【KAC20235】書店員はあらゆる筋肉を頼りに乗り切る

宇部 松清

第1話

 私の名前は遠藤芽理衣めりい、そろそろ読みがなを振らなくても読んでもらえるんじゃないかと思っているDどうにもKこうにもF腐敗がT止まらないJ女子D大生だ。


 さて、ここ数日、我が身にとんでもないことが起こっている。


 恐らく、前世で、接近する隕石を素手で受け止めるなどしてこの地球を救ったレベルの善行をやらかしてるとしか思えないくらいの幸運が降りかかりまくっているのである。職場に推しが出来たことくらいなら、単なるラッキーで済んだのだ。その推しがちょいちょい来店してくれるだけで人生バラ色だった。ほんと、それくらいで良かった。それ以上はなくても良かった。


 それがいまや、ダブルで来店するだの、同棲のみならず恋人関係をも匂わせてくるだの、休日にはコラボカフェデートに遭遇するだの、ドラックストアに行けば例のアレを買うだの買わないだのというイチャつきを見せつけられるだの、挙句の果てには結婚指輪(推定)がどこからかポロリしたのを目撃したショックで盛大にクラッカー鼻血を噴射するだの(これは私か)、しかもそれを介抱されるだのと、もうホントいつか彼らに萌え殺されるのではなかろうか、いや推しに殺されるのならそれも本望、みたいなことが起こっているのである。


 それで、だ。


「今日は『眼鏡王子』来るかしら」

「ここ最近毎日だもんね」


 共に働く仲間――勤続20年選手の大場おおばさんと木庭こばさんが、雑誌の詰まったダンボールを運びながらキャッキャと浮足立っている。


 眼鏡王子。

 この特徴だけでピンと来た方も多いだろう。そう、私でいうところの推し客①。『闘玉演舞とうぎょくえんぶ』で例えるなら何でもそつなくこなす優等生、黒曜こくよう清雨きよさめ君である。ちなみに実際の彼も黒髪で、それにプラス、品の良い銀縁眼鏡だ。そうよね、あの二人なら闘玉演舞の清雨君よりかは『王子』ですわな。


 元々それなりに常連ではあったものの、なぜ、その『王子』がここ最近毎日のように来るようになったのか。


 自意識過剰と思われても仕方がないが、恐らく、いや、絶対に私、なのである。


「何か、本じゃなくて人を探してるっぽいのよね」


 心配そうに眉を下げて店内をうろうろする王子に、恐れ多くも大場さんは「何かお探しですか?」と声をかけたらしい。さすがは大場さんである。年齢だけなら熟女だが、私のように心までは腐っていない。清い心を持っている。だからそんな命知らずなことが出来るのだ。すると彼は、顔を真っ赤にして、「いや、その、本じゃなくて!」と恥ずかしそうに首と両手を振って、「また来ます」と退店したらしい。激カワの極みである。現場を目撃したわけではないのに、なぜか容易に想像出来てしまう。可愛いことこの上なし。神様、推しが尊いです。


 本屋に来たにも関わらず、本を探していないとはこれ如何に。


 これがここ数日の大場さんと木庭さんのトークテーマだった。


 じゃもう、『人』じゃん。


 その答えを導き出すのに、そう時間はかからなかった。王子が探すといったら姫しかいない。どいつだ、そのシンデレラは、というわけである。


 ごめんなさ――――――――い!

 私で――――――――っす!


 違うんです。違うんです。そういうんじゃないんです。マジで。私が彼のお連れ様の前で盛大に鼻からファンファーレ出しちゃったから、そちらのラッパの方、あれからどうですか? っていうアレなんです! いや、クラッカーだったっけ? もうクラッカーでもファンファーレでもどっちでも同じだ。いずれにしても祝福に関するやつなのだ。


 とにもかくにも言えるわけがない。

 このおばちゃんズにそんなこと言えるわけがないのである。口の軽いおばちゃんに秘密を知られることというのは、広い意味で社会的な死を意味する。


 じゃあかといって、こっそり彼に接触し、「あの時の私です」と名乗りを上げられるような私でもない。


 何せ普段の私は陰に生きる陰の者。本来ならばあんな光属性の近くにはいられないのだ。


 それで、彼の気配を察知してはエージェントGの如くに逃げ回り、エンカウントを避けてきた私なのである。為せば成る。為さねば成らぬ何事も。ならば鼻ファンファーレの方も為さない方向でお願いしたかった。


 しかし今日はまだ来ていない。

 さすがに諦めてくれたかな?

 そんなことを思いながらレジに入る。


 すると――、


「あらっ、今日はあの子ね!」

「可愛いわよねぇ。今日は青いジャージなのね」

「ジャージでもオシャレに見えちゃうんだから、イケメンって得だわねぇ」


 ジャージ、の単語でピンときた。

 彼だ。


 私の推し客②でお馴染み、『闘玉演舞』でいうところの常に花丸元気な主人公属性(属性も何も主人公)、金剛こんごう堅志けんし君に似ている方である。木場さんの情報によると、彼はこの近くの体育大学の生徒らしい。成る程それでジャージなのね。ていうかいつの間に聞いたの!? おばちゃん恐るべし!

 

 落ち着け。

 落ち着くのよ私。

 どう考えても彼の来店目的も私(ラッパ部分)の安否確認なんだけど、いやもうどの面下げて接触すりゃ良いわけ? 


 ていうか待って。よく考えたら私あの時ドすっぴんだったよね? あの状態でよく私と見破ったなあの子達!? 大丈夫? いまの顔との落差で心臓麻痺起こさない? 今日はお連れ様未来のドクターはいないのですか!? もしもの時の心臓マッサージ(意味深)並びに人工呼吸(意味深)は彼にしか出来ないやつでしょ!


「すいませーん、レジお願いします」


 あぁもう、逃げたいのに逃げられないレジ業務! ちらちらと横目で推し②の動向を気にしつつ、テキパキと作業をこなす。こういうのはもう身体に染み付いてるやつだから。私くらいになると鈍器か? ってレベルの文庫本(K先生、あなたの本です)だってさっとカバーかけられるから。本屋の店員にはそういう筋肉がつくようになってるから。書店員筋ってのがあるから。お客様から本を受け取り、レジに通す筋肉、カバーをかける筋肉、それからもちろん本を運び、陳列するための筋肉だ。私も大場さんも木庭さんも、それらの筋肉を駆使して働いているのである。何ならレジ打ちだって全部筋肉だ。お釣りだって自動で出て来るから、頭なんて1㎜も使っていない。すべて筋肉の動きである。反射と言っても良い。


 すると、視界の隅で何やらスマホをちまちまと操作していた推し②が、映像化作品をひとまとめにした特設コーナーから一冊手に取ってこちらへやって来た。


 待って待って待って待って。

 推し②! あなたいつも立ち読みだけでしたよね?! 本日はお買い上げなんですか?! あっ、こら! 活字とか読むんだー、なんて大場さん&木庭さんもヒソヒソしない! いや、私も思ってましたけど!


 えーでも気になる! 一体どんな本読むのかしら?! あのコーナーに置いてたのって、女子高生が主役のホラーと、健康ランドで起こった密室殺人事件のやつと、あと――、


「すんません、お会計お願いします」


 おぼろろろろろろろろろろろろろ!

 推し②が来ちゃった――! うっかり逃げそびれた! 大場さんと木庭さんにパスすることも出来たのに! 馬鹿馬鹿、私の馬鹿! 


 でも、気になる、本のタイトル!


「お預かりします」


 と、本を受け取る。ああ、何だかちくちくと視線を感じる。大場さんが用もないのに後ろをウロウロしている。木庭さんに至っては、カウンター下の備品を意味もなく補充してる。やめてください、昨日私がやりましたから、もうそこはパンパンです。

 

 まぁでも無理もないよね。気になるもんね。こんなやんちゃな元気っ子が一体どんな本を読むのか! さぁオープン!


『劇場版 はしっコずまい 星降る島のちいさなコ』


 はしっコずまい――――――――!!!!


 出た! ダブルトウループ、ダブルサルコウ、トリプルフリップからの、キャンドルスピン! これは遠藤選手にしか出来ないやつ! 出来ないタイプのスピンのやつ! これは加点ポイントですよ!


 可愛いかよ!(脳内110デシベル

 

 えっ、あなたこないだのカフェでお会いした時に初めてはしっコにハマったのでは? もう映画が気になるまでになったのね!? 好きな子が好きなものって気になるよね! おい、尊いが過ぎるぞ! 取り締まれ、警察!


 可愛いかよ!(脳内140デシベル


「お会計、990円でございます。袋にお入れしますか?」

「あー、いっす。このままで。U-Payウーペイで」

「かしこまりました。ではU-Payで」


 落ち着いて。一つずつ、一つずつこなしていくのよ。いつもやってることじゃない。心を無にして、これまでに鍛えて来た筋肉だけでこなしていくの。あなたなら出来るわ、遠藤芽理衣!


 うおおおおおおおおおおおおお!

 当店のレジはオールタッチパネル操作ぁぁぁぁぁ!

 支払い方法をタッチ! ダブルループ!

 コード決済をタッチ! ダブルフリップ!

 それではこちらにスマホ画面をご提示くださいいいいいいいい! ダブルサルコウ! トリプルループ! 

 

「……ありがとうございました。またお越しくださいませ」


 決まったァ――――! トリプルアクセル――――!


 よ、よし。

 終わったわ。

 支払いも終わったし、私の演技も終わった。

 ありがとう、書店員筋! ありがとう、脳内のスケート筋!


 やはりホームだと鼻からは何も出ないようだわ。そうよ。だって本を汚したら大変だもの。


 そう思い、少々気を緩めた時だった。


「あざっす。――あ、おねーさん、元気そうで良かった!」


 ここでその笑顔はヤバい――――――――!!!


 何?! 推し②ってば八重歯搭載キャラなの!? やんちゃな茶髪君のフルスマイルから八重歯が見えちゃったらそれはもう萌えでしかないのよ! ハイ、ここで死人が出ま――す! ていうかもう出てます! 本日も無事尊死!


「今度夜宵――、覚えてます? あの医学部生の眼鏡君。今度そいつも連れて来るね。あいつもおねーさんのこと心配してたからさ。元気なところ見せてやってよ」


 おああああああああああああああああああっ!?

 ヤメロ! それはもうトドメなんだよ! もうむしろアレだ。私ってほら、腐り落ちたる者アンデッドだから? とっくの昔に死んでるからね? もうそれは死体撃ちなのよ。


 私のことが心配ならむしろほっといて! そっとしておいて! あなた達の穢れなき眼に私というよどみを映さないで! 認識しないで! 私は壁です! 無機質な物体です! 石ころですからぁぁぁぁぁ!


 などという心の叫びが届くわけもなく。高感度爆上げの爽やかスマイルを置き土産に、推し②は行ってしまった。残されたのは、腐った死体と、「何?! 遠藤さんあの子と知り合いなの?!」と瞳をらんらんと輝かせたおばさんズである。



 その後、やたらとムキムキマッチョの青年が、例の眼鏡君がここの常連だという噂を聞きつけて張り込むようになり、尻ポケットに差したスタンガンに気付いた大場さん(柔道経験者)が取り押さえ、木庭さん(元コールセンター勤務)が速やかに警察に通報し、「貴様、私達の推しに何をしようとした!」と私(漢字検定2級)が往復ビンタを食らわしたのだが、それはまた別の話だし、駆け付けた警官からは「あなたのは完全に余計です」と怒られた。

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【KAC20235】書店員はあらゆる筋肉を頼りに乗り切る 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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