最強の味方


「…………」


「…………可愛い」


 膝の上でたくさん笑ってくれた香織はその後、俺が彼女の頭を撫で始めたくらいから静かになって、気づけば眠りについていた。

 今は可愛らしい寝顔を無防備にさらして、小さく寝息を立てている。


 長いまつ毛に無垢な表情、白い首筋に眺め放題の全身と、それだけでも十分だっていうのに、俺の空いている方の手を胸元に抱き寄せて離さないおまけ付き。

 そんなんだから、今の「可愛い」が何度目かは自分でも分からない。


「……下手に触ったら起こしちゃうかな」


 片手は頭に置いたまま、片手は香織に抱かれてて、どっちも自由には動かせない。可能性があるとしたら頭に置いている方の手だが、眠りが浅いうちは微かな変化でも目を覚ますきっかけになりかねないので、俺のダメな欲望はギリギリで押し留められている。

 まあ、そもそもどこを触るんだって話だけど。


「…………ん」


「あ」


 そんな俺のふしだらな思いを敏感に察知して……いや、多分普通に頭を撫でていた方の手に力が入りすぎたせいで、香織が薄らと目を開けた。

 ゆっくりと体や首を動かしてから、寝ぼけ眼が俺を捉えた。


「…………あれ、わたし」


「おはよう。ごめん、起こしちゃったか」


「……おはよう。ううん、そんなことないよ。私、どのくらい寝てた?」


「うーんと……三十分くらいかな。俺も正確には分かんない」


「三十分くらいなんだ……そっか。なんか一晩ぐっすり寝たような気分がしてて、不思議な感じ」


 それは俺としても膝枕のやりがいがあったというものだ。

 緊張したり感情を溢れさせたりするのは大きく体力を消費するものなので、その疲労回復に少しでも貢献できたのなら大満足である。

 たくさん泣いて赤くなっていた目も大体元の色に戻りつつあるので、これもまたひと安心。


「……ふふ」


 ……なんて思って見つめすぎていたせいか、香織が急に笑みをこぼした。


「どうした?」


「ふふっ、ん〜、なんて言ったらいいのかな?」


 楽しそうに笑って、それからまっすぐ上に……俺の顔に両手を伸ばしてくる。


「なんか、本当に最高の目覚めだな〜って。だって、目が覚めたらいきなり大好きな人の顔があるんだもん。膝枕って本当にいいものだな〜って、改めて思ったの」


「そりゃあ良かった。やってる側としても、大好きな彼女の寝顔見放題で最高だったよ」


 触りたくなったくだりはもちろん全カット──


「……見てるだけだったの?」


「……おいおい」


 ──したはずなんだけど。


「むぐ……ごめんごめん、冗談だから、ほっぺたむにむにしないでよ斗真っ」


「自分がガチで可愛いって自覚しろ美少女め」


 あんまり言うと次する時に触り放題も追加するぞマジで。

 ……ただ香織はそれでも「いいよ」って言ってくれちゃいそうだから、本当に困ったもんなんだけど。



***



「それでさ……香織。この後のことなんだけど」


「……うん、わかってる」


 未だに橙子さんたちが病院から帰ってくる気配のない、少しだけのんびりとしたお昼過ぎ。


 場所をソファからリビングのテーブルへと変え、数十分前まではなかった香織お手製のナポリタンを、ウマイウマイと本気でちょっと泣きそうになりながら食べていた、そんな幸せすぎる時間帯。


「私はもう折れない。もう苦しくない。相談なしに、斗真との大切なことを決めたりもしない。……だから、大丈夫だよ。おばあちゃん達が帰ってきたら、私は、私の家に戻る」


 しかし、そんな一生モノの幸福が一瞬で少しジメッとしてしまうのは、まだ梅雨が完全には明けていないからなのか、それとも、単に俺の言葉の区切り方が不適切だったからなのか。


「いや、香織にはしばらく俺の家か、拓真の家にいてもらう」


「え、でも」


「言っただろう? 俺はもう二度と、香織をひとりぼっちになんかさせない」


「斗真……っ」


 香織をまたひとりぼっちで祖母と対峙させることは、絶対に、二度と、俺の心が許さない。

 ……少なくとも、香織が望まない限りは、絶対に。


「ごめんな。ちょっと長めのお泊まりになるだろうから、ある意味で香織に負担を強いちゃうかもしれないけど」


「この家にお泊まりするのが負担だなんて、そんなこと一度も思ったことないよ」


「もう俺の家なのは確定なんだ……」


「斗真こそ、いくら親友でも、私と斉藤くんがお泊まりしてもいいの?」


「いや、だってその方がお婆さんから距離取れるし……拓真んちにはあいつのお姉さんもいるし」


「それこそ『言ったでしょ?』だよ。私はもう、斗真がいれば大丈夫」


「香織……」


 たくさん泣いて、たっぷりと水分補給した香織の両目は、ここ数日では考えられないほどに輝いていた。

 ……それが嬉しくて、俺がちょっと泣きそうになる。


「私はきっと、これから斗真にたっくさん甘えちゃ……甘えると思う。それは精神的にも肉体的にもそうだし、恋愛的にも、心の支え的な意味でもそう。……でも、だからこそ、斗真も私のことを頼ってほしい。ううん……そうじゃないね」


 真剣な表情から、目を薄ら閉じた笑顔へ。

 香織のそんな表情の変化が、またもや俺の心をホッとさせてくれる。


「私は、斗真が安心して頼ってくれるような、頼もしい彼女になりたい。彼氏がそうであるように、パートナーを支えていける人間になりたい」


 もう香織は……俺たちは大丈夫だって。

 一人だけで頑張らず、一人だけで悩まず、一人だけで悲しまず。

 どんな障害が立ちはだかろうとも、二人で支え合って、必ず乗り越えていけるって……そう思わせてくれる。


「だから、私にできることがあれば、なんでも言ってね」


「りょーかい」


 だからこそ、俺も考え方を改めなくてはならない。


「じゃあさっそくだけど、今日の晩御飯と……」


 一人で無理しなくていいんだと香織に言って、二人で頑張っていきたいと香織が言ってくれて。

 それでも尚、俺が隠し事をするなんてフェアじゃなさすぎるから。




「あと、これから時間があるときに、俺に勉強を教えてほしい」

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なんでも完璧にこなせる幼馴染が唯一絶対にできないのは、俺を照れさせること Ab @shadow-night

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