バーで飲んでたらイケメン♀にお持ち帰りされた話

武州人也

初めての女性同士

 同棲していた彼氏と喧嘩した私は、バーのカウンター席で一人飲みをしていた。頭の中がぐちゃぐちゃどろどろの私は、いつも飲まない強めのお酒を頼んだ。


 喧嘩のきっかけは、彼氏が全長二メートル以上ある木彫りのサメを突然購入して、リビングに飾り出したからだ。何の断りもなく共有スペースに巨大な物体を置いたことが腹立たしくて、彼氏に泡を飛ばしまくった挙げ句、バッグだけ持って飛び出したのだった。


 それまでは、特別悪い彼氏じゃなかった。少し強引なところがあったにせよ、そこも「私をリードしてくれる」と好意的に捉えていた。特に妙な趣味もなかったから、あの巨大な木彫りのサメはまさしく不意打ちとしかいいようがない。


 ……正直、もう私たちの関係は修復不可能だ。あそこまで徹底的に戦ってしまったら、もう亀裂は埋められない。ああもう、何でこうなったんだろう。彼氏以上にあの木彫りのサメが呪わしくて、あれが置いてある場所には帰りたくない。


 少しばかり酔ってきた頃、一人の女性がスッと近づいてきて、声をかけてきた。ダークブラウンのショートボブに、切れ上がった目尻、レザーのショートパンツにへそ出しスタイルの白いタンクトップ。女性にしてはかなりの高身長……というか、彼氏より高そうだ。酔いのせいでパッと見男性かと思ったが、割と大きなバストを持っていたので、すぐに女性だと気づいた。


 名前を「鱶川ちひろ」と名乗った彼女は、どうやら私と同じ社会人一年目だという。声をかけてきたのがイケメンの男性でなかったのは少々残念だけれど、同性の友人もほしかったから渡りに船だ。


 よく見るとこの人、二の腕が筋張っていて、腹もビシッと鍛えられている。アスリートみたいな肉体だ。


「腕とか結構たくましいけど……何かスポーツとかやってたの?」


 と、聞いてみた。すると、


「ああ、騎射をやってる」


 という返事が返ってきた。なじみのない単語が飛び出してきたので、


「キシャ?」


 と聞き返した。


「アレだよ。馬に乗って、弓を射るヤツだ。流鏑馬やぶさめってあるだろ?」

「ああ、あの馬走らせて矢を射るやつ」

「その通りだ」


 なるほど、この人……かなり難しそうな競技をやっているらしい。乗馬と弓道、どちらか片方だけでも難しいのに、馬を走らせながら弓を引くというのは相当訓練しないとできないだろう。


「大変そう……っていうか怖くない? 弓引くってことは手綱から手離すんでしょ?」

「チビの頃からやってるからよ、こえェと思ったことはねェな」


 そう言って、ちひろさんは手元のグラスを傾けた。


「まぁ、慣れるまでがタイヘンだってェのはその通りだな」


 わたしはちひろさんの横顔を、ぼうっと眺めていた。


 流鏑馬をやっている人なんて、そうそう見かけるもんじゃない。最初はよさげな男性に声をかけられるのを期待していたけれど、それよりもずっと面白そうだ。


 それに……イケメンというならこの人もかなりのものだ。正直、その辺の男性よりもずっとかっこよく見える。世にいう「イケメン女子」そのものだ。きっとバレンタインには、山のようにバレンタインチョコを贈られることだろう。


「すごいなぁ、ちょっと見てみたいかも」


 ウソ偽りのない一言だった。この人が馬に跨り、疾駆しながら矢を放つ……想像しただけでワクワクする。きっとこの世のものとは思えないぐらい、かっこいいんだろうなぁ。


「再来週の土曜日に試合があるんだけどよ、見に来てくれるとオレは嬉しいぜ」

「えっ、もちろん! そういうの見てみたいし」

「よし、じゃあ決まりだ。待ってるぜ。場所は後で教える」


 そう言って、ちひろさんは私の肩に手を回してきた。触れられたとき……私はちょっとドキッとした。


 再来週の土曜日……その日は彼氏の誕生日だ。もしあのサメさえなければ、きっと誕生日を祝う日だったに違いない。でももう、彼とは終わったも同然だ。もう私はあそこへ戻らず、実家へ帰ると思う。幸い今はリモートワークだから、実家に戻っても不都合はない。


「なんか、浮かねェ顔だな」

「うん……ちょっとね」

「今までさんざんオレばっかり話しちまったからな、何かあるンなら、相談に乗ろうか」


 こういうことは、会ったばかりの相手の方が話しやすかった。私は同棲彼氏と激しい口喧嘩をした挙げ句、その勢いでここまで来てしまったことを話した。


 ……話していると、悲しくなってきた。この事件さえなければ、本当にうまく行っていたのだ。なのに……なのに何でこんなこと……


「はっ、ソイツァひでェ野郎だな。泣くほど傷つけるなんてよ」

「ご、ごめん……なんか悲しくて……」

「悲しけりゃ涙が出る。そりゃ仕方ねェことだ。そうだな……気分が落ち着くまで、うちでゆっくりしてきなよ。アレコレ考えるのはそれからでいい」


 私はコクコクとうなずいていた。今夜一人では心細くて、誰かが隣にいてほしかった。ちひろさんは男っぽいしイケメンだけど男性ではない。彼氏ときっぱり別れていないのに別の男の家に上がり込む……なんていう不義理を働くのは気が引けるけど、女性相手であればその点気が楽だ。


 ……そうして今、私はちひろさんの住まいのリビングで、彼女から借りた寝間着を着てソファに腰かけている。


 ぼーっとしていると、ちひろさんが隣に座った。シャンプーの匂いがふわっと香ってくる。


「そちらさんの彼氏も、マヌケな野郎だ」

 

 私の首に、手が回った。互いの目が合う。ちひろさんの瞳は、ルビーのように赤く光っている。吸い込まれそうな目、とはこのことか。


「こんなイイ女を泣かせて、追い出しちまうんだからよ」


 ちひろさんは左手を私の首に回しながら、右手でそっと顎に触れてきた。指の皮が分厚い。高校生のときに仲が良かった弓道部員も、こういう指をしていた。

 

「オレはこの通り女だが、女にしか興味がなくてな」


 ……最初から、そんな気はしていた。ちひろさんこの人は下心あって近づいてきたのだ、と。彼女の視線は、お持ち帰りを狙う男性のそれと全く同じだった。薄々気づいてはいたけれど……いや、気づいていたから、私は誘いに乗った。


「その様子じゃあ、女とするのは初めてだろ」


 その通り……今までの恋人は男性だけだったから、女性とこういうことになるのは初めてだ。

 

 私の唇に、ちひろさんの唇が重なった。私は拒まず、黙って受け入れた。


 それから、私はベッドに連れ込まれた。生まれたままの姿になって、愛撫を受けている。今までのどの彼氏よりも上手い。まともな意識を保つことは、もはや不可能だった。


「もう男には戻れねェようにしてやるからな……」


 耳元で、愛しい人の声が聞こえる。脳みそが焼き切れそうだ。


 バーに来たときとは別の意味で、私の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。

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