――後編

 さて、スーギィーとはやや小ぶりの常緑針葉樹で、数種類が全世界に広く分布している木だ。


 春先につける可憐な白い雌花は春の訪れを告げるものとして人々に愛され、雄花から採取される花粉は魔術を使う際に微量を撒くことで、魔力を増幅させる触媒になる。


 他にも葉は魔術儀式の際に使うお香の材料や空飛ぶホウキの穂に、幹や枝は杖をはじめとする魔術具の材料に、皮はローブを染めるときの染料になり、搾りかすは魔術に使う紙の材料に使われる。


 このように、特に魔術師とは切っても切れない関係にあるためわたしたちはスーギィーを『聖木』と呼び、この国では魔術師を表す紋章にも描かれている。


 わたしが生まれ育ち、今も暮らしている王国東部に位置する街フォセルバ。この街を抱くように位置する山々は気候土壌ともにスーギィーの生育におあつらえ向きだったらしい。


 そこで苗木が大量に植えられ、国家プロジェクトとして大規模栽培が始められたのが今から五十年ほど前の話。


 他の国にも自生していたり栽培もされているけど、この国で育てられたものは品質が良い上に安定していると評判になり、世界中の魔術師がこぞって求めるようになった。それまでこれといった強みもなく、大陸の端っこで大人しくせざるをえなかった国がそれなりに潤ったのだそうだけど。


――へっくしょん。


 あのほんのり甘い香りのする白い花が、国にそこそこの富を、わたしには大いなる災いをもたらした。


 目を閉じて、今まさにスーギィーの雄花が咲き乱れているであろう山の景色を思い浮かべる。


 ああ、花粉を運んでくるこの春風が憎い。


 ◆


「……フィーネちゃん、とうとうギルド追放されたんやって?」


 ロッカールームで帰り支度をしていたわたしの肩を、ポンと叩きながら言うのは同期の魔術師ベルタ。出身は方言が示す通り王国の西部地方だけど、魔術学校が同じでそこからの付き合い……いわゆる腐れ縁というやつだ。


「あ゙あ゙ー、されてない……へっくしょん! 今年はあんまりにも酷いから休んでいいって言われたの。せっかくだから一ヶ月ほど北部の街に避難しようかとえっくしょん。ついでに砂も確保してくる」


 ほんと、今年は今までで一番症状が強いかもしれない。暖冬だったからだろうか。友達の前なので遠慮することなく目を擦り、ズルズルと鼻をすすってから言うと、ベルタは八重歯を除かせて笑った。


「マスター公認で海でバカンスなあ、うらやましいわあー」


 ベルタはそんな呑気なことを言うついでに、ご自慢らしい豊かな胸も揺らしている。春になったとはいえまだ少し肌寒いというのに、早くも襟ぐりが大きく開いた服を着ている。見てるこっちが寒くなってくる。


 さすが脳内が常夏の魔術師は違うなと妙な意味で感心した。


 王国は南北に長いので、北部の三月はまだまだ冬だなんてことは初等学校でも習う常識中の常識。まだ雪も溶けてないのに海になんか入ったら、寒くて死んでしまうって。ちゃんと療養と言ってほしい。ケタケタ笑うベルタがなんだかうらめしい。


「……ああクソ。のろってやる。あんたも道連れだっくしょん」


 ヤケになって怪しげな呪文が喉元まで出てきたけど、ベルタが珍しく頭を下げたので引っ込めた。


「ああ、ごめんごめん。冗談。まあ、いつものあんたならまだしも、そんなぐちゃぐちゃの顔じゃ北のイケメン漁師も引っ掛けられへんわなあ……」


 おいおいまだ言うか、とちょっと呆れる。わたしはベルタと違って見た目も地味だし、悲しいことに男性と付き合った経験もなければ、引っ掛ける度胸もありません。


「もう、今は頭がぐちゃぐちゃで余計なことを考えたくない。まあ、ベルタも気をつけて……これって誰でもかかる可能性はあるって王立病院の先生がっくしょい」


「まさか!! フィーネちゃん以外にそんなことになってる人見たことも聞いたこともないよ」


「ゔゔ……」


――わたしが世にも珍しいスーギィー花粉症という病を発症したのは六年前、当時わたしは魔術学校に在学中だった。


 春になると常にこの調子なのに、初夏になると嘘のようにピタッとおさまる奇妙な病。それに実習のたびに微妙に体調を崩すものだから(花粉をよく使うからなんだけど)、当然周りからはちょっと不気味がられるし、疫病を疑われて隔離されそうになったことも一度や二度じゃない。


 年々ひどくなっていくのに、あちこち病院をハシゴしてもただの風邪と言われ途方に暮れていたけど、昨年、紹介状をもらって辿り着いた王都の病院で原因がわかったのだ。


 わたしの体はスーギィー花粉を何らかの理由で悪いものと判断するようになってしまい、花粉にさらされた目や鼻に異常を引き起こしてしまっている状態なんだとか。新しいうえに珍しい病気なので、根本的に癒すための治癒魔術も薬もまだ開発されていないという。


 数はかなり少ないけど、同じような訴えで来る人は魔術師が多いらしい。もしかすると花粉に年中触れているのが原因なのかも? と言われたけれど、詳しくは医学の進歩をお待ちください、という状態みたい。


 確かに花粉は魔力を増幅する触媒として魔術師には欠かせないものだけど、わたしは原因がわかって以来、北部の砂浜で取れる砂を使うようになった。(使うのが難しいけど、粒子の大きさや重さが花粉に極めて近いので代替品になると教えてもらった)


 まあ、こんな体で魔術師をするのはもうやめたほうがいいとか、住まいを変えた方がいいとも言われたけど、そこまではまだ考えられないんだよなあ……


 ……あ゙あ゙。もう。ぼんやりする。こんな状態で今から宿を取ったり、汽車の切符を買わなきゃいけないと思うとちょっと気が重い。


「あ、お土産買ってきてな。ケッホの一夜干し、でっかいのでいいから」


 ひどい鼻水のせいで半分も動いてない頭で考えを巡らせていると、土産をリクエストされる。酒飲みが大好きな北部名産の魚の干物だ。ちゃっかり大きいものを所望するのもベルタらしい。


「わかった、とびきりのやつ探しとく……ほんとごめん」


「って真面目か!! 冗談やから、気いつかわんとって。困った時はお互い様ってな……ゆっくりしといで」


「……ありがとうっくしょん」


 まあ、もはやお荷物といっても過言ではないのによくクビにならなかったものである。理解してくれるマスターにも同僚にも感謝しきり。もちろん、干物はちゃんと買ってくるつもりだ。


 ああ、他の人にもなんか買ってこないと。もちろんミッテちゃんにも。あとでリクエストを書いた紙鳩を飛ばしてもらおう。急なことで迷惑をかけるから、このくらいはしないとね、と思う。


「まあ、夏はウチの代わりに死ぬほど働いてもらわんとあかんしね。ほら、ウチも毎年、南の海に療養に行くやろ」


「ベルタはナンパしに行くんでしょうが……ゔっくしょい」


 そうそう、この人は刺激的な出会いを求め、決まって夏に二週間の休暇を取るんでした。ほんと好きだなあと呆れていると、またもや鼻が垂れてきたのでポケットからちり紙を取り出してかむ。


「ヒヒッ。まあ、命の洗濯ってやつよ」


 ベルタは得意げに胸を張ると、ふたたび八重歯を見せる。真っ白な輝きが霞んだ目に染みた。


「……モノは言いようだね」


「まあ、とにかく気いつけてな」


「うん……っくゅん」


「ああ!! そうやこれ持っていき!! なんぼあっても困らんやろ」


 ベルタはロッカーを荒々しく開くとちり紙の箱をどんどん取り出し、入るだけ私の鞄に詰め込んでニヤリと笑う。なんでこんなに持ってるのか聞いたけど、はぐらかされてしまった。


――ここのみんなは、ほんと優しいんだよなあ。




 とりあえず干物は大きいのを二枚買おうと思いながら、ギルドを後にした。


「ヘックション!! あ゙ー……やばい。早く帰って旅支度しよ」


 外に出ると、目の痒みと鼻水が怒涛の勢いで襲ってくる。顔をかきむしりたくなったけど、人の目があるのでグッと堪えた。


 でも、憎いはずの春風も今はなんだか優しいものに感じる。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだったけど、心はなんだかこの春の空のように晴れ渡っていた。


 〈完〉

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花粉症の魔術師と優しい仲間たち 霖しのぐ @nagame_shinogu

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