始まらなかった話

シロクマKun

第1話


 高い塀に囲まれた閉鎖的な空間で、その老人は深くため息をついた。

 老体にはきつい農作業の間の、僅かな休憩時間。

 地面に腰を下ろし、僅かながらの体力回復に務めていると、誰かがすぐ隣に座った気配を感じた。 

 見ると、幾度か目にした事がある、自分と同年代であろう男だった。確か自分よりもここでの暮らしが長い、言わば古株的存在だ。


「なあ、じいさん。アンタ何やらかしたんだ?」

 

 自分も老体であるにも関わらず、そんな不躾な事を聞いてくる古株の男に、老人は吐き出すように答えた。


「……人をあやめた。しかも……赤子だった」


 その自らの言葉が、老人の心の奥深くに沈んでいた忌まわしい記憶を呼び覚ます。


 振り上げた包丁、ぐしゃりと潰れながら割れていく柔らかい肉、コツンと当たる何か硬い物の感触。それをゴリゴリと力任せに割っていくと、ドロリと流れ出てきた赤くて甘くて鉄臭いモノ。白くて赤くて黒くて、ぐちゃぐちゃになった肉。

 老人はそれを、唖然として眺めていた。自分が何をやってしまったのか、まるで理解出来なかった。

 その時、長年連れ添った妻の狂った絶叫を耳にした。


  「ひ、ひとごろしっ!!」


 と。




「おい、随分と顔色悪いぞ? 思い出させてすまない」

 気がつくと、古株の男が心配そうに覗き込んでいた。

「い、いや、いいんだ……。忘れようにも忘れられないし、儂の犯した罪は一生消える事はない。それを受け入れて生きていくだけだ」

「その割にはアンタ、全然納得してない顔してるが?」

「……そうだな。あれは不幸な事故だったよ。しかしな、誰が予想できると言うのだろう? 

 

桃の中に赤子が入っているなんて」


 老人が悲痛な声をあげる。

 古株の男は、そんな老人の肩をぽんと叩いて言った。


「わかるぞ。儂だって思ったもんだ」


 怪訝そうな顔で見つめる老人に、古株の男は言葉を続けた。

 

「誰が予想できると言うのか?


まさか竹の中に赤子が入ってるなんて」















 

 

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始まらなかった話 シロクマKun @minakuma

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