ぐちゃぐちゃのシアワセ

misaka

シアワセ、ミツケタ?

 少女は日の光を知らない。

 人工的で、無機質な白い照明だけが彼女の知る光だった。


 少女は両親を知らない。

 白い服を着て自分を取り囲む人々だけが、彼女の知る大人だった。


 少女は痛みを知らない。

 自分の腕や足がもがれようと、身体が自由に動かせない違和感しかない。


 少女は死を知らない。

 どれだけ血を流そうと、病気になろうと、気が付けば身体は元に戻っている。


 少女は何も知らない。

 幸福も、感情も、痛みも、死も。何も、何も、知らなかった。




「大丈夫なんですか……?」

「大丈夫、ではないだろうな。まあでも。あの子だから大丈夫、とも言える」

「被検体88……。通称、八重やえだ」


 薄暗い部屋でデータを取りながら、研究者の男たちが話している。ガラス越しに彼らが見つめる先には、白い部屋があった。白い照明に照らされた、白い壁と天井。

そんな、どこまでも無機質な部屋の中央には手術台があり、手足を拘束された少女が居た。生まれて10年。感情の見えない黒い瞳に、背中に届く黒い髪。簡素な手術着姿の彼女は、ただぼうっと、自分を照らす眩しい照明を見つめていた。

 八重やえと呼ばれるその少女を取り囲むように、いくつもの計器が並んでいる。様々な音と数値、グラフを持って、研究者たちに八重の状態を知らせていた。


「研究所生まれだけど、誰の子かも分からないですよね?」

「そ。んで、適当に実験に使ってみればなんと成功。晴れて実験体1号の称号を獲得ってわけだ」

「見たことあるかよ? 切っても潰しても、臓器まで全部元通りなんだ。肉がぐちゃぐちゃってなって……お、始まるぞ」


 共同不審な男が1人、真っ白な部屋に入って来る。彼は過去、近くに住んでいた家族5人を殺した殺人犯だった。本来は死刑なのだが、研究に協力することを条件に、無期懲役となることが決定していた。

 殺人犯の男の手には注射器が握られており、中で青い色の奇妙な液体が揺れている。その液体は、昨今、巷を騒がせる宇宙から来た“侵略者ドミネイター”と呼ばれる生物から採血した血液だった。


「注射を打つだけで減刑……。遺族はカンカンでしょうね」


 殺人犯の男と八重が居る白い部屋をガラス越しに観察する『モニター室』で、研究者の1人がやるせないと言った声を上げる。彼は最近この研究所に入ってきたばかりの新人だった。最初、これから八重に行なわれる実験が大丈夫なのかと心配したのも、この人物だった。


「それでも世間は、侵略者どもの対処を切望してるわけだな」


 侵略者ドミネイター。10年前、地球に飛来した小さな隕石に付着していた卵から生まれた、奇妙な生物だ。硬い甲羅と高い再生能力と生命力、高い繁殖力を持った彼らは瞬く間に増殖し、人間を襲い始めたのだった。

 そんな侵略者たちの高い再生能力を人間にも付与できないか。そんな実験が始まってからはや10年。少なくともこの国では八重以外の成功例は確認されていない。今回は八重の中にある侵略者の血の濃度を上げて、身体に馴染ませた後に採血。他者に輸血する流れになっている。血清から着想を得た実験だった。


「……悪い、八重。人類のために、君の一生を俺たちはもてあそんでるんだ」

「おいおい、自分だけ善人ぶるなって。88番の存在そのものが、俺たち人類の罪なんだ」


 まだ世俗感がぬぐえない新人を密かに嘲笑しつつ、研究者たちは実験の成り行きを見守る。


「始めてください」


 ガラス窓越しに、モニター室から主任の研究者が指示を出す。その声を受けて、殺人犯の男は慣れない手つきで八重に注射器を突き立てる。そして、意を決した様子で青い血を注入した。


「各種数値、問題なし」

「88番に異常見られません」

「このまま30分ほど様子を見ましょう」


 空になった注射器をガラス越しに示す殺人犯の男。よく見れば、口も動いているが、白い部屋の音は一切合切、モニター室には届かない。


「なんて言ってるんですかね?」

「おおよそ、実験は終わった。ここから出せ、だろうな」


 たったこれだけの作業で、殺人犯の男は刑務所の中、一生安全に暮らし続ける。新人の研究者からすると、何ともやるせない。しかし、命を脅かす“何か”があってもおかしくない実験に協力する人物など、こうでもしなければ集められないだろう。

 そのまま何事もなく時間が過ぎ、実験を終えようとしたその時だ。手術台に寝かされていた八重の身体が突如大きく跳ね上がった。その後もしばらく身体をよじっては、痙攣けいれんしたように小刻みに体を震わせる。


「脈拍、血圧共に上昇!」

「脳波に以上あり! これは……痛みを感じているようです!」

「88番がか?! 初めて見せる反応だな!」


 ――この日、少女は初めて“痛み”を知った


 しかし、研究者にとってはそれすらも研究の対象になる。涙を流して絶叫する少女を、彼ら彼女らは嬉々として眺め続ける。


「だ、大丈夫なんですか?!」

「いや、初めて見せる反応だ。88番がどうなるのか、きちんと見ておけよ」

「やっぱりあいつも少しは人間だったんだな!」


 八重を人外のように扱う同僚に、新人研究者は怖気を感じざるを得なかった。


 八重の変化に真っ先に気付いたのは、他でもない。八重の一番近くにいた殺人犯の男だった。明らかに何かが起きていると察した彼は、ひとまず白い部屋から出してほしいとモニター室のガラス窓を叩いて懇願する。しかし、出入り口は固く閉ざされたままだ。

 こうなると、男に出来ることは1つだけだ。出来るだけ八重から目を離さず、距離を取ること。ひとまず八重の様子を確認しようと振り向いた男は、手術台の上にいつの間にか置いてあったソレを目にした。


 赤黒いブヨブヨとしたジェルのような何かが、手術台の上で拍動している。その形、色合い、脈打つ姿はまるで人の大きさをした心臓のようだ。しかも、1度拍動するたびに少しずつ大きくなっている。

 ふと、心臓から無数の突起物が生え始めた。ゆっくりと長く細く伸びた突起はやがて勢いよく白い部屋の壁や天井に張り付く。その間も肥大化を続けた球体は直径3mほどの大きさになったところで、拍動を止めた。天井から吊り下げられるように中空に浮かぶ赤い球体は、羽化寸前のまゆのようでもあった。


 部屋の隅で怯えていた殺人犯の男が恐る恐る目を開ける。気づけば八重の姿はどこにもなく、彼女が着ていた手術着だけが台の上に残されていた。

 真っ白な部屋に無数に伸ばされた赤い触手。その中央に鎮座する、赤黒い球体。いつしか部屋は、人間の体内のように赤い空間となっている。

 何が起きたか分からないが、ひとまず自分の無事を確認した殺人犯の男。大きく息を吐き、早く実験が終わらないだろうかと再び目を開けたとき――


 ――目の前に八重が居た。


 部屋も真っ白なものに戻っており、目の前には無表情で自分を見下ろしてくる全裸の少女が居る。そんな、あまりに現実離れした出来事が続いたせいで、殺人犯の男の脳は処理の限界を迎えていた。

 ふと、八重が男に向かって手を伸ばす。緩慢な動きだが、思考を止めた殺人犯の男は動けない。やがて、八重の小さな手が男の口を押えた。

 どうしたのだろうかと殺人犯の男が八重を見た時、いつの間にか自分の口を押える八重の右手が、ブヨブヨした“何か”に変化していることに気づいた。そして、その時には既に、手遅れだった。殺人犯の男の全身の穴という穴に、“何か”がとめどなく侵入してくる。息が出来なくなり、腹もぱんぱんに膨れる。男が抵抗しようとも、八重は体1つ、表情1つも動かさない。そして、その時がやってきた。


 パンッと、風船が割れるような音が白い部屋に響く。次に湿り気を帯びた音がしたかと思えば、無機質な部屋にまた、静寂が落ちた。


 この時、八重は自身の中に芽生えた衝動に戸惑っていた。生まれて初めて知った『痛み』。それを与えてきた原因である『人間』を衝動の赴くままに扱ってしまった。この時彼女が抱いたものが、『怒り』あるいは『殺意』と呼ばれる感情だったことを、何も知らない八重が知るわけもない。

 自身の周囲に転がる目玉や臓腑。真っ赤に染まった自身の手を眺める八重。そして、手のひらに収まる人間はどれだけ待っても、動かない。


 ――この日、少女は初めて“死”を知った。


 同時に、八重の中を知らない充足感が満たす。脳が、もっとこの充足感を求めている。何も知らなかった八重が人生で初めて知る幸福感。


 ――この日、少女は初めて“幸福”を知った。


 彼女の脳内にしみ出したドーパミンが『人間を動けなくする』と『充足感』とを結びつけるのに時間はかからない。動かなくなった相手が、自分に痛みを与えてくることは無い。自身の安全を確保せよと本能が促してくる。幸福を知ってしまったからこそ、八重は痛みを恐れていた。

 男の中に流し込んだ自分の身体を元に戻して、八重はガラス窓に歩み寄る。この先に、たくさんの幸せがある。幸せの先に、痛みは無い。そう思うだけで、八重の全身に力がみなぎる。


 ――この日、八重は生まれて初めて笑顔を見せた。


 そして、自分の腕を赤黒いブヨブヨに変化させて、ガラスを破壊する。そこには、まさか強化ガラスが破られるわけがないと高を括っていた研究者たちが八重を見ていた。


「ミツケタ?」


 慣れない言葉を発した八重は、モニター室を阿鼻叫喚へと変える。八重は何も知らない。研究者たちが何も教えなかったからだ。何も知らない少女は、本能のまま、自分が知る幸せを積み上げていく。

 逃げ出そうとする者、何かを言ってくる者、立ち向かって来る者。そのことごとくを平等かつ公正に、八重はぐちゃぐちゃにしていく。その度に、八重の中を純粋な幸せが満たした。

 その後、研究所全体を自分ブヨブヨで満たした八重はもとの姿に戻る。研究所内には原型をととどめないたくさんの人間しあわせが転がっている。八重にとって、ぐちゃぐちゃが幸せそのものだった。

 八重は研究所の出入り口から外の世界に出る。すると、見上げた場所に明るく、温かく八重を照らす光があった。届きそうで、届かない。そこにあるのにつかめない。そんな不思議な光に手を伸ばしながら、八重は歩き出す。もっとたくさんの人間しあわせを求めて。

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