お隣のぺらぺらしたもの

そうざ

The Neighbor's Flimsy Things

 インターフォンが鳴った。玄関ドアが開くと、妙齢の女性が立っていた。

「隣に越して参りましたスジカワと申します。これはお近付きの印に、詰まらない物ですが」

 人懐こい慇懃さで挨拶を述べられたので、俺は寝惚け眼のままあたふたした。

「これはどうもご丁寧に。今後共、宜しくお願いします」

 こんなボロアパートにあんな美人がねぇ、人生捨てたもんじゃないねぇ、と朝食兼昼食に引っ越し蕎麦を食べようと長葱を刻んでいたら、またインターフォンが鳴った。

「今度、隣に入居しましたスジカワです。つい先程、家内がご挨拶に伺ったと思いますが、改めまして、亭主でございます」

「あぁ、態々わざわざどうも。宜しくお願い致し上げます」

 すらっとした奥さんとは対照的な、でっぷりとした中年男だった。

 何だ、既婚者か、よくあんな美人を射止めたな、蓼食う虫も好き好きとは言うけれど、そうだ、七味唐辛子はあったかな、と蕎麦を茹でていたら、インターフォンが鳴った。

「隣に引っ越して来たスジカワと言います。先に両親が来たかも知れませんが、僕、長男です。若輩者ですが宜しくお願い致します」

「あ、あぁ、そうですか、どうも初めまして」

 あんな大きな子が居たんだな、母親似だな、長身で中々のイケメンだし、それにちゃんと躾が行き届いていて、両親は教育熱心なんだろうな、と感心しつつ蕎麦を流水で洗っていたら、インターフォンが鳴った。

「隣室のスジカワです。両親や兄はお伺いしたと存じますが、娘でございます。宜しくお願い申し上げます」

「これはまた、お気遣い頂きまして」

 あの子は父親に似ちゃったんだな、それにしてもこのアパートは全室ワンルームの筈だけど、家族四人で手狭じゃないのかな、と醤油に出汁を加えていたら、インターフォンが鳴った。

「この度、一家で越して参りましたスジカワと申します。不束者ふつつかものでございますが、何卒なにとぞよしなにお引き回しの程」

「どうぞお顔をお上げ下さい。皆様にご挨拶頂きまして、誠に恐れ入ります」

 あんなよぼよぼの爺さんまで、何度も何度もこういうのを有難ありがた迷惑っていうんじゃないのかね、まさか婆さんも居るんじゃないだろうな、と丼に盛り付けていたら、インターフォンが鳴った。

「あたくし、スジカワと申します。隣に引っ越して来ましたので、そのご挨拶に」

「はいはい、どうも初めまして。ちょっと忙しいのですみません」

 茹で過ぎの麺、薄過ぎの汁、辛過ぎの葱、掛け忘れの七味唐辛子――新しいお隣さんは、俺に美味い蕎麦を食わせたくなかったのだろうか。

 翌日、出勤の際に何気なく隣室のベランダを見上げると、快晴の青空を背に、丈が区々まちまちの何かぺらぺらした物が物干し竿に仲良く並び、薫風にそよいでいた。

 それで家族揃って挨拶に来られなかったのか――悪気はなかった事が解り、俺は安心した。

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お隣のぺらぺらしたもの そうざ @so-za

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