悪魔の問いかけ

柏木 維音

ぐちゃぐちゃ

「ねえ、『ぐちゃぐちゃ』っていう言葉を聞いて、どんな事を思い浮かべる?」


 昼休みに友達と話をしている時に、一人の女の子がそんな質問を投げかけて来た。


 米莉べいりアル。

 彼女はいつも黒ずくめの服装をしている。髪は綺麗な黒いロングヘアをしていて、前髪で両目を隠しているから今まで一度も目を見たことは無かった。真っ黒いカバーが掛かった本を常に持ち歩いていて、つまるところちょっと変わった子だった。


「えー、なにそれ? アルちゃん、それって心理テスト?」

「そんな感じかな」

「『ぐちゃぐちゃ』ねぇ…………あっ。あれってまさにそうじゃねぇ?」


 橋本君がグラウンドを指さしながらそう言った。

 午前中大雨が降っていたのでそこには大きな水たまりが出来ており、長靴を履いた下級生たちがばちゃばちゃと駆け回って遊んでいた。中には裸足で駆けまわっている子もいる。


「俺たちも一、二年の頃大きな水たまりが出来たらああやって遊んでたよな」

「ああ、確かに……懐かしいね」

「で、水が少し引くとグラウンドはぐっちゃぐちゃになってるんだよなぁ」

「それが橋本君の思いついた『ぐちゃぐちゃ』ね。他には?」

「あ、私も思いついた。あんまり綺麗な話じゃないんだけど……」

「どんな話?」

「えっと。カレーライスって普通ごはんとルーをバランスよく食べるでしょ? でもたまに、『ぐちゃぐちゃ』に混ぜて食べる人っているじゃない」

「あーいるいる! え、なんだよ鹿島。お前そっち派なの?」

「違うわよ! うちのお父さんがそうなの。それを見たくないからカレーの日はいつも離れて食べるようにしているわ」

「なるほどね……他には?」

「じゃあ僕、いいかな?」


 そう言って山本君は眼鏡をくいっと上げつつ挙手をした。


「ちょっと過激な話だから、我慢できなくなったらすぐに離れる事をお勧めするよ」

「過激な話?」

「ああ。僕は最近ミステリ小説を読んでいるんだけど……」

「ミステリって殺人事件を解決する探偵の話だろ? その殺人事件が『ぐちゃぐちゃ』なのか?」

「ミステリは殺人事件ばかりじゃないんだけどね。でもまあ、つまりはそういう事。今読んでる本は登場人物の格好良さやトリックよりも、凄惨なシーンに力を入れている作品でさ」

「…………」

「何それ……山本君、そんなのが好きなの?」

「好きってわけじゃないよ! でもさ、読んでて凄みを感じるっていうか、何かゾクゾクするんだよ。で、最近読んでいる章に『ぐちゃぐちゃ』になった死体が出てがきて……」

「あーもういいよ! イツキ、お前はどう?」

「えっ、僕?」


 いきなり橋本君に話を振られた僕は、すぐには思いつかなかった。そうこうしているうちにチャイムが鳴り、みんなそれぞれの席へと戻っていく。

 

 何故だかわからないけれど、山本君の話を興味深そうに聞いていた米莉さんの姿がいつまでも僕の頭の中に残っていた。



 ※※※



 次の日の朝。

 橋本君と話をしていると、浮かない顔をした鹿島さんが教室に入ってきた。


「どうした? 具合悪そうじゃん」

「ああ、違うの。昨日の夜カレーだったんだけど、今日の朝もカレーでさ。起きて一階に降りた瞬間、カレーを『ぐちゃぐちゃ』混ぜるお父さんの姿が飛び込んできて……ほんと、朝から最悪な気分になったの!」

「不意打ちを食らったわけか。ご愁傷様だな」

「おーい、橋本!」

「ん? 隣のクラスの杉浦じゃん。どうした?」

「昨日弟が世話になったってな! こいつは礼だ、受け取ってくれ」


 そう言って杉浦君は今僕らの学年で流行っているカードゲームのレアカードを一枚差し出した。


「別にいいのに。でも、こいつは欲しかったカードだから遠慮なく受け取るぜ!」

「何何? 杉浦君の弟がどうしたの?」

「ああ、昨日の昼休みグラウンドの水たまりで下級生達が遊んでたろ? その中に杉浦の弟もいたみたいなんだけど、その時家の鍵を水たまりの中に落としちゃったらしいんだ。それで放課後一人で探している弟君を見かけたから手伝ってやってさ」

「『ぐちゃぐちゃ』の泥だらけになりながら探してくれたって弟から聞いたぜ」

「いいとこあるじゃない!」

「まあ、あんなの楽勝だよ。ラクショー」


 そんな風に盛り上がっていると、チャイムが鳴って担任の村上先生が入ってきた。



「よし、じゃあ出席を……あれ、山本は来ていないのか?」


 誰も座っていない山本君の席へ目を向ける。

 それと同時に、僕の頭の中にある事が思い浮かんだ。


(橋本君も鹿島さんも昨日の昼休みに話していた時の事が実際に起きた…………山本君は、?)


「誰も聞いていないのか。じゃあ、後で電話してみるか」


 そんな時。

 教室の扉が開き、副担任の織田先生が少し顔を覗かせ村上先生を手招きした。


「先程病院から電話がありまして……山本君の……が……」

「……本当ですか!? 家族全員!?」


 ドキリと、胸の鼓動が鳴り響いた。


(山本君に何かあったのか? 家族全員って……まさか……)


「あー、さっき病院から連絡があったらしいんだが、山本が昨日の夜に……」


 村上先生の言葉を聞くのが怖かった。

 どうしよう。

 耳を塞ぐべきか。

 教室から逃げ出すべきか。


 そんな風に迷っている僕に気がつく筈もなく、村上先生は言葉をつづけた。



「家族全員食中毒で病院に運ばれて、今は入院中らしい」

 


 ※※※



 しばらくして。

 山本君のお見舞いに行った時、僕は不思議な話を聞いた。


「──食中毒にあたったあの日、学校から帰る途中ハンバーグの話になったんだよ。ハンバーグはやっぱり手で『ぐちゃぐちゃ』とこねた方が美味しいって。それを聞いて何故だか無性にハンバーグが食べたくなって、帰ってからすぐにお母さんに頼んだんだけど……どうやらハンバーグを作るのを手伝った僕の手洗いが不十分だったから食中毒が起きたんじゃないかって」

「それは災難だったね」

「ああ。でさ、あの日の帰り道ハンバーグの話なんかしなければって思ったんだけど、どうにもその時の話し相手が思い出せないんだ」

「思い出せない? ……それは同じ学年の子だった?」

「それすらも思い出せなくて……なんか、こう、『黒い』イメージの子だった気がするんだけど……」


 

 山本君のその話を聞いて僕はピンときた。

 


 『ぐちゃぐちゃ』と言う言葉に対して思い浮かんだことが彼らの身の周りで起きている。そして、山本君は『ぐちゃぐちゃ=死体』というイメージが頭の中にあった。だから山本君本人か周りの人がそのイメージ通りになっていた筈なんだけど……山本君にハンバーグの話をした人は『ぐちゃぐちゃ=ハンバーグ』というイメージを上書きして助けてあげたんだ。



 根拠は全くないけれど、僕はそう思った。


 じゃあ、山本君を助けたのは誰なのか?

 どうして彼を助けたのか?

 あの日の昼休み、僕らに『問いかけ』をしてきたのは誰だった?



 それから僕は何度もの姿や名前を思い出そうとしたのだけれど、結局思い出すことは出来なかった。

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