第2話

 と言っても、今日診療するのは紅玉宮の主である貴妃きひ様ではなく、柘榴石ガーネットの額玉を持つたん婕妤しょうよ様だ。


 今年二十歳になる丹婕妤たんしょうよ様は、名のある将軍の娘として数年前に入内。赤色の額玉を持つ者らしく少し勝気な方だが、同時にその身は輝くような生気に満ち溢れている。


 房間にたどり着いた私たちは挨拶を済ませると、早速診療を始めた。

 桂蓮けいれん姐さんが見守る前で、私は丹婕妤たんしょうよ様の小さいかんばせにそっと手を這わせる。


「んっ……」


 途端に、ぴくりと丹婕妤たんしょうよ様の肩が震えた。


「さ、目を閉じて楽にしてください……」


 甘く優しく囁けば、普段は勝気な丹婕妤たんしょうよ様が乙女のように頬を赤らめ、ぎゅっと目をつむる。……私の顔はどうやら女性たちに受けがいいらしく、こういう時非常に便利だった。


 目をつぶったのを確認して、私はツ、と手を上に滑らせていく。

 なめらかで形良い額には、丸い赤の柘榴石が確かな輝きを持って鎮座している。

 それをじっくりと舐めるように、いやむしろ舐めまわすように、私は目を細めて観察した。額玉の輝きを確かめるこの瞬間は、いつ何度やっても心がときめく。

 特に、健康な額玉を見れた時は、何事にも代えがたい喜びがある。


「……うん。今日もとても良い色合いですね。色が満遍なく濃く満ちているし、輝きもいつもより強い。丹婕妤たんしょうよ様の美しさを引き立てる、芸術的な赤色です。最近、何かいいことでもありましたか?」


 私は丹婕妤たんしょうよ様の頬から手を離すと、今度は手を取って脈を取り始めた。


 途端に丹婕妤たんしょうよ様の口からほぅ……と吐息が漏れる。そのまま頬を赤らめて、彼女は私を上目遣いで見た。


「いいことなんて、特に……。しいていえば、紫瑶あなた様が診療に来てくれたから、でしょうか」


 そう言う丹婕妤たんしょうよ様の目は潤んでとろんとしており、なんともいえぬ色香をただよわせている。


 私は内心苦笑した。こういう目で見られるのは慣れているし、好意を向けられること自体は全然嫌ではないのだけれど……最近、どんどん態度が露骨になってきている気がする。


 ちらりと横にいる桂蓮けいれん姐さんを見れば、姐さんも同じことを考えていたようで小さくうなずき返してくる。


 あまり長居すると、よくないかもしれないなあ……。

 そう思った私は、そそくさと帰ろうとした。


「よかったです。また何かありましたら、いつでも宝玉治癒師をお呼びください。それではそろそろ」


 そこへ、丹婕妤たんしょうよ様があわてて私の裾にすがりつく。


「あっ、紫瑶しよう様、よければお茶でも!」


 うっ……。まさかのお誘い。

 普段だったらそのまま同席することも多いのだけれど、今回はどうしたものかな……。


 私は頭を悩ませた。


 丹婕妤たんしょうよ様は、ここ最近、私に固執している。そしてその理由にも実は少し心当たりがあった。


 というのも丹婕妤たんしょうよ様は半年前、突如額玉の表面に細かいひび割れが現れる病にかかっていたのだ。


 すぐさま何人もの宝玉治癒師たちがありとあらゆる手を尽くしたのだが、一向に改善されず、一時は「もう治らないかもしれません」と言われ匙を投げられるほど。


 丹婕妤たんしょうよ様自身も『わたくしはもうおしまいよ!』と泣いて荒れ狂う状態で、誰も手が付けられない――という時に、当時新人であった私が治療に当たったのだ。


 担当になってすぐ、私はとある軟膏を調合した。

 それはあまりに古すぎて、もっと効果のある軟膏に取って代わられたため今では使われなくなったものなのだが、同時に赤系の額玉にだけ効くのを覚えていたのだ。


 私は早速、蜂蜜と栴檀せんだんの花、朝草の露、黄連、ほかいくつかの生薬を配合した軟膏を作ると、額玉に塗り込みながら毎日丹婕妤たんしょうよ様を励まし続けた。


「大丈夫ですよ。丹婕妤たんしょうよ様の美しい額玉はきっと治りますから」


 同時に体と心を落ち着かせる薬湯を飲ませ、一か月つきっきりで看病した所――丹婕妤たんしょうよ様は見事、以前の輝きを取り戻したのだった。


 ……と、そこまではよかったんだけれど……。


 私は返答を待つ丹婕妤たんしょうよ様に、曖昧に微笑んでみせた。


 治療時に誠心誠意お世話をしすぎたらしく、今はそばにいてくれなかった皇帝よりも、私のことを気に入りすぎてしまったんだよね。

 といっても理由が理由だけに、冷淡な態度をとって丹婕妤たんしょうよ様を傷つけることもできない。


 私は悩んだ末に、またにこりと控えめに微笑んでみせた。


丹婕妤たんしょうよ様。せっかくのお誘いですが、次の診療が……」

「でも、紫瑶様がお好きな拔絲紅薯バースーホンシュウもありますわ!」


 拔絲紅薯バースーホンシュウ


 その言葉に私はぴたりと動きを止めた。


 拔絲紅薯バースーホンシュウは砂糖をからめたさつまいもの揚げ菓子で、表面を覆う、固まってテラテラになった蜜が特徴だ。


 口に入れると表面は固いが、その分中のさつまいものほくほくさが引き立つ。さらに砂糖でできた蜜の甘みも口の中で混ざり合うと、まさにこの世の極楽浄土とも呼べるほどの幸せで満たされるのだ。


 また、作り立てあつあつのうちは砂糖も固まっていないため、箸で持ち上げるとツーッと砂糖の糸を引くのもいい。子どもの頃はわざと使用人に糸を引かせて、固まった砂糖の糸だけをパリパリと食べたものだ。


 ……そういえば最近、拔絲紅薯バースーホンシュウを食べていないなあ。


 そう思った私は立ち去るのをやめ、また丹婕妤たんしょうよ様に向き直った。


「……それでは少しだけ、ご相伴に預からせていただいても?」

「ええ、ぜひ!」


 こうして私はまんまと丹婕妤たんしょうよ様の策に嵌り、蜜がたっぷりかかったほくほくのさつまいも菓子をたらふく食べることになったのだった。




拔絲紅薯バースーホンシュウ=中国版大学芋みたいなものです

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る