第2話

 ところ変わってカイル王子の母国。


「お母さん!」


 大きなベッドに横たわる母の白い手を、カイル王子は握りしめました。


「じいやがお母さんの具合が良くないって……」

「ゴホゴホッゲーッホ! ……ああ、カイル、私の可愛い坊や。いいえ、大したことないのよ。カイルの顔を見たら、お母さんすっかり元気になったからね」

「本当?」

「ええ……グエーゲッホゲホ」 


 感動の親子の再会を、カイルを連れ帰った爺やだけが冷たい目で見ています。それもそのはず、カイルのお母様の病気は仮病、別名息子が恋しい病。歳を取ってから産まれた幼い三男坊は目の中に入れても痛くないほどの可愛さで、数日滞在のはずが、泥粘土姫のお気に入りになって数ヶ月も向こうに取られていて発狂寸前だったのです。


(あんの……雌ギツネが! 乳くっさい泥女の分際で私の可愛いカイルを横取りして!)


 イタズラはともかく、友好国の許嫁と幼くして仲良しな事自体は喜ぶべきことだと思うのですが、カイル王子のお母様はそうでもないようです。長男も次男も王家に相応しい好青年に成長しましたが、当然母の手はだいぶ離れてしまったわけで、幼い末っ子の可愛い盛りくらいは自分の元で見届けて……という親心なのでしょう。爺やはさっきからため息ばかりついていますが。


 親子のほのぼのしたやり取り(いささか母親に問題がありますが)を、開いた窓から入ってきた小さな人影が遮りました。


 ○


 場所は戻って泥粘土姫の国。王様は王妃様に締め上げられていました。


「ミーファに、カイル王子に嫌われたなどと吹き込んだ、ですってぇ〜!?」

「グェ……ぐるぢ……じぬ……」


 王妃様の手のひらには小さな植木鉢。そこからとめどなくツタが伸び伸び、王様をぐるぐる巻きにして拘束しているのです。


「あなたは昔からそうね! 好きな女の子にわざと意地悪して! 婚約前、私が他国の王子と踊っただけで『不器量が魔性気取りかい?』などとほざいて! あなたのクソガキ脳みそには外交というものがないのですか! プロポーズもままならなかったくせにこの意気地なし!」

「ギブ!ギブ!」


 ツルの先からポポポーンと三つ葉の形の花が咲き、もう時期は過ぎたのにアケビが実ってひとりでに割れました。ゴトゴトネチョネチョ王様の頭の上に実が落ちますが、家来たちは「いつもの事だな」とドサクサお土産収穫に忙しそうです。家来達のお土産袋が満タンになった頃、王様を締めるツタが緩みました。


「カイル王子は、許嫁である前にあの子が初めて気に入ったお友達じゃないですが。そんな情緒に影響のありそうな存在で脅しつけて。飛び出していくのも当たり前ですっ!」


 部屋の花瓶の白百合がボオオオ! と燃え上がり、怒りで真っ赤のオニユリに変貌しました。王妃の魔力です。この親にしてこの子あり、王妃の植物の魔術は恐ろしいのです。


「だがね、お前。最近のミーファのいたずらは目に余るよ。少しばかり反省させたほうが良いのではないか?」

「あなたの言動が、自分のいう事はきかなかったのに許嫁の王子に懐いたやっかみは全くないと私の目を見て言える?」

「……」

「やっぱ締めるわ」

「ゲァ──!!」


 〇


 またまた戻って王子の国。窓から飛び込んできた小さな影の正体を見て、カイル王子は図鑑で見た妖精を思い出していました。魔法で作って飛んできたのでしょう、暮れかけ空の濃淡のあるちょうちょの羽を背負い、長い綺麗な髪をまっすぐ伸ばし、ピンクのカーネーションを逆さにしたようなワンピースの裾が広がって、白い脚を隠しています。白いサンダルのはまった足の色は隠しきれるものではなく、ミーファの肌って真っ白だったんだなあと、今更のように彼は思うのでした。普段はほとんど泥んこなので気づかなかったのです。


「カイル──」

「キィイイイ、クソチビ女ギツネが! 私の可愛い坊やを取り返しに来たのね! そうはいかんわぁ!」


 今にも泣きそうに口を開きかけたミーファを、嫉妬に狂った母親がさえぎりました。定期的に送られてきたミーファ父からの書簡で、二人はとても仲良しだの、一緒におやつを食べたりお昼寝したりするだの聞いていて、すっかりこの娘が憎らしくて仕方なくなっていたのです。そんな親バカ母を、夫も上の息子達も呆れ顔で見ているのですが、嫉妬にまみれた母親は、息子旦那といえども止める事は出来ないのです。


「私の水に押し流され、国へお戻り!」


 サイドテーブルにあった水差しをカイル王子の母が手に取ったとたん、注ぎ口から激流のような水が流れ出て、ミーファを外へ押し戻しました。


「何してんのお母さん!?」


 カイル王子の困惑も置いてけぼりに、ミーファの小柄な身体がびしょ濡れになった地面に転がりました。


「あ──」


 ──カイルが泥んこの女の子は嫌いって聞いたから、婆やに頼んで一生懸命おめかしして来たのに。桃色のワンピースも、白いサンダルも泥だらけです。


「オーッホッホッホッホ! 泥粘土姫は泥濡れ化粧が一番お似合いねぇ?」


 この母、ノリノリでございます。しかしミーファも黙ってはいません。


「何、するのよ! このっ──クッソババア!」


 未来の嫁姑戦争が勃発しました。してしまいました。


 タンポポの綿毛が深い根っこごと吹き飛び、女ったらしの伊達男が泥も滴るイイ男と化し。厚化粧マダムその1の化粧はカイル母上の水の魔法でけちらされ、厚化粧マダムその2は新たに泥化粧を上塗りさせられる羽目になりました。


 牛が飛び、長い事ハゲ上がった頭を隠し続けていた貴族のお父さんのカツラが世界の果てまで流され、未開民族の長老の新たなオシャレとなりました。活気のあった市場は泥水でも売る他あるまいな惨状と化し、清潔な憩いの広場はどこかから逃げ出して来たらしいペットのワニや金魚や家畜のアヒルが一緒くたに泳ぐ泥みずうみへと生まれ変わりました。


 国中ぐちゃぐちゃに荒れ果て、ネコすらも全てを諦め汚れたままふて寝をする中、お姫様とカイル王子のお母様と、ずっと物陰から二人の様子を見守っていたカイル王子だけが立っていました。一応王子も止めたのですが、二人ほど魔術には長けていない身です。泥と激流吹き荒れる中、ちょっと声を張り上げたところで、誰の耳にも届きはしませんでした。


 肩で息をしながら、大暴れして少し冷静になったらしいミーファが、泥だらけのワンピースのスカートを絞りながら言いました。


「また泥だらけになっちゃった。カイルはやっぱり、こんな泥んこの女の子は嫌い?」


 カイル王子は青い目をパチパチさせました。寝耳に水です。国中泥水まみれなので、もう水はいりませんのに。


「誰がそんな事言ったの?」

「父さまが。わたしがあんまり泥んこでイタズラばかりしてるから、おむこさんになるのが嫌になったんじゃないかって」


 そもそも積極的なイタズラをしなかった姫をそっちの道に引き込んだのはカイル王子であり、一緒になって泥まみれで遊んでいたわけですから、そんな事で嫌うはずはありません。ですがお強い姫さまも、精神面はまだ子供。お父上に真面目な顔で言われたら、思わず信じてしまったのでしょう。


「まさか。お母さんの具合が悪いっていうから一度戻っただけだよ。でもぼく達、もうすこし行儀よくしないといけないね。きっとミーファのお父さんは、ぼく達がイタズラして遊んでばかりいたから、ごめんなさいって気持ちになるようにウソをついたんだよ」

「本当? ずっと帰らないで一緒にいてくれる?」

「ええっと」


 どうもお母さんかお嫁さんか、どちらかを選ばなきゃいけない場面らしい。カイル王子は幼いながらに悟りました。ここまで残念で大人げない面ばかりのお母様でしたが、カイル王子にとってはまだまだ甘えたい、優しいお母さんです。でも──。


「……お母さん、ごめんなさい。ぼくのお姫さまが泣いてるから、ぼくはミーファの国におむこさんへ行くね?」


 とても五歳児には思えない決意の瞳に、カイルの王子のお母様の目からウロコが取れました。ほら今もポロポロ取れてる。泥の川と化した市街地泳ぎまわってるどこかの人魚が、「まあ立派なウロコ!」と驚くくらいのが。お前らどこから来た。


「負けたわ……息子はあなたにくれてやります」

 

 血の涙をダバダバ流しながら、とうとうお母様は二人の仲を認めたのです。

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