちゃんと本音で語ったんだから良いでしょーが。あの子もきちんと本音を語ってくれたんだからさ」


「…………シグについては、どう思ってるのか分からないし」


「──────────お姉ちゃんになりたい、だって」


「……ミーシャちゃんが、そんなことを?」


 オリちゃんはこくりと頷く。


「そっか。そんなことを言ってくれたんだ。嬉しいね」


「うん。凄く嬉しい」


 ぶっちゃけシグの扱いはとても困っている。どうやって接するのが正解なのか、どういう顔して母親面すりゃいいのか。彼は親というモノを知らないから私達の事を本当の親のかの様には思えない。親を知らないヒトに親とは何かなんて分かる訳がないでしょ。私はそういう意味で、彼の親にはなれない。どれだけ私が頑張っても、結局彼がそう思ってくれないと意味が無い。


「シアちゃん、難しい顔してるよ。深呼吸して」


「────────────、」


「はい、落ち着いたね~」


「この感じ、私とオリちゃんの立ち位置が入れ替わったみたいでギャップが凄い」


「ほら、戻るよ。ミーシャちゃん起こしてシグを迎えに行って……」


「グライムとググゼリアちゃんが一緒だよ」


「別に一緒でも良いけど……。あぁ、ググゼリアってアインセルのか。そりゃ気まずい」


「まぁ、四代前の話だけどね」


 ググゼリアから数えて四代前。彼女は十五になる頃にアインセルの魔女として生きる事を余儀なくされる。彼女に対して何の思入れは無いけど、少しは気にしておこう。ミーゼリオンの件もある。とは言え、ミーゼリオンは九年後くらいにやってくるはず。今の本筋にはあまり関係が無いだろう。今は視界外に置いておこう。


「まぁいいや、オリちゃんはシグ達を呼んできて。私達は三人集まるのにシグだけ別ってのもなんだかなぁって感じだし」


「はいよ。シアちゃんはミーシャちゃんを起こしに行く?」


「まあ、うん。少しだけもう一度話をしようかなって」


「そっか。うん。良いと思うよ。じゃ、わざと時間掛けて行こうかな」


 オリちゃんはそう呟く様にして、杖を手に持ちそのまま転移してしまう。


 私の気持ちの整理は万全ではない。というか万全になる事は絶対に無いと思う。たぶんこの先ずっと不安に抱き着かれてるみたいに、私の中はぐちゃぐちゃになるだろう。それでシグ達が幸せになるのなら別に構わないけど、どうもそういうわけでも無い。


 覚悟だ。覚悟しなければならない。シグを拾った時、あの時の様な覚悟をもう一度。親として彼を育てるのなら、私は考え方を改めなければならない。彼にとって私は何なのか、なんて考えは後で良い。彼に嫌われようが、彼が幸せな未来を歩めるのなら、それでいい。


「それでいいでしょ、シオン、アグベルド。私に出来るのはこれくらいだからさ」


 仕事仲間だった者達の名を呼ぶ。彼らが何故、死んだのか。何故崩壊したのか。私は知らなくてはならない。魔力の残滓は無く、魔法を使われた形跡が無くとも、理由くらいはどこかにあるはずだ。


「よし」


 杖を取り出す。そろそろ杖が無くても出来る様になるけど、一種のルーティン。実際杖に送られた魔力は極少量。あと少し。あと少しであらゆる魔法を杖無しで使う事が出来るはずだ。きっと、ね。


 杖を突いて転移する。司書室の中。丁度ドアの前。塞ぐように転移する。ミーシャちゃんはまだ眠っている様で、あまりにも安らかな寝顔なので起こすのが躊躇われる。


 彼女の隣に立って、寝顔をこっそり眺めてみる。綺麗な顔だ。前よりも血色は良くなったし、肌の艶、髪や尻尾の毛並みも良くなっているように見える。思わず触りたくなる毛並み。けどぐっと堪えて彼女の頬を突く。


「ん、……んぅ?」


 小さい口がもにょもにょと動いて、その後にゆっくり目が開かれる。


「おはよ」


「…………おはよう、ございます」


 とろんと溶けたような目、まだ睡魔に打ち勝てていないのだろう。耳もぺたんと伏せてしまっている。


「ご飯、行くよ?」


「……シグは、呼んだんですか……?」


「オリちゃんが呼びに行ってる。あと、グライムとググゼリアちゃんが同席するかもだけど」


「…………そうですか」


 机に突っ伏していたのを起こして大きく伸びをする。耳と尻尾もピンっと伸びるのがなんとも愛おしい。


「オリちゃんから聞いたよ、シグのお姉ちゃんになってくれるって」


「……、その話本人には言わないでくださいね。流石に恥ずかしいので」


「ふふ、うん。約束するよ」


 ミーシャちゃんはようやく睡魔に打ち勝った。


「じゃあお仕事が終わったらちゃんとアグニの使い方教えてくださいね」


「うん。それも約束したからね。大丈夫。覚えてるよ。魔法式の話もね」


 途中で逃げたし、色々と話が明後日の方向に向かって行ってしまったし、きちんと教えてあげないとダメだ。悪い癖だ。一つの話をしようとすると、関連したモノを明後日の方向から引っ張り込んで本筋から離れてしまう。直したいけど、どうにも、ね。


「それじゃ、とりあえず外に出よっか。荷物はそのままでいいよ。また取りに来たら良いからね」


「はい」


 立ち上がった彼女の手を取って司書室を出た。私は必ず、君を幸せにする。親として、絶対だ。

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