【KAC20233】さあ、のんでのめ

サカモト

さあ、のんでのめ

 いつの間にか、ぼくの住んでいるマンションの最上階がカフェになっていた。

 店主はハンサムボブカットの十六歳で、三白眼の女の子だった。店は彼女が学校の終わった放課後から開店する仕組みになっている。



 いつものように、夕方になると、ぼくは住んでいるマンションのエレベーターへ乗り込んで、最上階にあるカフェへ向かう。

 そこには、もとは大家さんが、ひとフロアるまる使った住居だった。そこを改装して、いまはカフェにしてある。

 そして、店長は高校生のつのしかさんだった。ハンサムなカタチのおかっぱ頭をしていて、三白眼だった。彼女は学校が終わってから、放課後に、この店を開いている。

 ぼくと同じ高校生ではあることは知っている。ただ、学年の差異は、なんとなく聞いていない。年上なのか、年下なのか、同い年なのか。かくにんするきっかけもなく、ハテナのままだった。

 その高校生の彼女がカフェ店長をしている理由は、きっと、あのカフェが個人経営の店だからだと、ぼくは勝手に推測していた。でもやはり、ホントのところは知らない。

 エレベータが最上階へ着く。フロアに降りると、手書きの看板が立ててある。そこには、いつも本日のおススメが書いてある。

 今日のおススメは『レギュラー珈琲』

 うん。

 昨日も『レギュラー珈琲』だった。

 というか、この店へぼくがやって来るようになってから、おススメが『レギュラー珈琲』以外だったことがない。でも、看板は毎回、書き直されている、微妙に書体がちがっている。

 どういうメンタルで、この看板を準備しているんだろうか。

 店長のである、つのしかさんの脳の状態を想い、扉を開けて店へ入る。

 中は、カフェであり、本も買える。

 たいてい、平日のこの時間に店へ来ると、お客は誰もいない。ぼくひとりだった。もう少し時間が深まれば、お客さんが来たりするけど、それでもそんなに多くはこない。

 なんとなく、いつもの窓辺の席へ座る。ガラス一枚向こうには、広いテラスがあって、そこにも席がいくつか設置されていた。ささやかなドッチボールなら、できそうな広さだった。

 ガラス越しのテラスの向こうからは、この町が一望出来た。いまは、空は夕陽が沈んでいる。

 ぼくが、こうして、ここで座っていると、つのしかさんは、だいたい音もなくやって来る。そういうアサシンみたいな部分のあるひとだった。

 で。

 よし、今日はひとつ、彼女に仕掛けてみよう。と、ぼくはひそかに画策していた。入り口に設置された、あの立て看板を持ち出し、攻めてみよう。

 立て看板の本日のおススメだけど、毎回、レギュラー珈琲、って書いてありますよね、あれは、手抜きですか。

 どういうつもりですか。その思想を含め、教えてください。

 などと、彼女が注文を取りに来たら、問い詰めてみよう。悪だくみを用意していると、つのしかさんが、すー、っと、やってきた。

 あいかわらずの、ハンサムボムカット。

 ではなく、髪がぐちゃぐちゃだった。

 髪型以外は、いつものエプロン姿だった。化粧もしっかりしている。

 つのしかさんは、淡々とした表情に添えたその三白眼でぼくを見た。

「タダでは飲ませないし、タダでは食わせない」

 そして、いきなり心当たりのない言いがかり性を帯びたものを放ってくる。

 いや、もしかしてただの宣言なのか。

 いずれにしろ、接客業としてはレッドゾーンの開口一番でしかない。

「で、なんに致しますか」

 それからの微妙な敬語で接してくる。こちらのペースはたやすく崩され、さっき思いついた低品質な悪だくみなど、しゅっと、消滅してしまった。

 ぼくは、彼女のはじけとんだ髪型へ怯みながら「ああ…、レギュラー珈琲」と、つい、ふだんの口の動きをしてしまう。

「はい、いつものように好奇心不在でアイディアな不足の注文、ありがとうございます」

 心になかにとどめておくべきだろう心の声を、声に出して来た上で、接客業としての礼をのべてくる。

「あの、つのしかさん」

「なんですか、レギュラーの、珈琲さん」

 レギュラーの、珈琲さん。

 あ、もしかして、いつもレギュラー珈琲を頼むから、彼女の中でついた、ぼくのあだ名か、それは。

 レギュラーの、珈琲さん。

 さん付けだし、まあ、まあ、うん。

 あ、いや、どちらにしても、客へのあだ名も、それも声に出すべからずだろうに。

「いえ、その、つのしかさんの髪、さながら熊の前足で頭部を叩かれた人みたいになってますよ」

「ダッシュのせいさ」

「ダッシュ」

「うん、あなたがこの店に来るまえに、学校が終わって、すぐ店へ来なきゃと思って、走って急いで来たのです」

 瞬間、心臓が大きく跳ねた。

 ぼくのために、つのしかさんが走ったのか。

 ああ、まいったぞ、それはその、なんか、やつけられそうになる。

 すると、つのしかさんが微笑んだ。

 そして告げた。

「だから、今日は二杯飲め。わたしのダッシュのぶん、稼がせろ、うちは珈琲のお代わりは有料だよ、けっしておかわりを無料になんかしてやるものか、反慈善事業です、この店は。むしろ、今日はダッシュオプション付きなので、値段を割り増しするし」

 彼女はぐしゃぐちゃになった髪を揺らしながら、こう言い放つ。

「さあ、のんでのめ」



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