音無さんはハーフパンツ!

蓮水千夜

ぐちゃぐちゃときらきら

 ――もう、ぐちゃぐちゃだな。


 キャンバスに描いた絵を、上からいろんな色でぐちゃぐちゃに塗りたくる。


 ――スランプだった。


 何を描いても納得いかなくて、描き直しては何度も描き殴って、それを繰り返しているうちにもう何を描きたかったのかわからなくなっていた。


「くそっ……!」

 もう一度、キャンバスに描き殴ろうと筆を動かそうとした、そのときだった。

 涼やかなその声が聞こえてきたのは。


「これは、どういう絵になるのかな?」


 声がした方に思わず振り向くと、思った以上に近い顔がそこにはあった。


「っ……!」


 その瞬間、光を見た気がした。

 きらきらと輝く星を宿したような、漆黒の瞳。さらさらと流れるような艶やかな黒髪。雪を思わせるような純白の肌に、花のように可憐に咲いた頬の赤み。

 おおよそ今まで見たことのないような美しいものが、そこにはあった。


「こんにちは。水守くん」


 ショートカットの髪を揺らしながら、その綺麗な顔がこちらを見やる。その仕草に、なぜか鼓動が速くなった。

 いや、それより。


「な、なんで俺の名前……!?」

「やっぱり、僕のこと気づいてなかったんだね」


 ――僕? 女の子じゃないのか? だけど、よく見ればズボンをはいて……、いや、これはハーフパンツ?


「僕は音無。君のクラスメイトだよ」

「おと、なし……? クラスメイト?」


 そう告げられて思い返してみるが、全く思い出せない。


 ――俺は、絵のことばかり考えすぎて、クラスメイトのことも全く気にしてなかったのか。


 自分の視野の狭さに愕然とした。


「えっと、音無、さん? は、どうしてこんなところに?」

 そして、なぜハーフパンツ?


「……たまたま、美術室の前を通ったら君の姿が見えてね。その真剣な眼差しが妙に気になってしまって、つい声をかけてしまったんだ」


 少し恥じらうように語るその仕草も、絵になるような美しさがあった。いや、この低すぎない声といい、華奢な体つきといい、やっぱり女の子じゃないのか?


「そう、なんだ。でも、俺、見ての通り、スランプで。とてもじゃないけど人に見せられるようなものは、描いてないんだ」

「そう? でも、塗り潰す前の絵はとても綺麗で素敵だったけどな」


 ――塗り潰す前って。いつからここにいたんだ?


「あり、がとう。でも、俺は、俺はなんか納得いかなくて……。自分の理想がなんなのかもよくわからないのに、なにかが違う気がして――」


 ――だから、もう、ずっと最後まで描けていない。


「じゃあ、僕のために描いてくれないかな?」


「へっ?」


「自分じゃなく、他の誰かの理想ならもしかしたら描けるかもしれないでしょう?」


 ――描けるのか? 今の俺に?


 でも、なぜだろう。音無さんと出会ってから、なにかがずっときらきらと巡っている。あんなにも頭の中はぐちゃぐちゃだったというのに。


「……ちょっと、考えてみる」


 そう言うと、音無さんは「うん」と、優しく頷いてくれた。


「あ、と、その、ちょっと気になってたんだけど、なんでハーフパンツ?」


 音無さんはちょこんと首を傾げた。あ、その仕草かわいいな。


「なぜって、うちの高校の制服はズボン、スカート、ハーフパンツのどれを選んでもいいってなっているよ」


 ――そんなことも知らなかった。どれだけ周りを気にしてないんだ。


「じゃ、じゃあ、音無さんの、その、性別って――」

 言い終わる前に、音無さんの指先で唇を塞がれる。


「さて、どっちでしょう?」


 とびきり蠱惑的な笑みから、俺は目をそらせなかった。

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