兄弟愛のハンバーグ

海沈生物

第1話

 大好きな兄の彼女でハンバーグを作った。「え?」と思われるかもしれないが、そのままの意味である。いつも頑張っているな兄に僕からの「感謝」の気持ちを伝えるため、兄のなハンバーグを兄のな彼女さんの作ったのである。


 しかし、僕は不安だった。もしも「人肉のハンバーグなんて不味いし、気持ち悪い! お前なんてもう弟じゃない!」と兄から僕の「愛」を拒絶されたのなら。そんな最悪の未来を想起する度、僕は胸を搔き毟って、狂い死にそうになった。


 そんな狂気的な不安を抱きながらも、雲った顔の僕はお皿に盛り付けたハンバーグに仕上げの特製デミグラスソースをかける。鼻をくすぐる良い匂いに頬を少しだけ頬を綻ばせると、僕は早速お腹を空かせて待っている兄の元へと持っていった。

 出来立てのハンバーグをテーブルに置くと、兄は瞳をキラキラと光らせた。


考矢コウヤ……これ、食べていいのか!?」


「う、うん、もちろん。僕がお兄ちゃんの夕食のために作ったモノなんだから、当たり前だよ。……ほ、ほーら、冷めない内に食べて食べて!」


 何も知らない兄は手を合わせて「いただきます!」というと、早速カトラリーを手に持つ。かちゃんという金属が擦れる音に、僕の心臓にピリリとした緊張が走る。目の前の視界がぐちゃぐちゃに揺らぐ。本当に兄は喜んでくれるのか。食べた瞬間に吐き出して、僕に「なんてものを食べさせたんだ!」と鬼のような形相で怒ってくれるかもしれない。怖い。逃げたい。今すぐ部屋の中にある布団に籠って、そのまま死んでしまいたい。


 そんな不安で死にそうになっている僕の一方、現実の時間はただ残酷に進んでいく。瞳を輝かせる兄はナイフとフォークを器用に使って一口大に切り分けると、大きな口を開け、肉を歯で嚙み切った。噛み切った肉から旨味の詰まった肉汁が弾けると、彼はドロドロに表情筋を呆けさせた笑みを漏らした。


「考矢! 今日のハンバーグ、いつもより美味しいよ!」


 その言葉を聞いた瞬間、僕は心臓が止まりそうなほどの安堵と共に、僕の表情筋もドロドロに呆けさせた。


「そ、そう!? それは良かった。今日はお兄ちゃんのために特別な材料を使ってハンバーグを作ったからね! ぼ、僕の”感謝”の気持ちが……"愛"が、届いたのかもっ……!」


「ふはは! "愛"だなんて、とても嬉しいこと言ってくれるな。お兄ちゃんはとーっても嬉しいぞ!」


 兄は僕の顔を引き寄せると、ボウボウに生えた無精髭ブショウヒゲをぐりぐりと押し付けてくる。僕が「ちょっ、いた……痛いってばー!」と声だけ嫌がるふりをして見せると、その様子に兄はぷくりと頬を膨らませる。


「……お兄ちゃん、いつも出張ばっかりで考矢と一緒にいてやれてないんだからさ。今日ぐらい弟をバカみたいに甘やかすのを許してくれよー! なっ?」


 兄のいつも明るい姿に「陰り」を見せられると、僕は弱かった。


「……分かった」


 その言葉を聞いた瞬間、「待っていました!」と言わんばかりに兄の表情に「光」が戻った。調子に乗った兄は僕にまたじょりじょりと無精髭を押し付けてくる。まったく、この兄は本当にズルい。そう思いながらも、なんだかんだで兄の行動は嫌ではなかった。


 それから、僕は五時間ぐらい兄から甘やかされ続けた。兄が買ってきたプリンを食べさせてもらったり、あるいは「頭が燃えるんじゃないか?」というぐらい撫でられたり。とにかく、兄は僕をありとあらゆる手で甘やかされた。全てが終わった頃にはすっかり僕は疲れてしまい、兄の膝の上に倒れていた。


 全てを終えてすっきりした顔の兄は、ふぅと息をついた。


「これで、お前と会ってなかった空白の三カ月分は甘やかしてやれたかな? どうだ?」


「三カ月? いや絶対、一年分はあったでしょ」


「ふはは。言われてみれば、確かにそうかもな。でも、ちゃんとお前が俺の”愛”を感じてくれていたみたいで嬉しいよ。……正直、不安だったからな。お前にちゃんと俺の”愛”を感じてもらえているのかなーって」


「い、嫌というほど感じているよ! お兄ちゃんの”愛”はちゃんと届いてる。……でも、それを言うなら僕の方だって。お兄ちゃんにちゃんと”愛”が届いているのか、不安で……不安で……」


 お兄ちゃんは泣きそうになった僕をギュッと抱きしめてくれた。兄の大きな身体は、僕の小さな身体をすっぽりと包んでくれた。兄の身体はポカポカと温かくて、優しくて、つい僕は涙をぽろぽろとこぼしてしまった。


 折角兄が帰ってきてくれたというのに、こんなぐちゃぐちゃで情けない姿を見せたくなかった。いつも僕のために頑張ってくれている兄に報いたかった。「感謝」の気持ちを……「愛」を伝えたかった。でも、ダメだった。僕は結局、兄に弱い所を見せるばかりでまだまだ弱かった。所詮は子どもだった。兄の彼女を殺してハンバーグを作ることぐらいしかできない、ちっぽけな存在でしかなかった。


 僕は時間も分からないぐらい泣いた。いつしか気が付くと、もう深夜十二時を過ぎていた。僕が泣き腫らした顔で兄を見ると、兄は温かな笑みを見せた。


「大丈夫だ。お前の”愛”はちゃんと伝わってる。だから、安心しろ」


「……うん」


「あのハンバーグも、ちゃんと”素材”をこだわって作ってくれたんだろ?」


「……うん」


「お兄ちゃんのために、わざわざ”肉”を自分で狩ってきてくれたんだろ?」


「……えっ? お兄ちゃん、もしかしてあのハンバーグの”材料”のこと気付いてたの!?」


「当たり前だ。京子さんの肉だろ? 昨日から連絡取れなくなってたからな。今日の夕食のハンバーグが食べ慣れない味をしているのを感じて、大体察したよ。まぁお兄ちゃんの大切な彼女を殺した、のはあまり良くないことではあるんだけど。……でも、ちゃんと美味しかったし、考矢の”愛”はちゃんとお兄ちゃんに伝わったぞ! ……作ってくれてありがとうな、考矢」


 お兄ちゃんは僕の頭をポンポンと撫でると、陰りのない眩しい笑顔を見せてくれた。その笑顔に、僕もまたお兄ちゃんに顔をぐちゃぐちゃにして笑みを返した。

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