明日、好きな人が結婚する

井田いづ

第1話

 明日、好きな人が結婚する。


 一人暮らしには少し広い2LDK。今日までは私とハルカの城だったのに、明日からは私だけの家になる。


 ボウルに白飯を二杯、そこに卵と納豆、キムチを入れてぐちゃぐちゃに混ぜる。使いサシのニンニクチューブをフライパンに絞り入れて、ひとたらしの醤油とごま油とを加熱してから、ボウルの中身とだしパックの中身を投げ入れる。手順も立ち上る香りも慣れたものだ。

 色んなものがぐちゃぐちゃになって、火が回って、ひとつになったころ。ハルカが部屋から起きてきた。


「わあ、良い匂い」

「ハルカ、おはよ」

「おはよー、フユちゃん」

「てか、朝っぱらからコレで本当に良かったの? 臭みのオンパレードじゃん」

「うん! フユちゃん、大学の時よくコレ作ってくれたじゃん? 懐かしくて、独身最後には絶対コレ食べるぞーって思ってたの! ナツ君、納豆とかキムチとか、発酵食品ダメなんだよねえ」

「はいはい、早く顔洗ってきなよ」


私は好きだよ、ハルカの好きなものほとんど好きだ、そう言えずに曖昧に返事をする。ハルカの好きなもので嫌いなものは、今となってはひとつだけだ。


 顔を洗って、着替えてきたハルカは笑顔で盛り付けにかかった。インスタントの中華スープ、納豆キムチチャーハン、ぬるい麦茶。これが私たちの日常だった。それを最後とばかりに丁寧に準備するハルカの後ろ姿に、私はなんともない顔をした。

 痛くない、苦しくない。大好きな人が、大好きな人と、幸せになるだけだ。笑顔も浮かべられて当然だ。


「明日籍だけ先に入れるんだよね。式っていつだっけ?」

「うーん、来年にしようかなあって話してるんだよねぇ」

「ふうん?」

「絶対来てね?」

「絶対行くって」


私は揶揄うように笑みを作る。


「しっかし、あんたもいよいよ人妻かぁ。ナツキさんに意地悪されたら私に言うんだよ」

「ふふん、ナツ君はそんなことしないもーん」

「ま、虫も殺さない印象ってか、超優しい感じだもんね」

「うん! すごく柔らかい人だからね!」


ほら、そんな満面の笑みを咲かせられて、手折れる人が何処にいるだろうか。好きな人が幸せなら、私も幸せなはずなのだ。


 ハルカの結婚が決まってから、この家からその痕跡が大雑把に消されていった。

 黄色い花柄のカーテン、良い匂いのアロマディフューザー、ぬいぐるみ、誕生日に贈った壁掛け時計、思い出のあれこれが箱に詰め込まれて何処か遠いところへ旅立っていく。写真立てや壁紙は残り続ける。

 学生の頃、ノリと勢いで始めた共同生活に、私が取り残されている。そんな私を置いて、ハルカは笑顔で走り去っていく。



 恋人ができたと教えてくれた日。ずっと付き合っていた人にプロポーズされたとはにかみながら報告をくれた日。慌ただしく結婚式の準備だとか、新居探しだとか、走り回っていた日々。


 結婚相手ナツキさんの名前なんて覚えるつもりもなかった。けれど、あんまり嬉しそうに何度も何度も口にされれば覚えてしまう。マトモに会った回数なんて両手に満たない程度だけれど、優しくて誠実で、なによりハルカを大切にしているのは嫌と言うほど伝わってきた。

 顔には出さないけど、私は善意の塊みたいなそれが嫌いだった。私の大好きな人を掠め取るその善意は、魑魅魍魎の類に他ならなかった。私の大好きな飯田遥香ハルカを、私の知らない坂本遥香だれかに変えてしまう、恐ろしいモノ。



 いつか、お揃いで買ったレンゲでチャーハンを掬う。

 飲み込んだそれは味が濃すぎて、口の中でケンカをしているようだ。それをぬるい麦茶で飲み下す。

 ディズニーランドで買ったお揃いのレンゲは私と一緒に置き去りの運命だ。曰く、食器は買い直すから、それにフユちゃんもつかうでしょ、ということらしい。

 ハルカは美味しそうにチャーハンを楽しんでから、こてんと首を傾げた。


「フユちゃんはここ、引っ越さないの? ここだと、職場から遠いんじゃない?」

「引っ越す予定はないよ。ま、通勤それ以外は便利だし。それに懐かしい場所の一つ二つ、手近にあったほうがハルカも気が楽でしょ」

「あはは、それは確かに〜」

「生憎結婚の予定もないしね」

「えー、私フユちゃんの結婚式で号泣必至のスピーチをするのが夢なんだよう。未来はわかんないじゃん?」

「叶わない夢は捨てな」

「子供同士で遊べたら楽しーなーって」

「あはは、ざーんねんでした! ハルカの子供たちの親切なおばちゃんになるのは歓迎だよ。ご存知子供の相手も得意だからさ、じゃんじゃん気にしないで遊びに来てよ」


 子供未来の話をなんともないように口にして、後悔する。そこに私の入る余地を、無理やりに作ってしまえと吐いた言葉にハルカは幸せそうに微笑んだ。


「フユちゃん、子供好きだもんねぇ、知ってる!」


もちろんだと笑う彼女は、私の汚さに気がつかないまま、子どもは何年後に何人欲しいだとか、女の子と男の子の兄妹がいいだとか、そんなことを語りだした。


「そうだ、フユちゃんにゴッドマザーになって欲しいな!」

「ゴ、なに?」

名付け親ゴッドマザー! フユちゃん好きでしょ、映画のゴッドファーザー。なんて意味かなって調べたら、名付け親って出てきたの」

「……その理由での人選に、ナツキさんは納得するの?」

「あはは、どうかなあ。でも、ナツ君もフユちゃんのこと信頼できる良い人だって言ってるもん」


良い人だと言える余裕が恨めしい。私は考えとく、と努めて軽い調子で返した。


 幸せそうな姿に綻んで、勝手に抉られて、明日からの一人暮らしに苦しんで、やっと泣けるんだとホッとして。

 大好きな人の大好きな人になりたかった。

 叶わない夢を見ていたのは、ハルカじゃなくて私の方。


 食べ終わって、片付ける。食器を下げていると、ハルカが鞄から仰々しいものを取り出した。手回し式のコーヒーミルと、コーヒーフィルター。聞けば、昨日買ってきたものだそうで。


「ね、コーヒー飲む? ナツ君がコーヒー好きでさ、私もこの前コーヒーセミナーに行ったんだ。絶対、一番にフユちゃんに飲んでもらいたくて!」

「えー? その流れだと、一番はナツキさんでしょ」

「ううん、フユちゃんが最初のお客様は決定なの! よく朝のコーヒー淹れてくれてたじゃん、おかえしだよ」

「インスタントだけど」

「インスタントでも! 朝のコーヒーって言ったらフユちゃんの印象が強いもん。まだナツ君も飲んだことな…………あ、一番最初ってことは淹れ慣れてなくてマズイかも知れないけど」

「ううん、それは平気。一番の珈琲ちょーだい」


 優越感と、絶望感と。

 丁寧にひかれた珈琲豆の香りが、細く円を描く湯によってふわりと部屋いっぱいに広がる。手つきはただただたどたどしくて、豆を入れすぎたコーヒーは見るからに苦そうだった。味見、と一口飲んで顔を顰めたハルカは大慌てで冷蔵庫から牛乳を引っ張り出した。


「ごめん、濃く入れすぎた! ミルク入れてのんで!」

「平気だよ、そのままで」

「ううん、絶対ミルク割りで!」


 世界で一番美しいコーヒーにミルクを落とす。ぐるぐるとマーブルを描くそれは、乱雑に混ぜるうちにやがて均一な色になる。

(……いつか)

ぐちゃぐちゃとまぜこぜになった、この澱みも飲み込めるのだろうか。


(了)

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明日、好きな人が結婚する 井田いづ @Idacksoy

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