第2話 マーブリングの夜に

「困った―――!」

 なんでもやった、やれることはぜんぶやった。絵だけじゃなく、彫刻もやった。でも、何かが違う。ごろりとアトリエの床に突っ伏してもなにも浮かばない。ひんやりとした石の感覚が服を通して伝わってくる。

 このまま寝ちゃおうか、なんて思ってしまう。だって、大体の作品はできているんだし、このまま宵っ張りになってマルシェの開店準備に遅れちゃいけないし……。

「うん、そうしようそうしよう」

 そう思ったのに、体が上がらない。おかしい、なんだかおかしい。ぐわんぐわんと景色が歪んでいく。

(やだ、まずいまずい!!)

 そう思うのに、体が上がらない。そう言えば、今朝から何も食べてなかった気がする。今朝だけじゃない、ご飯を食べた記憶がない!

「確か、ここに……食べかけの……パンが……」

 ずりずり、と部屋の隅においてあるテーブルに這っていく。修行時代の師匠が言っていたことを思い出した。

 ――― 食べる事だけはしっかり考えなさい。

 初めは稼ぎの事かと思ったけれど、今思い返せばこういうことを言いたかったのだろうと確信した。

 まあ、遅かったけど!!! 

 ……って、諦めるわけにはいかない。

「よし、あともうちょっと!」

 がたん、とテーブルに手を打ち付けるように当てて体を起こした。そして、テーブルに転がっているパンを手にとって、ころりと転がった。あおむけでパンをかじるなんて、マナーがなってないと思われるけれど、今はそんなことを言う人はどこにもいない。

「おいしいなぁ……」

 もちろん焼き立てじゃないし、何日も放置されたパンダからぱさぱさしているし、パターやジャムを塗ったわけじゃないから味なんてほとんどない。けれど、残った小麦の風味がじんわりと唾液と混ざりのどを通り過ぎていく。ただひたすらに口を動かして、パンを飲み下していく。

「あ……」

 いつの間にか空が夕暮れになっていた。橙と紫、昼と夜が溶け込んでいく。薄い雲はそれぞれの色に移り変わりながら動いていく。

 体を動かすことは無かった、ずっと色が溶けていく様子を見ていた。その色をリリーは黒檀色の瞳に移して、ぽつりとつぶやいた。

「……決めた」


 そして、マルシェ当日。リリーは新作を発表した。それはマーブリングと呼ばれる技法で作られた絵だった。絵には橙と紫の絵の具が混ざることなく水面のように広がる光景が広がっていた。

「タイトルは”夜に”です!」

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マーブリングの夜に 一色まなる @manaru_hitosiki

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