Prologue

 …………崩れ落ちる。家が一つ。崩れ落ちる。ファブナーリンドの星読みの家が崩れ落ちる。瓦礫と粉塵が辺り一面を漂い視界を濁す。目を凝らしても三メートル程先しか見えない。


「なんで…………」


 事故によって引き起こされたのかさえも解らない。原因はなんだ? 爆発、では無い。何かが空から落ちてきたように見える。ではそれは何か。解らない。


 瓦礫を掻き分けて前に進む。ここに住んでいたのは夫婦と生まれたばかりの赤ん坊。


 たった数十秒前まではここには立派な家が建っていたのだ。なのにここは彩とりどりの瓦礫が無残に横たわり、そんなモノは最初から無かったのかの様。


「あ────────」


 黒く、長い髪が粉塵に汚れる。別に、この家の主と仲が良かったわけではない。仕事上の付き合いが何度かあった程度だ。うん。たったそれだけ。でも、彼女にとって大きい存在ではあったんだ。星読みなんて家系をそもそもそんなに見ないからというのもあったのかもしれない。


 ぱらぱらと落ちる小石や砂が大きなとんがり帽子を汚す。


「…………………、っ」


 見つめた先に、赤色の液体が流れている。それは小さな川の様になって小さな溝に溜まっていく。


「────────ぁぃ────ぁ──」


 か細く今にも消え入りそうな声でハッと顔を上げる。赤い液体が流れて来る先に、その声の主が居る。腹を大きな柱に貫かれ、大量の血を流す女性が一人。その腕にはなんとか守ろうとした赤ん坊が抱かれている。女性の目はじっととんがり帽子の少女を見つめている。


「ぉ──ね──がぃ────ま、す」


 息も絶えそうな声で、女性は呼びかける。


「シオンっ!」


 帽子の少女が慌てて駆け寄って、何も無い空間から突如現れた、彼女の身長よりも長い杖を握る。


「待って、すぐに全部退かすからっ」


「──し、──ぐを」


 杖で地面を強く突く。同時に地面に幾何学模様の円陣が展開される。この状況を脱する方法を考えろ。考えろ。考えろ、考えろッ! 単純な治癒なんかじゃ手遅れだ。生命力が圧倒的に足りていない。これじゃ例え傷を塞いだ所で魂が抜け出て死んでしまう。それに、魔力回路だってズタボロだ。え、なんで? なんで魔力回路が?


「──────まさか、」


 足元を小さな瓶が転がっていく。


「おね、がい────あり、しぁさ────」


「──────────────────────────────────っ!」


 大きく目を見開く。信じられないモノを見てしまった時の様に。あぁ、それはまさしくこの状況で一番見たくないモノだ。


 杖を放す。信じたくは無いが、もう、無駄だ。何をしても彼女は助からない。


「私には、無理だよ…………」


 意味を解ってしまった。だから、それ以上は、何も。


「し、ぐを」


「…………────────」


 腹から大量の血を流しながら、シオンと呼ばれた女性は、それでも力強く抱いた赤ん坊を、帽子の少女へと託すように前へ。


「……………………………………、あ」


 炉心の停止を感知した。


「あ、──────あぁ、」


 心臓が止まる。今までなんとか持ち上げていた頭が項垂れ、開かれた眼には光が消える。


「…………わた、し」


 文字通り、命を懸けて彼女は我が子を守った。母親として、最初で最期になってしまった唯一、親としてやれる事。そんなモノがこの一瞬で、たった一瞬のみに行われた。まだ一歳さえも迎えていない息子に、彼女と、父親の命を全て使って。助けたんだ。


「は、」


 足から力が抜けてペタリと座り込む。尖った瓦礫が柔らかい太ももに突き刺さる。綺麗に拵えた高級そうな服も汚れていく。


「何も、で」


 ペタリと座り込んでしまったから、その赤ん坊が丁度目の前に写る。


「きないのに」


 痛みも、恐怖も、神秘も、夢も、言葉も、何も知らない。清々しい程に純粋で、真っ白な赤ん坊が、無邪気に少女へ手を伸ばす。長い黒い髪が気になったのだろう。


「……………………………っ」


 シオンの腕は死んでも尚、息子を落とさまいと伸ばされている。


 視界が水っぽく歪む。何故、こうなった。何が原因だ? 何の因果でこうなった。理由が欲しい。何かしらの理由が。だけど、感知出来るのは不自然なエーテルの流れのみ。けど違う。それは今回の事象とは関係ない。


「……………………………………」


 目の前に居る好奇心の具現の様な赤ん坊が、ゆっくりと手を伸ばす。目に映る全てのモノが新鮮な彼にとって帽子の少女は真新しい変化そのものだ。だから、気になって仕方がないのだろう。


「………………………………」


 星が降る。その夜空はあまりにも美しく、また、占星術にはもってこいの天候。そんな夜だからこそ、これが運命だと言うのなら、呪い殺したくなる。


「シアちゃん」


「……………………………」


 ふと、後ろから呼びかける声があった。足音で解る。声で解る。匂いで解る。魔力回路の形で解る。息で解る。炉心の規模で解る。


「オリちゃん」


 セニオリス、一言で表すなら『白』の彼女はそっと、シアちゃんと呼ばれた帽子の少女を後ろから抱きしめる。


「大丈夫だよ。キミは悪くない。遅かったわけでも無い。それに、今一番酷なのはキミじゃなくて」


「………………解ってる」


 息を大きく吐く。呼吸を整えて赤ん坊を見つめる。


「…………存在強度が低い。親という強い繋がりが消えて、自分の意味を見失ってる……」


 これじゃどうしようも無い。二人の強い親が守ったこの命もやがて意味も無く消えていく。


 ────────ふざけるな。そんな事になって堪るモノかッ


「シアちゃん。名前を。名付け親というのも存外、強い繋がりになる。キミが麗愛にボクにしたように」


「────、うん。……任せ、てシオン。必ず、私が、シグルゼを守っていくから」


 シグルゼ・アリシオス=アニマ。彼の名前は今決定づけられた。何も難しい儀式は必要無い。彼の両親が付けた名前を再度名付けただけの話。名付け親も肉親も居ない状態なのを、名付け親を通して肉親の鎖も繋ぎとめる。それによって彼の存在強度を高めたというだけの話。


 麗愛の様な大規模な術式は必要ない。上書きする訳ではないし、自分の名前を与える訳ではないのだから。


「……………………帰ろう。事後処理は全て教会とトトラゼル衆に任せれば良い」


「────そうだね。帰ろう。やらないといけない事があまりにも多い。一つずつ片付けないと」


 シグルゼを大事にそっと抱き上げる。それと同時に、シオンの腕がだらんと垂れた。親としての最期の意地だったのだろう。死後硬直も無しに彼女は死して尚、己が赤ん坊を地に落とさまいと耐えていたのだ。彼女の事だ、全部気合いなのだろう。……炉心も、心臓も止まって、それでも尚彼女の魂は残っていたのかもしれない。


「生まれ変わる事があって、私がまだ生きていたら、きっとまた会おう」

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