013

 息を吐く。視界の下三分の一程を埋めた白い靄が一瞬現れて消える。市場というのは何度か訪れた事がある。それもライラに連れられて……だったけど。だってわたし、市場で買い物できる程のお小遣いなんて貰ったことが無いんだもん。冒険だって言って何度か。路地裏も探検したのを覚えている。だから案外わたしはファブナーリンドの地図は頭の中に入っている。だからわたしは迷わずアリシアさんの家まで来れた。今思えばあれはライラが連れて歩いてくれたおかげだ。


「………………………………………………」


 アリシアさんとセニオリスさん、シグルゼ君は談笑しながら歩いている。三人並んだ少し後ろに着いて行くようにして歩いていると、隣を歩いているククルと呼ばれる、わたしよりも年上の男性に声を掛けられた。


「あんたが次期神子候補なんだってな」


「え、えぇと……そ、その……は、はいっ。ま、まだきききき、決まったわけじゃ、ない……ですけどっ」


「そうかい。そりゃ良い。何せ道は自分で決めるモノだからな」


「………………あ、あのっ、こ、孤児でも、そう……なんですかっ?」


「あぁ。同じだ。俺も、騎士になると決めたのは自分の意思だ。別に冒険者だって構わないし、まあ俺の頭じゃ無理だったかもだけど商人だって選べた。選択は自由だ。重要なのは間違えない事。まあでもさ、たまには間違っていい。それは経験になって明日へと進める一歩になる。お前さんがした選択ならきっとアリシア様達も、誰も責めたりはしねぇよ」


「…………………………………………」


 少し俯いてしまう。俯いた事で吐いた白い息が視界の半分程を埋めてしまう。石レンガの所々ひび割れても綺麗な道が足元を支えている。


「なんだ、怖いのか?」


「……………………………………」


 こくりと頷く。そう、怖いんだ。怖くて仕方ない。まだ決まったわけじゃない。今すぐ決めなくていい。そうは言われても、いつかちゃんと決めないといけない。アリシアさんとセニオリスさんはわたしなんかに期待を寄せている。じゃないと養子なんかにしない。もし、わたしが神子にならない選択をしたら? もし挫折してしまったら? 彼女達はどう思うんだろう。どんな顔をするんだろう。もしかしたら捨てられるかもしれない。それが怖い。怖くて怖くて仕方ない。


「そうか。誰だって怖いよな。何か一方の方を選ぶってのはたくさんの勇気の要る事だ。あ~……孤児に言われても響かねぇよな。ま、小耳に挟むくらいで良いから覚えておくと良いぜ。良いか、お前さんは自分が信じて選んだ道を進めば良い。勇者ごっこ……なんてモノを一緒にやっていた友達も居たんだろ? そいつもきっとお前を信じている様に、アリシア様もセニオリス様もお前を信じているさ。だから養子にしたんだ」


 彼は優しく語り掛ける。けれどその言葉わたしにはとても重い。信じているなんて言われても、困る。それは、だって……。


「だが、その信じているっていうのは神子になる事じゃない。お前が選んだ道、生きていく度に積み重なっていく経験と知識。その過程で得たお前の新しい選択。信頼だ。だからまあ胸を張ると良い。神子だなんて大きな目標急に与えられて混乱して自信無くすのなんて当たり前だ。ゆっくりやればいいさ」


 …………………。暖かい言葉だ。なんとなく、そう思った。けれど、でもなんというか……。言葉は見つからないけど、その全てには納得が出来ない。


 うん。別に嫌ってわけじゃない。言っていることはわかる。わたしもたぶんそこまで馬鹿じゃない。けど、胸に何かがつっかえているような。


「そ、それでも……ま、間違えた時は……ど、どどどどうするんですかっ」


「そりゃお前、やり直すことなんて出来ないんだから諦めるしかねぇよ。そんで、経験に変えるんだよ。言っただろ? 経験と知識。例え間違ってもさ、経験と知識にはなる。もしかしたら同じ状況が来るかもしれない。その時に正しい方を選べればそれで良い。難しく考えるな。難しく考えちまうと誰だって足は止まるし悩むし迷うからな」


「………………………………………………」


「まあまずは、その人見知り……を直してみるのはどうだ? ほら、丁度良い歳下の男が身近に出来たんだしよ」


「………………………………し、シグルゼ君にめ、迷惑は……か、掛けられませんっ」


「こいつはそんなことで迷惑に思う様なヒトじゃねぇよ。まぁどうしてもっていうなら、良い機会だ、今日は見るだけじゃなくて、声を掛けてみると良い。お前さんの孤児への認識は子供達の相手をすることできちんとされたようだしな?」


 俺とちゃんと普通に話せているのがその証拠だ。と彼は続けた。孤児院の子達、皆元気だった。きっとわたしなんかよりも辛い思いをしたはずなのに、それでも明るくて元気で、とても眩しかった。だからといって真似なんて出来ない。緊張しいのわたしを克服できるとも思えない。わたしは幸せだ。誰が何と言おうときっとそうなのだ。ここまで恵まれている子は少ないだろう。


 だけど、さ。それじゃダメな気がするんだ。


「まあ、まだ二年はあるだろ? 俺達とは違って学校にも行くんだ。そう気負うなよ。変わろうとする必要はあるが、大事なのは変わりたいという気持ちだ。大きく息吐いてリラックスしろ。ほら、深呼吸」


 大きく息を鼻から吸って、口から全部吐く。


「そう、ゆっくり。ヒトと話すのは誰だって緊張するもんさ。俺だってそうだったからな。……ん? いや、少しちげぇか。こんな悪ガキだった俺とは違ってお前さんは根っからの良い子だ。子供達の相手の仕方を見れば解る。と、ほら着いたぜ。ミミララレイアが直属に運営する商店。ま、百貨店だな」


 大きな店。百貨店……まあ要するにデパート。取り扱っているモノは殆ど。宝石だろうが陶器だろうがなんでも売っている。とは言え市場の全ての売り上げを奪い去っている程強大なモノではない。んだけど、規模が規模だけに、正直このままだと全て吸収されかねない。と思うんだけど、実際そんなことは起こりえない。冒険者ギルドがあるなら商業ギルドも存在はする。それによって市場の皆の収入は色々と工面されているらしい……。勉強したばかりだから間違ってないはず。その内情がどうなっているのかは、わからないけど。


 それはまた今度勉強しよう。勉強はそれなりに楽しい。なるならないに関しては今は後回し。皆そう言ってくれているんだから、厚意には甘えなきゃ。お父さんが言ってた。休める時は休み、進むべく時に進む。そうじゃないと冒険中に死んでしまう。いわば今はわたしにとって休息期間。知恵を付けて経験を積んで、一歩でも前に進むための準備期間。


 だけど、うん。うかうかはしてられない。ライラが居る。ライラが、居るんだから。こんな所を見せるわけには……。


「ようこそ、お待ちしておりました」


 青い髪の女性が頭を下げ、出迎える。ミミララレイア・アレイン。トトラゼル衆に置いて統括を取り仕切る。いわゆる商業ギルドの幹部に名を連ねる大御所だ。そんなヒトがわざわざ出迎えた。そりゃまあアリシアさん達が居るのだからそれくらいして当然だろう。


「わざわざ出迎える必要は無いでしょ」


「次期神子様が居られると聞いたので。いえ、今のは失言です。無かった事にしてください。流石に建国王が相手、出迎えに上がらないのは不敬というモノ」


「…………あ、そ。まあでも今日は私がやるんじゃない。シグ達がやってくれる」


「御身の息子に? …………何事も経験……ですか。貴女は本当に、そのセリフが大好きですね」


「何?」


「いえ、馬鹿にしてるわけでは。経験は確かに積んでおくべき事です。ワタシがそうしてきたように」


 含みのある顔で笑う。なんだか怖い。仲が悪い……のかな。なんというかミミララレイアの言葉にはそこはかとなく嫌味が連ねられているような。そんなわたしにとっては少し印象の悪い語気が含まれてる。それは大っ嫌いな相手だけど客だから仕方なく相手をしないといけないから感情を噛み殺しているような。


「さて、ではこちらに。事は早い方がよろしいでしょう。ワタシにとっても貴女に長居されるのは少々腹立たし……いえ、客の注意がそちらに向かって行ってしまうので」


「全然隠しきれてないよねそれ。いや別に良いんだけどさ」


 アリシアは分かりやすく溜息を吐いて肩を落とす。


「シグルゼさん、貴方に貸し出されるスペースは出口階段前。そこならば、お客様が購入した野菜も店内で痛むことは無く持ち帰る事が出来るでしょう」


 魔法で一定に冷却出来るだろうけど、まあ気分の問題。野菜は鮮度が命! 本に書いてあった。え、いやわたしが料理なんて出来るわけないじゃん。


「それではお借りします。設営は自分で行いますね」


「えぇはい。何事も経験。そういう思し召しであればそれが良いかと。それに、今日はワタシも忙しい。売るモノ全部売り終わったら、ワタシには挨拶無しで退却して結構です。今日の入りを見るに一時間程で完売するでしょう。孤児院の野菜はとても美味なので」


「それについて話がある。ミミララレイアさん、忙しいとは言っていたが、ほんの数分程時間を作れないだろうか」


「…………貴方は確か来年度より騎士になられるお方……。孤児院の事でしたら、二時間後であれば時間を作りましょう。ただし、取れるの十分ほどです。話はきちんとまとめておいてくださいね」


「あぁ。感謝する」


 あ、今今後の利益を取った。今のククルさんには価値が無い。だけど未来を考えればそれは変わる。騎士からの申し上げならば、聞かない訳にもいかないんだ。しかも、それをククルさんは解ってやっている。今日ここに着いて来たのは、最後になるかもだからと言っていたとシグルゼ君から聞いたけど、本音はこれか。ただの孤児ならば一蹴されるだろうが、騎士であればそれは覆る。


 本で読んだのだけど、孤児が騎士になるのは相当に厳しい。冒険者が騎士になることは稀にあるが孤児が騎士になるなぞまずありえない。実力と運が良かったとしか形容が出来ないのだけど……。今の行動を見るに騎士になったのも何やら意味がありそうだ。冒険者になる道もあった。死にたくないから騎士になったなんて言うのだろうけど、そこにはきちんとした理由も隠されているんだ。


 自分は頭が悪いから商人は無理だけどなんて言っていたけどそんな事無いんじゃない? このヒト大抵のことはしっかり吟味した上で実行していそうな気配がある。


「それではワタシはこれで」


 ミミララレイアはそのまま奥へと戻っていく。すぐに雑踏の中に溶け込んで見えなくなった。本当に忙しいのだろう。見えなくなる寸前にお尻のポケットからメモ帳を取り出していた。恐らくスケジュール管理に使用しているのだろう。ククルさんの事を記入したのだろうか。


「よし、それじゃあ行きましょうかミーシャさん」


「え、あっうん」


 急に声を掛けられてシグルゼ君を見る。女性に重い荷物を持たす事はしない、と言って彼は殆どの荷物を背負っている。ここまでされると申し訳ない。たしかにわたしにはそんなに運べる程の力は無いけど、少しくらいなら持てるのに。ん、そういえば、ライラと出掛けた時も荷物を持ってくれた。男の子とはそういう生物なのかな。いや、うんこれは良くない。彼らは優しいだけ。曲解するのは良くない。


「…………………………………………」


 改めて店内を見渡す。丁度玄関をそのまま進んで二十メートル程にT字の階段があり、右は衣服、左はアクセサリーと綺麗に分かれている。とは言え、あれらは全て商店街にある店の分店。ここのお店で買われ、得た収益は、三分の二程が本店の方へと送られる。らしい。そこらはまだ勉強途中。一週間以内には覚えられるかな?


 一応は吹き抜けになっているが、まあヒトの流れをコントロールするには道は広いとあまり良くない。かと言って狭ければそもそも動けないので調整が難しい。その点このデパートはその辺上手く出来ていると思う。


 一階は肉やら野菜やら、まあとにかくバラバラだ。多分何かしらの関連付けがなされて出店されているのだろうけど、素人のわたしには良くわからない。


「こ、このデパート、お、オーナーに収益、入ってる……んですかっ?」


 初期費用はとんでもなく掛かってそうだけど、回収出来ているんだろうか。この建物の明かりを保つための固定魔法陣のメンテ費用、そもそもの土地代……並べれば相当な金が掛かっているのが解る。……商業ギルドのお偉いさんなのだからその辺はしっかり考えているのだろう。彼女の稼ぎは別にこれだけじゃないのだから。


 店内で作られているヒトの流れに逆らう訳にはいかない。目的地は左の方なのだが、全ての店舗の前を通る様に設定されたのならそれに習って動かなければ危険だ。昼頃の市場程の活気は無いにせよ、相当にヒトは居る。実際八百屋等良く利用するお店は居住区から見ればデパートより手前にある。なので、こういうのは地理的に遠いヒトが使う。例えば、冒険者にとって必要なモノは大抵居住区から見てデパートの向こう側にある。基本的に冒険者はアパートを越えて居住区側にはあまり訪れない。なので実は割と綺麗に分割されているのだ。実際アクセサリーも冒険者側にある為に、デパート内部にある店は大変重宝されている。だって近いもん。


 一階をぐるっと回って出口階段前に着く。ヒトが多く流れる事を見越してかこの空間は少し大きく作られている。玄関程ではないにせよ、かなり広い。


「さて、と。やりますか」


 シグルゼ君が大きな荷物をどさっと床に置いて伸びをする。机はミミララレイアが用意してくれていたのだろうか。長い綺麗な机が既に置かれている。


 荷物から大き目な折り畳み式の箱を複数枚取り出して組み立てると、そこに種類ごとに野菜を並べていく。


「今日の売り上げの合計値は五万セレルくらいか」


「……………………」


 ククルさんが少し考え込む素振りをして、やっぱりその方が良いよな。と再確認するように頷く。


「よし、シグルゼ、さっさと売っぱらちまおう」


「あ、あぁ。随分とやる気だな……」


 そうして、本日分の収穫分の販売が開始された。

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