性バレンタインデー

Jack Torrance

抑え切れなかった自分

高校2年生の五味 武弘は憂鬱な気分で毎年この日を迎える。


2月14日、バレンタインデー。


朝、学校に着くと内心で舌打ちして毒を吐く。


登校前や放課後の校門の前で意中の男子を待ち伏せしてチョコレートを渡す女子。


休み時間に机の引き出しにチョコレートをそっと忍ばせる女子もいる。


チッ、アメリカ被れの腐れどもがッ!


まんまと菓子メーカーの商戦に乗せられやがって。


武弘はブサイクだ。


ブ男でバカでぼーっとしてる。


3Kならず3Bだ。


保育園に始まり、幼稚園、小学校、中学校、そして高校へと進学したはいいものの、一度もモテた試しは無い。


人は、これを皆無と言う。


モテ期という言葉は武弘にとって雪解けの無い北国という言葉に脳内のワードプロセッサーで変換される。


長く辛い冬の時代。


人は、これを氷河期と言う。


学校から帰宅すると自室の机の上には母のかなえからのハート形のバレンタインチョコが置かれている。


武弘は母親似だ。


だから、かなえはブスだ。


ハート形のチョコレートにはホワイトチョコで〈愛してるー とーてーもー〉と毎年メッセージがデコレートされている。


かなえは錦野 旦の大ファンだ。


なのでバレンタインデーに母親以外の女性からチョコレートを貰うという事は商店街のくじ引きでハワイ旅行が当選、いや、年末ジャンボ宝くじで一等前後賞合わせて10億円当選に匹敵するくらいジャンボな出来事なのだ。


解り易く例えるなら、ジャンボ鶴田がジャンボラリアットで次次とジャンボジェット機を破壊していくくらい凄まじい天変地異の出来事なのである。


人は、これを人災と呼ぶ。


そう、武弘にとってバレンタインデーにチョコを貰うという事はチョコモナカジャンボのジャンボさとは比べ物にならない程のジャンボな一大センセーションなのだ。


嗚呼、誰か俺にチョコくんねえかなぁ~。


やれ、アメリカ被れだの、やれ、菓子メーカーの商戦だのと毒を吐いてはいるものの、心の奥深くではチョコレートを物凄く欲している己が存在しているのも事実であり武弘は揺れ動く心の板挟みになり葛藤していた。


武弘は校門でチョコを貰っている男子を羨望の眼差しで横目に見ながら傷心モードで下駄箱に向かう。


己の下駄箱から20mくらい離れた位置から下駄箱にいつもと違う光景を目にする武弘。


武弘は視力10,0だ。


そう、武弘は3km先のシマウマだって見えるのだ。


マサイ族に生まれていたら武弘は、きっと良いハンターになったであろう。


上履きの中から覗いている透明なセロファン包装にラッピングされた茶色の物体。


セロファンの上方はピンク色のリボンで結ばれていてハートのシールが貼られている。


目をぱちくりさせ餌を求めて水面(みなも)に浮上して来る鯉のように口をパクパクさせる武弘。


チ、チョコだ!!!!!


心臓が早鐘を打つ。


バク、バク、バク、バク。


脈打つ鼓動が血管を介して鼓膜に伝わって来る。


ジャ、ジャンボな一大センセーション。


そう、それは一足早い春の訪れだった。


ブ男でバカでぼーっとしてる武弘が万が一にも東大に合格する事は無いであろうが、武弘にとってチョコが上履きの中に入っているという事は東大合格に匹敵するくらいのセンセーショナルな光景を目の当たりにしているのである。


それは合格発表の掲示板に己の受験番号が貼り出だされているのと同じ事を意味しているのである。


桜咲く!!!!!


だが、いくらなんでも上履きの中に入れなくてもいいじゃないかという蟠りも生じたのが正直な実感である。


でも、それでもいいんだ。


武弘は足が臭かったが自分の足の臭いは決して嫌いではなかった。


それどころか、武弘はクラス一の美女、壱条 由加里の上履きの臭いを嗅ぐのを密かに楽しみにしている変態ヤローでもあった。


その変態行為は去年の6月から始まった。


放課後。


誰もいない下駄箱。


周囲をキョロキョロと見渡し挙動不審な立ち振る舞いで由加里の下駄箱の前に立つ武弘。


由加里の上履きを手に取り思いっきり、その香しき香りを鼻孔に取り込む。


スーハー、スーハー、スーハー、スーハー。


うーん、めっちゃ堪らんねー。


夏を過ぎてから由加里の上履きの臭さはグレードアップしたレクサスのように香ばしい香りを発するようになった。


由加里の上履きは臭かった。


無我夢中で貪るように由加里の上履きに鼻を突っ込んで臭いを嗅ぐ武弘。


素潜りをしている海女さんが海面に顔を出し酸素を求めるように夢中で由加里の上履きの臭いを鼻孔に取り込む武弘。


その光景は連続強姦魔が被害者女性から剥ぎ取った戦利品のパンティを嗅いでいるのと同等、いや、それ以上に異様な光景であった。


自分の足以上に臭いゆかりの上履き。


美しい由加里からは想像出来ない程に悪臭を放つ、その上履き。


武弘は、そのギャップに萌えた。


由加里の上履きの臭いを思い出しながら毎夜オナニーに耽る武弘。


だから、上履きの中にチョコが入れられていようが何だろうが、そんな事は脇に置いといて、今この喜びを享受するのだ。


ニヤケ顔で喜び勇んで自分の下駄箱に駆け寄る武弘。


そして、上履きの中を見て愕然とした。


ピンクのリボンとハートのシールで可愛くラッピングされたセロファンの包装の中身はコンビニで売られているおでんのごぼう巻くらいの太さはある立派な一本糞だったのである。


い、一体、誰が?


お、俺が何をしたっていうのか?


ち、畜生、このクソを俺の上履きに仕込んだ奴は何処の何奴なんだ?


武弘は怒りで身を震わせた。


すると、背後から「ククククク」と嘲笑を含んだ笑い声と声がした。


振り返る武弘。


其処には由加里と、その取り巻きの理香と久美子がいた。


理香と久美子が由加里に2万円ずつ渡している。


由加里が金を受け取り笑いながら言う。


「ほら、見てご覧なさいよ。あのバカ、チョコだと思ってニヤケ顔で下駄箱に駆けて行ったでしょ、アハハハハ。中身が竹下のうんこだと知らずに」


武弘は何が何だか呑み込めなかった。


一体、何を言ってるんだ?


あの、クラス一美女の由加里が…?


竹下のうんこ?


竹下は身長161cm体重86kgのチビでデブ。


3m離れた所からでも腋臭の悪臭を放って来る。


その饐えた臭いは腐った玉葱を連想させる。


それくらい竹下の脇は臭かった。


夏の半袖Yシャツの時には、いつも脇に汗染みを作っている。


プールの時はクラス一、意地の悪い蔵元から「おい、竹下、お前、塩素消毒、一番最後に入れよ。後、お前の塩素消毒、塩素の量1,5倍増量な」と揶揄されている冴えないダメ男だった。


武弘は足りない脳味噌をフル回転させて今の状況の把握に努めた。


「由加里、あんた、いつも、あたし達から金巻き上げてばっかだよね。その2万も、この前パパ活でめっちゃダッサい親父から巻き上げたばっかでコーチのバッグ買おうと思って取っておいた奴なんだからね」


理香が由加里に突っ掛かる。


「そうよ、由加里、あたしもバイトで貯めてた金から払ってんだからね。由加里は親が金持ちだから、よゆーだろうなんだろーけど、あたし達庶民はくろーしてんだかんね」


久美子が理香に便乗する。


由加里が美女に似つかわしくないしたり顔で言ってのける。


「だ か らー、あたしの賭けに乗ったあんた達が悪いんでしょー。彼奴、キモいってあたし言ってたじゃん。彼奴、あたしの上履きと思って、あのクッサい上履き、毎日のように嗅いでんだよねー。去年の6月に初めて見た時、めっちゃ引いたわよ。うわっ、キモッ!って感じでね。だから竹下に1万払って新しく買った上履き、夏の間ずっと履かせてたのよ。あたしの前の上履きはキモいから捨てて、その夏の間、ずっと竹下に履かせていた上履きとすり替えて下駄箱に入れてたの。で、あのバカ、竹下の履いてたクッサい上履きと知らずに毎日嗅いでる訳、キャハハハハ、マジバカだよね彼奴」


えっ、えっ、えっ、エエエーーー!!!!!


武弘はリアルマスオさんのように驚いた。


あ、あ、あの臭い上履きは竹下が履いていた上履きだったなんて…


尚も由加里が続ける。


「あの臭そうな一本糞だって、あたしが竹下のチンコ、シコシコしてやるのを交換条件に竹下にちゃんとラッピングさせて置かせたんだからね。竹下のチンコ、めっちゃクッサいのってなんのって。あたし、一応その事考えて洗濯バサミ容易しててシンクロナイズドの小谷 実可子みたいになってシコシコしてやったんだかんね。だって、竹下、脇もめっちゃクッサいじゃん。やっぱ、洗濯バサミ用意しといて良かったわー。モチ、シコシコの時はゴム手着けてだけどー。そんで、竹下のチンコ、皮被ってて、めっちゃチンカス付いてんの。で、ティッシュのカスも付いてたから『竹下、お前、昨日オナった?』って聴いたら顔を赤らめて『うん』なんて言ってんの。超ウケるんですけどー」


釣られて理香と久美子が腹を抱えて爆笑する。


ゲッ、こ、この一本ぐソが竹下のってのはそーゆー事なのか!


武弘は腹の底から煮え繰り返るような憤怒の念に駆られた。


握りこぶしを作って由加里、理科、久美子を睨む武弘。


由加里が踏ん反り返って偉そうな口調で言う。


「何だよ、五味、その目付きは。お前もあたしの上履きだと思ってクンクンしてたクズだろ。名は体を表すって言うじゃない、よっ、ゴミヤロー。お前も、その上履き、あたしのだと思って竹下みたいにシコシコしてた口なんだろ、この下衆がッ」


由加里に図星を指摘されて更に憤怒の念に拍車が掛かる。


武弘は己を自制出来ない程に初めて殺意というものを覚えた。


プルプルと小刻みに震え何も考えずに武弘は次のアクションを起こしていた。


武弘がブレザーのスラックスのポケットに手を入れて由加里に向かってダッシュした。


数数の修羅場を潜り抜けて来た傭兵のように手早くポケットからバタフライナイフを取り出し由加里の喉に突き刺す武弘。


グサり!


バタフライナイフはゲーセンでヤンキーどもにカツアゲされそうになった時に護身用として忍ばせていた物だった。


血飛沫が宙に舞い返り血を浴びる武弘。


「キャ、キャアアアッーーーー!!!!!」


理香と久美子が全速力で逃げて行く。


校門では真冬なのに体にフィットしたTシャツにランニングパンツといういで立ちの生活指導の岩野が登校してくる生徒達に目を光らせていた。


岩野は体育教師で鍛えられた筋肉質な体型。


切れ長な鋭い眼光に特徴的なカイゼル髭。


それに、体にフィットしたTシャツにランニングパンツという出で立ちなので街で見かけたら変質者に間違われる事は間違いないであろう。


このファッショナブルな出で立ちは高校という閉塞された空間の中でのみ許されているのだ。


一歩、この出で立ちで社会に出ればそれは立派な性犯罪なのである。


下半身がもっこりしてる時は特に注意が必要だ。


理香と久美子が岩野に言う。


「せ、先生、げ、下駄箱で…」


岩野が理香と久美子のただならぬ様子を察知しウサイン ボルトのような華麗なフォームで下駄箱に駆けて行った。


其処には茫然自失で立ち尽くしている武弘と首にバタフライナイッフが突き刺さった状態で目を見開いて仰向けに倒れている由加里の遺体があった。


由加里は大量出血で既に事切れていた。


変わり果てた由加里の姿を目にし驚愕する岩野。


岩野も武弘同様、由加里のスクール水着姿と体操着にブルマ姿をおかずに毎夜オナニーしていた口であった。


「ご、五味、お、お前、何て事仕出かしてくれたんだ」


岩野の通報により駆けつけた警官と殺人課の刑事と鑑識。


手錠を嵌められ二人の警官に両脇を抱えられながらパトカーに乗せられる武弘。


騒ぎを聞き付けた近所の野次馬と各報道機関のリポーターとカメラマンに囲まれている。


フラッシュが焚かれ辺りは騒然とする。


警察署に連行された武弘は己を取り戻し淡淡と取り調べに応じ家庭裁判所に身柄を送致された。


裁判は粛粛と執り行われあっという間に結審した。


裁判官の鳥山は神妙な面持ちで武弘に判決を言い渡す。


「あなたはまだ若い。人生はこれからです。亡くなられた女性の事を想い、ご家族の為に一日でも早い更生を私は願っています。少年刑務所での生活は、あなたにとって厳しいものになるでしょうが己を見失わずに頑張ってください」


傍聴席からかなえのすすり泣きが武弘に聞こえる。


武弘は鳥山の目を見て「はい」とだけ答えた。


あれから一年。


またバレンタインデーがやって来た。


母のかなえは小さな箱にリボンを巻いた物を持って面会所に入って来た。


「武弘、風邪なんか引いてないかい?」


「ああ、母さん、今日は来てくれてありがとう」


「今日はバレンタインデーだからね。これ、母さん作ってきたんだ」


久し振りに見た母の顔は少し窶れたように映った。


リボンで巻かれた箱をそっと手渡すかなえ。


刑務官の北沢は見て見ぬ振りをしている。


本当は規則違反だが、真面目に刑に服している武弘を毎日見ているので寛大な措置を施している。


久し振りの母との対面に積もる話は山ほどあるが面会時間の30分は瞬きのようにあっという間に過ぎていく。


「武弘、辛いだろうけど頑張るんだよ」


本当は泣きたい気分だが、母を心配させまいと気丈に振る舞う武弘。


北沢が武弘の所にやって来て言う。


「五味、それは他の収監されている少年達に見つからないように自分の監房に持って行くんだぞ」


「はい」とだけ答える武弘。


午後9時半消灯。


武弘は固いベッドの上で母から貰った箱のリボンを解いて中を開けた。


廊下の常夜灯に照らされてハート形のチョコレートにホワイトチョコで書かれている文字が薄っすら見える。


〈愛してる とーてーもー そして いつまでも〉


「うっ、うっ、うっ」


静かに嗚咽を漏らす武弘。


母さん、ごめんよ。


鉄格子の付いた窓から柔らかな月明りが小刻みに震える武弘の背中を照らしていた。


母さん、バカな俺でごめんよ。


俺を見放さずにいてくれてありがとう、母さん…


武弘は母の手作りチョコを齧った。


かなえの手作りチョコは甘い物が苦手な武弘の事を考慮してビターだが、この晩、武弘が齧ったかなえの手作りチョコはスウィートだった。


武弘は今更ながら己の仕出かした事の重大さを母の手作りチョコを味わいながら噛み締める。


其のころ。


昼間の勤務を終えた刑務官の北沢。


北沢はラブホで彼女の美香ちゃんが乳首に塗りたくったチョコをペロペロしていた。


「美香ちゃん、おいちー」


「たっくん、気持ちいいー。もっとペロペロして」


北沢の下の名は拓海だった。


人には晒したくない裏の顔がある。


武弘が由加里の上履きの臭いでオナニーをしていたように…


岩野が由加里のスクール水着姿と体操着にブルマ姿をおかずに毎夜オナニーしていたように…


クリスマスが何時の日からか性なるクリスマスと成り下がったようにバレンタインデーも性バレンタインデーになるのだろう…

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