犯人

 渦霧は落ち着いた口調で話し始めた。


「そうですね……まず今回の件は不可解な点が多かったんです。一つ目は紙片が被害者の喉に詰まっていた点、二つ目はその紙片が黒く塗り潰されていた点、三つ目は塗り潰しの下に書かれた『大人』という文字、そして最後にドアノブの指紋だけが拭き取られていた点。ですが、最後の四つ目に関しましては、被害者宅の複数ヶ所からも同様の痕跡が見つかったことで考えを改めました。この時点で私の中で被害者自殺の線は消えたとも言えます」


「それはなぜですか?」


「これから自殺をしようというのに、わざわざ特定の場所の指紋だけを消す、という行動に整合性が感じられないからです。たとえば、自殺の前に身辺整理をしようと思い立ち、部屋全体の清掃をするならまだわかります。他には、遺書などが残されていなかった点も、自殺の否定に繋がりました」


「でもまだ事故の可能性が残っていますよね?」


「そうです。被害者はトリカブトの中毒で死亡したわけですが、これは被害者の他にトリカブトを調理した人物がいたと仮定します。しかし、この調理した人物がトリカブトだとは知らずに料理を食べさせ、その結果、被害者が死亡してしまったという場合には事故と見做みなされる可能性があります。詳しい状況は別にしてですが」


「では、今回の件はその調理をした人物の過失ではなく、故意にトリカブトを食べさせたと、こう言いたいわけですか? その根拠は何ですか?」


「それが例の紙片です」


「どういうことですか?」


「順を追ってお話しします。あなたは先ほど、私が『遺体の喉に詰まっていた紙片を見てどう思ったか』という質問に、こう答えましたよね? 『おかしなことをする』と。それも被害者がおこなったことの印象として」


「それが何か?」


「私は最初、被害者の喉に紙片を詰めたのが誰なのか、すぐには判断できなかったのです。被害者が自分で詰めたのか、それとも容疑者が詰めたのか。ですが、あなたは被害者と答えました。なぜそう思ったのですか?」


「先ほども言いましたよ。私には殺人には思えないから、と」


「ではなぜ、殺人ではないと思ったのですか?」


「それは……」


「いいですか、先に述べた四つの不可解な点を思い出してください。あれらだけを抜き出してみると、この件を殺人ではないと考えるほうが無理があるんですよ」


「そんなのはただの印象の問題で……」


「わかりました。それでは例の紙片についてお話ししましょう。あれには容疑者の名前を示す手がかりと、容疑者が証拠湮滅を図るのを抑止する役割があったのです」


 居住まいを正すように男性が身じろぎする。


「紙片に書かれた『大人』という文字ですが、大抵の人はあれを『おとな』と読むはずです。先ほどあなたもそう読みましたよね? ところが『大人』には複数の読み方ありまして、そのうちの一つは『うし』と読むそうです」


 男性の唾を飲み込む音が聞こえる。


「文字が塗り潰されていたのは、あなたが紙片を見つけたときに、一見して事件とは関係のないものと思わせるためです。なぜそんなことをする必要があったのか? それは、あなたが紙片を見つける最初の人物であり、証拠の湮滅を図れる立場にもあったことを、被害者が知っていたからです。もしあなたが文字の書かれた紙片を見つけたとしたら、内容がどうであれ捨ててしまうだろうと被害者は考えたわけです」


「ちょ、ちょっと待ってください。なぜ私だと決めつけるんですか?」


 渦霧は男性を抑制するように片手を前に出した。


「最後に、紙片が被害者の喉に詰められていた理由をお話ししましょう。実は、あれ自体があなたの名前を示唆する暗示だったのです。異物を誤って飲み込むことを誤飲ごいん、飲み込んだ飲食物などが気管に入ってしまうことを誤嚥ごえんと言います。紙片は喉の気管付近で見つかった。つまり、これは誤嚥を表しています。あなたの苗字には『縁』という字がありますよね?」


「バカな! そ、そんなのはただのこじつけじゃないか!」


「本当にそうだと言えますか? 牛縁さん」渦霧はそう言って立ち上がった。「詳しい事情は取調室で伺います」




                               了

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