踏切

峰岸

踏切

 この世界にはふしぎなことがたくさんある。天気が良ければ魚のような生物が空を飛ぶし、お天気雨がふれば狐が嫁入りをしている。空中をぷにぷにした生物がただよっていることもあれば、チョークの粉を綺麗に食べてしまう生物もいるし、山びこに今日の夕ご飯を聞けば「お前の母ちゃん、ハンバーグの材料買ってたぞ」と返してきてくたり、ぼくらは不思議と共存して生きている。それはこれからもずっとそうなのだろうとぼくは思う。


「踏切にはバケモノがすんでいるんだって」

 そんなうわさがぼくの小学校で広まったのはつい最近の話だ。ぼくはその話を聞くたびにいやな気持ちになる。だってぼくの家は線路のとなり。近くには踏切もある。そんな話をされると、夜なんだかそわそわして眠れなくなってしまうのだ。お化けはちょっとだけ苦手だから、トイレの帰りが怖くなってしまう。家の廊下から見える線路は真っ暗で、ぐおおん、ぐおおんと遠くで何かが鳴いている。ぼくは耳をふさぎながらベッドにもぐりこむ。そして何も聞こえなくなってから、やっと安心して眠ることができるのだ。

「なんか真っ黒で大きいんだって」

「口が大きいって聞いたよ」

「昼間はでてこないんだって」

「ツメとキバがギザギザで大きいって聞いた」

「悪い子は食べられちゃうらしいよ」

「それ聞いたことある! 隣町のやつ食われかけて入院したって!」

 バケモノの情報が嫌でも耳に入ってしまう。風に乗って言霊が伝えてしまうからだ。帰り道なのに、なんでこんな気持ちにならなければいけないんだろう。そうしているうちに、家の近くの踏切まで歩いてきてしまった。カンカンと鳴る踏切。ゆっくりしましまの棒が下りてくる。踏切はこわいだけじゃない。しましまの棒を見ていると、なんだかトラが電車と線路からぼくを守ってくれているような気がするのだ。それに踏切にはおっちゃん達がいる。おっちゃん達は夕方に現れだすのだが、口が悪くて顔が怖い。正直、踏切よりもこわいのだ。

 カンカンカンカンといつもより長く音がなる。不思議になって、一歩だけ前に出た瞬間。ぐおおん、ぐおおんと大きな鳴き声。そして突風が吹いて、バケモノはぼくの帽子をさらっていってしまった。


「おう、坊主。大丈夫か?」

 びっくりして尻もちをついていたぼくに声をかけてくれたのは、おっちゃんだった。おっちゃんはいつもヘルメットをかぶってチョッキを着ている。

「ほら、手ぇ貸しな」

 おっちゃんはそう言うと、ぼくの手を取って立たせてくれた。ぼくはおっちゃんにお礼を言う。

「坊主ちょっと待ってろよ。帽子取ってきてやるから」

「ぼうしはいいよ。母ちゃんがおっちゃんのおしごとのジャマはしちゃいけないって言ってた」

「そんな気にするなって。おーい! そっちに帽子が飛んでねーかー?」

 おっちゃんは大きな声で線路の方に向かって言う。線路には別のおっちゃん達がいて、線路にのっている石をどかしたり、線路にしかれている木の部分を見ているようだった。

「こっちに赤いキャップならあんぞー!」

「それこっちに持ってきてくれー!」

 別のおっちゃんがぼくのぼうしを持ってきてくれた。

「坊主、これであってるか?」

「おっちゃん、ありがとう」

 ぼくはおじぎをしながらそう言った。

「親方、ここいらバラストが少なくなっていて、作業終わらせるのに何日か掛かりそうですぜ」

「しゃあねぇよ。アイツも食ってんだ。事故が起きる前に気が付けてよかったじゃねえか」

 おっちゃんは仕事の話に戻ってしまった。ぼくはもう一度おじぎをしてから踏切をわたる。

「おーい、坊主!」

 踏切をわたりきったころ、おっちゃんに呼ばれる。ふりむくとおっちゃんが手をふってくれていた。

「ここいらは夜危ねーから、外にはでんなよー!」

 ぼくはおっちゃんに手をふって返事をする。でもさっきのバケモノはなんだったのだろう。胸のあたりがモヤモヤする。このモヤモヤが不安になりませんように、と願いながら家まで走って帰った。


「給食袋をどっかに置き忘れてきた? もー、いったいどこに忘れてきたのよ」

 帰ってから母ちゃんに言われ、手に給食袋がないことに気が付いた。きっと踏切だ。あそこまで落としたんだ。慌てて踏切に行こうとするぼくを母ちゃんが止める。

「場所がわかっているならいいのよ。明日、ちゃんと探しに行きなさいね」

 日も暮れて危ないんだから、と母ちゃんは言う。ぼくはなんだかいけないことをしてしまった気持ちでいっぱいになり、少しだけ泣きそうになってしまった。

 その日の夜は、風がつよく吹いていて、窓ガラスがガタガタと音を立てていた。風神様がちょっと怒っているようだ。ぼくが給食袋をわすれたのに怒っているんだろうか。その音が、実は窓ガラスの音ではなく別のバケモノの音だったらどうしようと思うと眠れなかった。

 あまりに眠れないので水を飲もうと部屋をでたときのことだ。いつもは真っ暗な線路が明るい。何があったんだろう。窓からのぞくと、真っ黒なバケモノが線路にいた。

「給食袋! 食べられちゃう!」

 ぼくはそう思って、パジャマのまま外へ飛び出した。


 真っ暗な通学路はなんだかブキミだと思う。標識はこっちを見ていそうだし、曲がり角になにかがひそんでいそうだし、何かが出てきそうでこわい。でもあの真っ黒なバケモノに給食袋を食べられたら、母ちゃんに怒られてしまう。それだけはイヤだ。

 走って踏切までいくと、そこは電気で照らされていて昼間のように明るかった。真っ黒なバケモノはいない。踏切の向こう側にぼくの給食袋があった。慌てて渡ろうとするとカンカンと音が鳴る。しましまの棒が下りる。急がなきゃ食べられてしまうと思ったぼくは、踏切の音を無視して渡ろうとした。

「こら! 坊主何してんだ!」

 ぼくのうでをつかんできたのは、おっちゃんだった。そしてぐおおん、ぐおおん、と大きな鳴き声を響かせながら真っ黒なバケモノが走り去っていった。


「あっはっは! 雲母に給食袋を食われると思ったって、流石のアイツもそれは食わねぇから心配いらねぇよ」

 正直に事情を話すと、おっちゃんは真夜中なのに大声で笑いだした。

「ありゃあ、雲母。俺らの相棒さ。アイツのおかげで線路メンテナンスできてんだ。いっしょに転がってる石ころも食うから、俺らの仕事は石ころを綺麗に整えて雲母が食いやすいようにして、枕木も新しいものに変えてやることさ」

 ぼくがバケモノだと思っていたものは、うんもという生物だったらしい。人間は食べないとおっちゃんは言っていた。なぜだかぼくの体から力がぬけていく。

「アイツは夜行性で大人しいんだが、すっげぇ速度で走るから危ねぇんだよ。だから俺達が見張りながら仕事してんだ。坊主、勉強になったか?」

「うん、もう踏切はちゃんと待ってからわたるよ」

「それがわかりゃ、いいさ。でも、もう夜中に家から抜け出すんじゃねぇぞ」

「わかったよ。おっちゃん、ありがとう」

 ぼくは給食袋のヒモを握りしめ、家まで真っすぐ帰っていく。

 家をでる時はあんなにこわかった踏切は、もうこわくはなかった。あんなにこわかったおっちゃん達も話してみたらやさしいの人だった。真っ黒なバケモノも近くに行かなきゃ大丈夫。でもすごい速さで動いているからそこには注意しなきゃいけない。

 ぼくは、きっと今日の夜のことを忘れることはないのだろう。もう、踏切はこわくはならない。きっとそんな気がするんだ。

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踏切 峰岸 @cxxpp

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