第25話 普通に来るために策略した聖女
ハジメと別れたリンドヴルムは考えた。
――ハジメと一緒に居るにはどうしたら良いんだろう?
戦った今でもハジメは自分のことを想ってくれている、というのは彼女の想像だが確信できるものだった。
ハジメは確実に受け止めてくれる。そうなれば、彼女の障害となるのは彼女のしたいことと国との関係だ。
リンドヴルムはエーゲモード王国の人々を守りたい。でも、ハジメと一緒に暮らしたい。
このところずっと考えに考えて、妹であるアンフィを鍛えながらリンドヴルムが出した結論が、
「私、聖女やめます」
であった。
それを披露することになったのは、エーゲモード城北の塔にある、隠し広間。
ハジメが来た頃と違い、整理された広間の中心に置かれた円卓を、ホモノン王、宰相、将軍、バルド、アンフィ、そしてリンドヴルムが囲む。
そんな円卓での堂々たる引退宣言。
当然、隠し広間の円卓に集められた面々の反応は様々である。
ホモノン王はため息、宰相とファイファー親子は愕然、アンフィはニコニコ笑顔。
「そ、それは、どういう意味ですかな、聖女様」
鷲鼻からずれ落ちそうになった眼鏡を直し、コホンッ、と咳払いしつつ震えた声でリンドヴルムに質問をする宰相――ゴーラン・サーショ・ゴラドンにリンドヴルムが笑顔で言う。
「えっと、聖女を辞めるということですけど」
何を当たり前のことを、と言われて顎が外れそうなほど口をあんぐりと開けて黙るゴーラン宰相。
と、宰相が黙ったのを皮切りに今度はファイファー家当主、元々ある深い皺を険しくしたハバトーム・ファイファー将軍がこげ茶色の髭を擦りながら言う。
「辞める、と言って辞められるものではなのは知っているな、ドラコメイン」
「はい。なので後継者も見つけていますし、私としても聖女を辞めはしますが聖女の役割は続けていくつもりです」
「……なんだと?」
辞めるのに役割を続ける、という矛盾した主張に更に表情を険しくするハバトーム将軍。
「私が聖女を辞める、と言った理由は、これから長期間に渡って王都を離れなければならないからなのです」
「それは」
「長期間離れるとは、それはどのくらいなのですかな?」
ハバトームの言葉を遮り、正気を取り戻したゴーラン宰相がリンドヴルムに質問する。
「それは……十年、いえ、今後一生になるかもしれません」
「いっしょ……」
一生、という言葉にゴーラン宰相は完全に言葉に詰まり、ハバトーム将軍の眉間に力が入る。
「……その為に領地を手放したのか?」
「はい。親交があり、信頼できる貴方方ファイファー家ならば任せられると判断しました」
ハバトーム将軍の質問に頷きで返すリンドヴルム。
ムゥ、と腕を組み、ハバトーム将軍は言う。
「ドラコメインの最近の行動の謎は解けた、が、問題は一生かかるという王都を離れる理由だ。我らはその理由を知らぬ」
ハバトーム将軍の言う通り、これまでリンドヴルムは「やめます」とは言っているが、具体的な理由については話していない。
ハバトーム将軍に言われ、皆がリンドヴルムの方を見る。
衣擦れ音一つさせずに皆が見つめる中、リンドヴルムは微笑みを止め、眼光を強く真剣な眼差しで皆を見回して言った。
「私の真の目的は、魔族と対話することにあります」
魔族との対話。それを聞いた途端、ハバトーム将軍が椅子を飛ばして立ち上がった。
「どういうことだ! 魔族は倒したのではないのか!」
「私は『魔族を撃退した』と言っていましたが、皆様が倒したと誤解されているだけです。彼は生きています」
「…………貴様、どうするつもりだ」
「父上!?」
ハバトーム将軍が携えていた剣を抜きリンドヴルムに向ける。
それを見るや泡を食って止めに入るバルドだが、ハバトーム将軍は一睨みで彼を制止した。
「バルド。お前は不思議に思わなかったか? なぜドラコメインの元に魔族が現れたのかを」
「そ、それは……」
「兵士たちから話を聞いたが、あの魔族の目的はドラコメインだったそうではないか? それに、魔族と親しげに話している姿も見えたと」
目線をリンドヴルムに向け、ハバトーム将軍は言う。
「あの戦闘は茶番だったのではないか? 貴様は魔族の手先に堕ちた。そうとしか考えられん」
リンドヴルムとハバトーム将軍の間に緊張が走る。
もしここで言葉を間違えてしまえば、彼は容赦なく自分を斬るだろう。
意思を漲らせたハバトーム将軍の眼光に流石のリンドヴルムも冷や汗を流しながら言葉を探した。
「よろしいでしょうか?」
いざ口を開こうとしたその時、二人の間で挙げられた手。
皆がその声の方を見ると、アンフィが右手を挙げていた。
「……なんだアンフィ」
「お姉様――いえ、師匠とハジメさんの戦いは本気でした。二人は本気で戦っていたと思います」
ハジメ、という初めて聞く単語に眉をひそめつつ、ハバトーム将軍はアンフィに問いかける。
「根拠があるのか?」
「それは……」
口籠るアンフィを見て、ハバトーム将軍はため息を吐く。
姉を守りたい気持ちは立派だが、ただ口を動かすだけでは意味がない。改めてリンドヴルムと話をしようとしたハバトーム将軍は、ほんの僅かだが首を傾げているリンドヴルムに気がついた。
アンフィがコソコソと視線を送り、それを見たリンドヴルムが首を傾げる。
アイコンタクトか、魔法による会話か、アンフィが何かアプローチをかけているのは確かなようだ。
一体何をしているのか。少しハバトーム将軍が待ってやると、リンドヴルムに通じないことを理解したアンフィがキッとハバトーム将軍を見上げた。
先程までの少し怯えたようなものと違う、どこか確信めいた自信満々の表情にハバトーム将軍は警戒を強める。
そして、アンフィは言った。
「姉様とハジメさんには、愛があるからです!!」
「「「「――――――は?」」」
「アンフィ!?!?」
愛、愛? 呆気にとられる男性陣にアンフィが捲し立てる。
「リンド姉様は言っていました! 『彼が助けに来てくれて嬉しかった』『自分が守りたいと言ったから、その意思を尊重して彼は滅ぼすために戦った』『彼は私ごと王都を滅ぼすことにも本気だった』って」
「――お、おかしいではないか!? 自ら助けておいて滅ぼす!? 矛盾している!」
ハバトーム将軍の言う通り、ハジメの行動には一貫性がなく矛盾している。
リンドヴルムの身が欲しいと王都に侵攻しながら、リンドヴルムと敵対し戦闘を行った。しかも、その戦いでリンドヴルムの命を奪ってもいいと思っていた。
わざわざ王都に出向いてまでやることではない。
「いいえ。それこそハジメさんの愛です!」
「なぜそこで愛!?」
「ハジメさんが王都に来た理由は二つ。ハジリマ村で起こった殺人事件の首謀者を断罪することと、リンド姉様を取り戻すこと。ここに王都を滅ぼすことは含まれていません」
自然とアンフィも立ち上がり、ハバトーム将軍と向き合っていた。
女性として見ても小柄なアンフィと年老いて尚騎士として最前線に立つハバトーム将軍が向き合えば、親と子ほどの差があるが、そんな身長差を感じさせないほどアンフィの迫力はハバトーム将軍を上回っていた。
「ホモノン王との交渉。リンド姉様にわざわざ城下を歩かせる指示。自分から離れると言っても喜んでいた姿。生きているにも関わらず報復してこない動き。これらを総合すれば、ハジメさんの行動と思考に矛盾がないことが証明されます」
「……それが、愛だと?」
なぜ愛に繋がるのか分からないが、彼女の中での確信になっている愛。
それが何かハバトーム将軍が尋ねれば、アンフィは深々と頷いて言う。
「ハジメさんの目的は首謀者の断罪とリンド姉様の奪還ですが、リンド姉様の奪還に関しては奪還しなくても良かったのです」
「目的が奪還なのに奪還しなくても良いとは、矛盾しているではないか」
「いえ、矛盾していません。ハジメさんの中で重要なのは、リンド姉様がどういう反応をするか、だったからです」
ハジメからすれば、リンドヴルムの価値は計り知れない。
なのに、王都の人々は彼女の価値を理解せず貶めていた。
「ハジメさんにとってリンド姉様は大切な人です。だからその人を取り返すためにここに来た。でも、リンド姉様が本気でここに残るつもりなら自分から離れるつもりだったのです」
「……それもおかしいではないか。その大切な人が残る場所を滅ぼそうなどと正気の沙汰ではない」
「滅ぼそうとしたのは、リンド姉様の価値、つまり、人々にとって最も分かりやすい、力、の価値を示そうとしたのです」
騎士を圧倒したハジメの実力はこの国の中枢に大きな影響を与え、彼が連れてきた竜はリンドヴルムが以前から語っていた、伝説上の出来事である
「リンドヴルムが居なければ国が滅びる。巫女を蔑ろにしてはいけない。伝承にはキチンとした理由がある。王都の民、ひいては私たち貴族が欲望に溺れて失っていたものを彼は示したのです。王都が滅べば世界が巫女の価値を見直すでしょうし、リンド姉様が自分を撃退すれば、姉様を冷遇しようとする人はある程度減る筈ですから」
そして、ハジメの思惑は成功し、今王都は大きな変革期を迎えていた。
「ハジメさんにとってリンド姉様がどのような人生を歩むにせよ、その選択こそが重要であった。リンド姉様もそれを分かっていたから二人が全力で戦って、結果リンド姉様が勝った。それが二人の愛なのです」
言い切ったアンフィの姿に納得しそうになったハバトーム将軍がふと見ると、リンドヴルムは耳まで赤くして縮こまっているのであった。
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