第十話 男は度胸

 背に十六夜を乗せて腕立て伏せをする颯。千回を越えてもペースは落ちることなく、一定のリズムを刻んでいる。額には大粒の汗。時折滴っては、床に小さな斑点を作っていた。


 鍛錬と称して毎日続けている筋トレだが、実はそれ自体にあまり意味は無い。生きた肉体を持っている訳ではないウォーデッドにとって、強さとは己の妖性をいかに引き出すかにある。颯にとってこの筋トレは一種の瞑想のようなものであり、己の内面に問いかける一つの方法だった。


 しかし最近は上手く集中できない。理由はわかっている。自分を知っているという人間と出会ったことが原因だ。


「どうした、颯。手が止まっているぞ」


 背にいる十六夜が声をかけてくる。適当な答えが見つからず、小さく息を吐いてから、颯は腕立て伏せを再開した。


 何故あの人間達がそんなに気にかかるのか。他の人間との差は何か。自分の過去を知っているからと言って、それが何だというのだ。天命を全うしていない生者は救うのみ。自身がウォーデッドである以上、そこに理由は要らない。自分で捨てた過去に捕らわれるなど、ウォーデッドにあってはならないのだ。


 腕立て伏せが二千回を越えそうになった頃、十六夜が何かに反応する。 


「颯、仕事だ」


 十六夜がそう言うからには、従わない訳には行かない。十六夜がひらりと背から下りたのを確認してから、颯は身体を起こした。


「御意」


 恐らく十六夜の霊力感知に妖が引っかかったのだろう。であれば、やることは一つ。


 颯は転移の呪術を発動させた。行き先は以前十六夜が拠点にすると言っていた町――満ヶ崎である。


「恐らく今回は大物だ。心してかかれ」

「お前がそんな風に言うなんて珍しいな。名前持ちネームドか?」

「詳細はわからん。だがこの霊圧は只者ではない」

名前持ちネームド相手は初めてだ。出来れば情報が欲しいところだが……」

「ならば同胞に聞くのが早いだろう」


 相手の等級は今のところ不明だが、実際に名前持ちネームドが相手ならば助力を請うのもありかも知れない。それほどに名前持ちネームドは厄介な相手だ。


「……御意」


 そこへ雫がやって来る。先の妖魔調伏によって颯の支配下に置かれた雫は、颯達と一緒に門前町で生活したいたのだ。


「颯……お仕事?」

「ああ。お前はここで待て。下手に穢れを貰ったらまずいからな」

「うう……。わかった」


 颯は転移先を大学に絞る。十六夜がいつものように右肩に乗るのを待って、颯は呪印の中へと身を投じた。




 神楽の方もこの事態に気付いていたようで、颯が現れるなり跳びついて来る。 


「よかった。こっちに来てくれて。いきなり一人で戦闘始めるんじゃないかって冷や冷やしたわよ」

「……俺を戦闘狂か何かと勘違いしてやいないか?」


 抱きついてくる神楽を引き剥がし、颯は彼女の十六夜に目を向けた。


「お前なら何か情報を持ってるんじゃないかと思ってな」

「いい判断だ」


 神楽の十六夜は颯の十六夜に視線を送ってから、先を続ける。


「今回迫っているのは紅夜叉。等級は覇王だ」

「なるほど。この気配が覇王級か。覚えておこう」


 颯の十六夜は、そう言って颯の肩からすとんと下りた。


 髪の色とタトゥーの柄以外は全く同じ顔が並んでいる様子は、端から見るとややこしい。自分が契約している十六夜以外を見ることは本来ならばほとんどないので、この状況はかなり特殊と言えた。


「で? それ以外に何か情報はあるか?」


 颯が問う。


「やつの能力は音を媒介とした石化だ。広範囲に影響を及ぼすから並のウォーデッドでは歯が立たないだろう」


 神楽の十六夜の視線が颯に向けられた。


「それは俺が並のウォーデッドだと言っているのか?」

「そう聞こえたか?」


 自分の十六夜と顔はほぼ同じだが、なかなかいい性格をしている。全ての個体が同期することによってほぼ無個性に近くなっている十六夜だが、こうして見ると単体としての知性を残しているように見受けられた。


「……幸い他のウォーデッドとやりあったことがないからな。正直自分の力量がどれほどなのかはわからん。が、挑発を見過ごすほど人間が出来てないんでね。今回は俺一人でやらせてもらう」

「ちょっ――正気!? 相手は覇王級なのよ? 私達二人でも止められるかどうかわからないのに!」


 間髪入れずに神楽が止めに入る。しかし、颯は聞く耳を持たない。相手の等級も能力もわかった。後は実際に対処して見せればいいだけのことだ。


「あんたは人間に被害が出ないようにだけしてくれればいい。後は俺がやる」

「あなた本当にわかってるの? 覇王級は本来ウォーデッドが数人がかりで戦うのが基本なの! 一人で戦うような相手じゃない!」

「……うるさいやつだな。お前は俺のお袋か? あんまりうるさいと嫁の貰い手がなくなるぞ」

「大きなお世話よ!」


 神楽は肩で息をしている。実際彼女の言う通りなのだろう。しかし、颯はそれでもやってみたかった。自分の実力がいかほどのものか知ることの出来る機会はそう多くない。この妖を一人で撃退出来たなら、自信と呼べるものが芽生えるかも知れないのだ。


 そんな颯の様子を見て、神楽の十六夜が言う。


「任せてみよう」


 自らの十六夜の発言に神楽は耳を疑った。


「ちょっと、あんたまで何言ってんの? 無闇に突っ込んでく仲間が何人もやられたこと、あんたは知ってるでしょ!?」

「まぁ聞け。不結むすばずおこないについては私達の間でも意見が割れている。不結を容認するか否か。これを機に判断するのも悪くはない」

「それで彼までやられちゃったら、それこそ打つ手がないわよ」

「そうなる前にこちらが介入すればいいだけのことだ。今から他のウォーデッドに召集をかけるにしても、集まるのに時間がかかるのは事実なのだからな」


 そう言われては神楽は黙る他ない。実際他の地域にいるウォーデッドが召集をかけても、今からでは間に合わないのだ。危機はそれほどまでに間近に迫っていた。


「颯」


 神楽の十六夜から颯に声がかかる。


「お前は近年稀に見る逸材だ。ここで失くすには惜しい。何としても生き残れ」


 自分の契約したウォーデッド以外にここまで言う十六夜も珍しい。驚きはあったが、颯はあえて不敵に笑って見せた。


「当たり前だ」


 颯は再び転移の呪印を展開する。透かさず右肩に十六夜が飛び乗り、颯の姿は呪印の向こうへと消えた。




 残された神楽は消えて行く呪印を見届けてから、十六夜に問う。


「本当に一人で行かせてよかったの?」

「あの不結が選んだ男だ。期待したくもなる」

「私は反対なんだけどな~。彼がやられちゃったら嫌だし」

「何だ。ようやくお前にも春が来たのか?」

「からかうのはやめてよ。今はそんな気分じゃない」


 転移の呪印は既に消えてしまった。今なら自らの呪印で彼を追うことも出来るが、彼はそれを望まないだろう。


「それよりも他のウォーデッドへの召集はもうかけてくれてるのよね?」

「無論だ」

「ならいい。とにかく町への被害を出さないようにしないと」


 覇王級が相手なら、結界で捕らえてその中で戦ってもらうのが一番被害が少なくて済む。颯もそれは承知のはずなので、神楽はそのサポートに回ることにした。


「十六夜。私達も行きましょう。厳重な結界は作るのにも時間がかかるし」

「そうだな」


 神楽も転移の呪印を展開する。行き先は颯のところではないが、場所はすぐ近くだ。何かあれば自分が駆けつければいい。


 無事に覇王級を撃退出来ることを祈りつつ、神楽は十六夜と共に呪印の向こうへと歩みを進めるのだった。

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