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 駅ならば〈翼ある乙女の像〉、歓楽街ならば〈フェアリーアイランド〉というのが、宵宮の住人にとって定番の待ち合わせ場所らしい。今回私たちが向かったのは後者だ。飲食店やカラオケボックスが立ち並ぶ通りの、ちょうど入口にあるファンシーショップである。

 金曜の夕方ということもあり、あたりは混みあっていた。私たちが到着したのは約束の十分前だったが、店の前にはすでに、ドラマーの修史さんとベーシストの都さんの姿があった。

「おう」先に私たちに気づいた修史さんが、片手を振って寄越す。「お疲れ。妹さんも来てくれたんだ。昴にはいつもお世話になってます」

「いえ、こちらこそ」と私は変に恐縮し、「志島皐月です。今日はその――打ち上げにまで誘っていただいて、ありがとうございます」

「内輪の気楽な集まりだから」けらけらと笑いながら、都さんが私と昴を交互に眺める。「高一なんだっけ? 確かに志島くんに似てるかも。うちらは双子なのに、ぜんぜん違うって評判」

 顔立ちにも雰囲気にも共通点の多い私たちに比べると、なるほど修史さん都さん兄妹はあまり似ていない。ふたりとも長身なのだが、修史さんは穏やかな大男で、都さんは華やかな気配を全身から発散しているタイプだ。

「ところで石垣は?」昴が修史さんに尋ねる。

「聞いてなかった? あいつ、帰省するんだと」

「今日の今日で?」

「ほら、あいつの実家って離島中の離島だろ。飛行機とか船の都合があるんじゃないの。よくは知らねえけど」

 そうか、と昴は首を傾けながら、「じゃあ尾崎さんも来ないかな」

「いちおう呼んでみる? 石垣くんいなくても、私と志島くんの妹さんがいるよって」

 言いながら、都さんがスマートフォンを操作する。ややあって、

「今日はパスだって。ライヴのあいだじゅう泣いてて、まだぼろぼろなんだってさ」

「残念。じゃあ撮っててくれたやつ、あとで俺のとこに送ってって、ついでに頼んでもらえるかな。妹の部活の先輩が観たいんだって」

「それは光栄。了解」依頼を受けた都さんが、再び端末に視線を落とす。やがてはたと顔を上げて、「ありゃ」

「どうかした?」

「録画、ミスったんだって」

 ともかくも志島兄妹と津賀兄妹、合計四人で店に入った。打ち上げの席は、兄の言葉通りごく普通のファミリーレストランである。メンバーで唯一の酒好きである修史さんがワインを、残りの三人はそれぞれソフトドリンクを注文し、乾杯する。前菜のサラダをつつきながら、兄と修史さんがバンドの来歴を語ってくれた。

「俺と石垣が同じ文学部だろ。同じギタリストだからよく絡むようになって、一緒になにかやろうって話になった。ふたりで軽音の新歓に出掛けて、そこでこいつらに初めて会ったわけ。男女の双子でしかもリズム体って珍しいし、修史がカーマイン・アピスが好きだって言うから、これはと思ったな」

「都がゲディ・リーのファンなんで、俺たちとしては最初はギタリストを入れてスリーピースでやろうかと思ってたんだ。でも昴と石垣の演奏を聴いたら、これは絶対ふたりとも要るな、と」

「じゃあそっちの当初の理想は、ラッシュとかベック・ボガート&アピスだったんだ。それはそれで聴いてみたかったな」

「――こういう話、退屈じゃない?」私を気遣ってか、都さんが声をかけてくれる。「男ふたりで盛り上がっちゃって」

「いえ。お兄ちゃんって実家にいたときから、こういう話しかしないですから。今更ですけど、ライヴ良かったです。技巧的なんだけど想像してたよりポップで、XTCとかジェリーフィッシュみたいだなって」

「お、嬉しいね。私も大好きな二組だ。聴くたびにいつも新しい発見がある」

「ここに来る前、お兄ちゃんが『オレンジズ・アンド・レモンズ』を部屋で流してました」

「名盤、名盤」

「あれ、石垣の心の一枚らしいぞ」と昴が口を挟む。「〈メイヤー・オブ・シンプルトン〉を聴くと毎回、『なんて完璧な曲なんだ』と深く感じ入るってよ」

「石垣くんらしいね。彼ってある種の完璧主義っていうか、確固たる美学の持ち主じゃない?」

「それ、家族の影響なんだって。あいつんちって音楽一家で、ギターも最初は祖父ちゃんに習ったって聞いたことがある。舞台に立つ者の心得を俺は祖父さんに学んだ、いかにぼろぼろでも客にそうと悟らせてはいけない、心の中で泣いていても演奏を止めてはいけない、ましてステージに穴を開けるなど言語道断である、云々」

「なるほどねえ。お祖父さんから」

 昴は神妙に頷き、「俺も多少なり真面目に弾いてきたつもりだったけど、あいつに出会って、これは負けたと思ったよ。素直に」

 あれこれ話しているうちに、メインの肉や魚の料理が運ばれてきた。「酒よりも飯」の派閥であるらしい昴と都さんが一時的に静かになり、自身の皿に集中しはじめる。私はスープのお代わりを取りにいったん席を立った。

「――完璧っていうと、たとえばスティーリー・ダンはかなり完璧な音に近いよな。『彩』も確か、石垣に勧められて聴いたんだった」

「昴はそっちからか。俺はドナルド・フェイゲンのソロが先だったかな。『ナイトフライ』って、まじでどうなってるんだろうな」

「あれも完璧だよなあ。ラリー・カールトンのギターに初めて触れたのは『ナイトフライ』だったかもしれない」

 コーンスープをたっぷりと注いだ器を持って戻ってみると、彼らは再び音楽談義に没頭していた。まだかろうじてついていけそうな雰囲気だが、これ以上深く潜られてしまうと危ういかもしれない。

「そういえば皐月さんは志島くんと同じ、杠葉高なんだよね? 尾崎さんのことって知ってる? あの子も実は杠葉高出身」

 話題を変えようとしてか、あるいは単に気になったのか、都さんが問いかけてくる。私はかぶりを振ってみせてから、

「いえ、面識はないです。お兄ちゃん、そうなの?」

「うん。でも俺もとくべつ仲良かったわけじゃないんだよ。一年のとき同じクラスだったけど、それだけでさ」

「石垣さんにはお兄ちゃんが引き合わせた?」

「いや。むしろ彼女だって紹介されて初めて、あれ、うちの高校の人だ、と。尾崎さんって工学部だよな? どこでどう接触したんだ」

「般教のなんかで同じグループだったとかじゃねえの」と修史さん。アルコールの影響なのだろう、頬にうっすらと赤みが指している。「そうだ昴、文学部ってまだ試験残ってんの?」

「俺はあと、倫理学概論のレポート一本だけだな。帰省してから実家でやろうと思ってる」

「なに書くか決めた? 文学部のレポートってどういう形式なのか分かんねえけど」

 昴は腕組みし、「まだ。石垣も同じの取ってるんだけどさ、奴は例によって完璧主義を発揮して、もう提出済みらしい」

「あいつはなに書いたんだ」

「医療倫理だって聞いた。講義で扱ったのは最終回近くだったんだけど、かなり早い段階でテーマを絞ってたっぽい」

「優秀だな」と修史さんは笑った。「我々兄妹にはとても真似できんね。ふたり揃って常に泥縄の刹那主義者だから」

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