第九話 富める森のメカニズム

 それからの森の発展は凄まじいものだった。


 エルフのビアンカを筆頭に各集落で代表者が選ばれ、皆がクロロプラストの施術を受けたのだ。


 多少時間がかかりはしたが、そこは神の手によるもの。通常の進化とは考えられないほどのスピードで、エルフたちの内臓は変化していった。


 森との契約魔法に必要な、特殊な属性の魔力。多くのエルフが、これを生成できるようになっていったのだ。


「ヴィドリア様! 見てください!」


 そんな声を上げながら入ってきたのは、お馴染みのビアンカだ。


 彼女はご近所ということもあって、頻繁にヴィドリアの下を訪れていた。


 ビアンカの動向は、現在のエルフを知る上でとても参考になる。彼女と同じようなことが、他のエルフたちにも起きているからだ。


「大きな鳥ですね。この森で捕れたのですか?」


 ヴィドリアは彼女が手に持っていた鳥に注目する。


 とても大きく太っていて、立派な鳥であった。食料としては申し分ない。


「はい! 最近は狩りも順調で、冬が来ても安心なくらい食料が取れています! 果物や山菜も増えましたし。それもこれも、全部ヴィドリア様のおかげです! こちらはそのお礼に」


 快活な笑顔でそう答えるビアンカは、幼さのある顔立ちも相まって非常に愛らしい。


 ヴィドリアからすれば娘のようなものだ。愛しく思うのも不自然ではないだろう。


 それも、この森が豊かになったゆえである。


 彼女たちエルフに授けた森との契約魔法。それは森に魔力を分け与えることで活性化を導き、植物の成長を促進、拡大するというもの。


 エルフの持つ豊富な魔力が植物を刺激し、樹木は活動量・強度ともに増していく。


 それは当然、樹木に限らず原初神クロロプラストの眷属ならばすべてだ。草本や低木、コケやシダなども含まれている。


 そして増えた植物は動物たちの餌となり、草食動物は肉食動物の餌となる。


 森の中に死骸が増えることで分解者の働きも活発になり、昆虫や菌類、細菌類も活動を進めていくのだ。


 こうして森の中にいる生物種は繁栄を迎えていく。


 実際一番おいしい思いをしているのは、エルフでも植物でもなくそれを糧とする動物たちだ。


 彼らは自ら行動を起こすことなく、勝手に食料が増えてくれる。実に楽なものだ。


(もっと詳しい話をすると、太陽の放つ光エネルギーを魔力で代用しているような感じでしょうか)


 植物の活動を促進している正体は、単純にエネルギー量だ。


 この森で得られる光エネルギーはすでに上限へ達している。これ以上増やすことはできない。


 だからそれを魔力で代用したのだ。契約魔法に必要な特別な属性とは、つまり植物に疑似的な光合成をさせるエネルギー。


 二酸化炭素と水を合成する反応を再現しているのだ。


 ……ちなみに、これはあくまでも必要なエネルギー量を増やしただけ。森全体の炭素量は増加していない。


 つまり、この術式では森の炭素循環を加速させただけであり、実際のところ生物量や炭素量は増えていないのだ。


 しかしなんとも不思議なことに、それで森が豊かになっている。


 彼女たちが献身的に働けば働くほど、森はどんどん豊かになっていく。


 逆に魔力の供給を怠ったり森を破壊したりすれば、原初神クロロプラストやその眷属たちの怒りを買い森の恵みは植物に独占されてしまう。


 この魔法はそういう契約だ。森の植物とエルフの繋がりを強固なものにする。


 エルフがサボれば森は衰退し、森が気分屋になればエルフは滅びる。そういう、共依存の関係を作り出す恐ろしい魔法なのだ。


 しかし、この森に住むエルフたちは知恵神ヴィドリアと原初神クロロプラストに最大限の感謝を述べている。


 ただサボらなければいいだけなのだ。森との生活に向き合い続けていれば、それでいいのだ。


 何も難しいことはない。エルフにとって森との共生は、それまでの文化や生活と全く同じことである。


 だからこそ、この共依存の関係に気付くことができないでいる。

 知らず知らずのうちに森を手放すことができなくなっているという現状に、誰も気づいてはいないのだ。


 だが実際、以前までの貧しい森ではこれほど大きな鳥を捕まえることが困難であったことも事実。


 まして、食料が余ったからおすそ分けなどという考えは生まれようはずもなかった。


 エルフにとって森との契約魔法は神の救いであり、知恵神も原初神も自分たちに手を貸してくれた恩人なのだ。


(心が苦しいですね。自分の眷属を騙して働かせるというのは)


 ヴィドリアはビアンカから鳥を受け取りつつ、自分の行いを悔いる。


 表面上は笑顔を浮かべているが、その心内は冷え切っていた。


 しかし、これは避けられないことだったのだ。知恵を得た生き物は、どこかで制御しなければすぐに暴走する。


 前例はすでに、人間たちが示してしまった。彼らはもはや、ヴィドリアの手にさえ収まりはしない。


 だからこそ、第二第三の前例を生み出さないために行動しなければならなかったのだ。


 そのためなら、ヴィドリアは愛する眷属にだって嘘を吐く。自分が守るべきは眷属のみならず、この星ヴィーダに住まう生物種すべてなのだから。


(これは愛です。私なりの愛。たとえ非難されようとも、貴女方の種が絶えることなく存続してくれるのなら……)


 そんな風に己を欺くことしか、今の彼女にはできない。


 現状、人類種が出現してから目に見えて生物種は減り始めている。


 もしこのまま文明が進んでしまえば、過去に類を見ないほどの大絶滅は免れないだろう。


 人類とは、環境への影響だけを考えるのなら大規模な火山活動や特大の隕石にすら匹敵しうる。


 いや、星全体への影響と要する年月を考えれば、もはや自然現象など優に超えるほどの力を持っているのだ。


 数百万年単位で行われた進化の歴史と栄枯盛衰が、人類の前ではたった数百年、数千年という短い時間の内に滅ぼされてしまう。


 そんなことは許してはならない。それは本来の流れとは反する。


 もちろん、人類も自然な進化の過程から誕生した生物種のひとつにすぎない。他と区別して扱うのはおかしいと考える神も存在する。


 現に、人類種に匹敵する知能を持った種として、エルフやドワーフ、獣人や龍人などという生物種も台頭していた。


 だからこそ、人類の活動は無理に抑制すべきではないという意見もある。


 だが、大量絶滅の先に待っているものはなんだ。


 ……生態系のバランスが崩壊したことによる、さらなる大量絶滅だ。


 どの生物がどんな風に関わり合って生態系のバランスを保っているか。それはもはや神ですら調べようのないほど途方もない規模になっている。


 小さな虫ひとつ絶滅しただけで、生態系にどのような影響が出るか。それは、実際に絶滅させてみなければわからない。


 推測は、必ず当たるとは限らないのだ。それは神であっても。


 だから守らなければならない。小さな虫一種類。誰も知らぬ小魚ひとつすら。崩壊の連鎖が始まってしまう前に。


 そこでふと、ヴィドリアはビアンカの顔を見る。


 美しい金髪を靡かせ、丸い翡翠色の瞳を細めて笑う綺麗な顔。側頭部から出た特徴的な長い耳。


 自分を慕い信じ、そして献身的に働いてくれる、子どものような存在。


 彼女すら、数多の生物種が折り重なったバランスの中にいるのだ。


(この娘を守りたいなら。この娘の子孫や親類、そして大切な人を守りたいなら……。私が戦わねばなりません)


 生物種すべてを、知恵神ヴィドリアは守らなければならない。


 この星最高峰と謳われるその頭脳が焼き切れるまで考え尽くし、誰も傷つくことなく、他者の笑顔を守れるような最高の方法を。


 ことの元凶である人類種すら、絶滅させるわけにはいかない。

 厄介な彼らもまた、ヴィドリアは愛しているのだから。

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