第2話 鳥マスクの女

 黒い馬車が陣地へ入ってきた。一頭の馬で引く小さな馬車で、雨風をよけるためのほろには大きく聖王庁の印が描いてある。


 長旅をするには無用心に見えるが、この印がある限り、野盗に襲われることはまずない。

 法を知らぬ者たちは、だからこそ神にまで見捨てられることを恐れる。飢え死にしかけても、聖王庁の印が入った小麦の袋には手を出さなかった盗賊がいたほどだ。


 寝台でうめいていた兵士たちも、神官の登場を受けて、両手を組んで祈り始める。兵士も野盗と紙一重。彼らもまた、敬虔な信徒たちであった。


「ようこそ参られた。聖王の使者よ。招きに応じていただき感謝する」


 リカルドも言葉遣いを正して歓迎の意を表する。いくら王族であっても、神官に対して無礼はできない。それはマナーでもあったし、国と聖王庁の力関係の現れでもあった。

 

 御者台には奇怪な布の塊があった。黒いマントがこぶのように盛り上がっている。顔は鳥の頭を模したマスクでしっかりと覆われて見えない。

 マントに隠れて見えない首から、大ぶりの聖印が下がる。これがなければとても神官には見えない。丸々としたシルエットからほっそりした手が突き出ていなければ、人間とも思えなかっただろう。


 無論、普通の神官はこのような格好はしない。怪しすぎる。リカルドは視線を動かさず、小声でヨハンに尋ねた。


「なあ、六課の神官ってみんなああなのか?」


「いえ。彼らの服装については聞いたことがありませんが、あんな格好なら噂にものぼるでしょう」


「それもそうか。しかしなんで六課なんだ?」


「それこそ知りませんよ。あちらに聞いてください」


 ヨハンの言はいちいちもっともだった。皮肉っぽい男だが、その直截ちょくさいな物言いはリカルドには好ましい。それによく働くので、いつも側に置いていた。


 小声で話し合っているうちに、神官が降りてくる。マントのすそが地面に当たる。マントが長いというより、持ち主が小柄すぎた。そのために冬毛のスズメのようにまん丸として見えたのだろう。

 ガラスのはめ込まれたマスクであたりを見回し、感情のない眼差しを送る。布の奥から、くぐもった声が響いた。


「メリアと申します」


 女の声だった。かすれている上に布越しのため、年齢などはうかがい知れない。リカルドは少し眉をあげる。女の神官がいないではないが、こんな遠出をするような職についているのは珍しい。


「ずいぶん、しっかりとした軍勢のようですね。呪いによる病がまん延しているとだけ聞いたのですが」


 口調に抑揚はないが、明らかに棘がある。


「ああ、これは失礼した。軍機ゆえに細かい事情は伝えられなかったのだ。王子といっても、諸侯に突き上げを食らう厳しい立場ゆえ」


 リカルドはのうのうと言ってのけた。半分は本当だ。国王を頂点とする王国だが、その仕事は調整役と言うのがふさわしい。自由に動かせる軍勢などほとんど持っていない。

 その状況を打破するため、勝手に国王軍を動かしてここにいるのだが。


 そんな欺瞞ぎまんを信じたか否か、メリナは反論はしない。ただ一言だけ告げる。


「軍を、引かれた方がよろしいかと思われますが」


 これには兵士や部隊長なども顔をしかめる。そんな説教を聞くために呼んだわけではない。

 しかしリカルドとヨハンの方は平然としていた。

 聖王教は宗教らしく争いごとを否定している。防衛戦争ならともかく、今回はリカルドたちが侵略する側だ。

 とりあえずでも止めておかなければ彼女の進退にもかかわる。そのあたりの機微は主従二人とも心得ていた。


「それもいいのだが、なにしろ呪いのせいで兵士たちも気が滅入っていてな。これでは戻るまでに何人死ぬか分かったものではない。まずは呪いを解かねば始まらん」


「まず、言わせていただきますが」


「なんだ?」



 メリアそう断言した。


「ん?いや、現にここの兵士どもは呪いでのたうち回っているのだが」


「それは呪いのためではありません。呪いなど迷信です」


「ああ、そうでしたね。聖王庁の見解では、呪いは存在しないのでした」


 話が噛み合わないので、ヨハンがフォローに入る。

 聖王庁は神を信じるのだから、世の中の不思議なことは全て肯定するように思われがちである。実際は違う。

 例えば聖王庁は幽霊の存在を認めていない。なぜなら死者は皆天国か地獄に行くからだ。現世に未練がましくとどまる亡霊など、論理的にいるわけがないのである。


 悪魔などの力を借りる魔術は有るとしているが、より得体のしれない呪いは認めていない。どう違うのか、市井の人はもちろん神官でもよく分かっていないのだが、とにかく無いというのが公式の設定なのだ。

 そういった神の教えに反する異端の教義や不可思議な存在を否定し、正しき教えを証明することこそが、異端否定の第六課の役目なのである。


「はい。今回の陳情で、呪いによって人々が苦しんでいるとありましたので、それを否定するために私が派遣されました」


「あー、うん。納得はした。だが呪いは無いというのなら、この兵士たちはどうなる?治せさえするのなら、呪いだろうが病気だろうが魔術でもなんでもいいんだが」


「殿下、口調が砕けてますよ」


「かまいません。もちろんこの症状については解明します。私には医術の心得もありますので、呪いでないことを確認した後は治療に専念します。それでよろしいですね?」


「ああ、よろしく頼む」


 リカルドは鷹揚おうようにうなずく。交渉は成立した。

 メリアは遅滞なく病人たちの方へと歩き出す。どこか機械じみた動きには、体格に見合わぬ頼もしさがあった。


「それでは、神の名において、呪いの不在を実証いたします」

 

 

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