勝負 パート1



 ピンポーン、と軽快な音が聞こえたのは、ソファに座ってから十五分ほど後のことだった。

 はーい、と返事をするのも可笑しい気がして、俺はただ足速に廊下を渡って玄関の戸を開けた。


「……ぁ、うそ」


「どうした?」


「ど、どうしたって……その髪……」


「あー、変だったら笑っていいよ」


「……ううん、笑わないよ、そんな……」


「似合ってる?」


「…………うん」


「なら良かった」


 どうやら第一印象はプラスらしく、悩んだ末に小さく頷いて褒めてくれた。


 香織はこの話し合いに乗り気じゃない。

 それはメールの返信速度からしても明らかだったので、俺はどうしても初動、香織を少しでいいから元気づける必要があった。様子を見るに、それは成功したらしい。


「入って」


「……うん」


 本当は久しぶりとかなんとか言おうと考えていたのだが、嫌味に取られたらイヤなので単純な笑顔と言葉にとどめて大好きな幼馴染を中へと迎え入れた。


 俺が先導する形でゆっくりと廊下を歩く。


「香織もワンピース似合ってる」


「うん、……ありがとう」


「言っとくけど本心だからな? お世辞とかじゃないから」


「分かってるよ。斗真はお世辞とか苦手そうだもん」


「いや、俺も言う時は言うぞ。香織にはその必要がないってだけで」


「……そっか」


 ぎこちなさが残る会話をしつつもリビングに到着。ゆっくり歩いたからといって、何分もかかるほど我が家の廊下は長くない。


「ソファに座ってて。お茶淹れてくる」


「あ、私もてつ──ううん、やっぱり待ってるね」


「全然いいよ」


 キッチンへ向かいコップその他を準備する。


 髪型のおかげで香織の過度な緊張はほぐせたはずだが、それでも完全にとは行かなかったらしく、俺と喋ることへの遠慮が見え隠れしている。


 自分から付き合おうとしておいて、自分から振ってしまった私が斗真と今まで通りに会話するなんて……


 おそらくそんな思いがあるのだろう。

 香織らしいけど、これからする話は本音で語り合わないと意味がない。


「お待たせ」


 と言って戻った俺は、用意したお茶をテーブルに置いてから、香織の隣に座った。拳二つ分くらいの距離を開け、なるべく緊張させないように。


「香織」


「……ん?」


「今日呼んだ理由の中に『香織を怒る』なんて最悪なのは入ってないから、もうちょっとリラックスしていいよ」


「や、私は別に緊張なんて」


「じゃあ手握ってもいい?」


「それは……。もう、バレバレだね」


 と苦笑した香織はお茶を一口飲んだ後、ふぅーっと息を吐いてみせた。

 さっきよりもまた少し肩が下がる。


 緊張を察していなければ、この暑いのにわざわざお茶なんか淹れない。


「幼馴染も伊達じゃないからな」


「……そうだね」


 コップを両手で持ったまま、香織はまた苦笑した。そして……


「ごめんね、斗真。本当にごめん。ごめんなさい。私、斗真に最低なことをした。怒るのは目的じゃないって言ってくれたけど、私は怒られて当然のことをしたよ。だから……」


「怒らないよ。目的じゃないってだけじゃない。香織を怒りたい気持ちなんか本当に無いんだ」


「でも私、」


「むしろ香織が俺に怒るべきだよ。今までずっと近くにいたのに、お婆さんのこと何もしてあげられなかった。ごめん」


「い、いや、やめてよ」


「やめないよ。香織がこんなに追い詰められるまで何もしなかった。本当にごめん」


「だ、だってそれは、私が、助けてって言わなかったから……斗真は何も悪く無い」


「悪いよ」


「悪くないよ……っ!」


 コップをテーブルに戻した香織がわずかに声を荒げた。


「なんで斗真が悪いって話になるの? 絶対違うじゃん、そんなの」


「違わないよ」


「違うよ! 全然違う!」


「そもそも、付き合った時点で俺がお婆さんへの対応を考えておくべきだった。お婆さんが帰ってきたあの日、手を離すべきじゃなかった。一緒に行って、一緒に説明すれば、香織にたくさん背負わせずに済んだ」


「私は──」


「でもな、香織」


 何か言いかけた香織を手で制す。

 さて……そろそろ本題に入ろうか。


「今日呼んだのは、香織とこんな謝罪合戦をするためじゃないんだ。どっちが悪いとか、正直俺はどうでもいいとさえ思ってる」


「……じゃあ、なんで。なんのために今日ここに?」


 本音を漏らせば、俺に相談してくれなかった香織が悪い。

 でも、さらに本音を漏らせば、そんな状況を作ってしまった俺が一番悪い。

 もちろん諸悪の根源は香織の祖母だけど。


 だけどそんなのはどうでもいい。

 これから先、役に立つのはそんな責任の話じゃなくて、将来の話だ。


「もう一度、俺と付き合ってほしい。今度は絶対守るから」


「……無理だよ、私には」


「香織」


 断られるのは分かってた。

 それでも口に出して告白したのは、香織に感じて欲しかったから。

 俺が香織を嫌いになることなんて絶対にないって。

 心の底から愛してるって。


 それでも、香織は首を横に振る。


「だってそんなことしたら、斗真のそばに居られなくなっちゃう。ううん、それだけじゃない。私、斗真から大切なものを奪っちゃう! 私と付き合ったら、斗真、それだけでこの家に住めなくなっちゃうんだよ!?」


「そんなの気にしなくていい」


「気にするよ! 気にするに決まってるじゃん!!」


 付き合う直前のことを踏まえても、香織とここまで意見が対立したのは初めてのことだと思う。


 香織は俺のそばにいることを。

 俺は香織と恋人であることを。


 香織は関係性より俺と俺の家族を。

 俺は俺自身より香織との関係性を。


 模試のこととか諸々は、香織に手を抜かれたら困るので伝えられないし、俺は『対応策があるから今回は大丈夫』って話がしたいんじゃない。


 今後ずっと、香織が正しい選択をできるように。


 そういう話し合いを俺はしたい。


「気にしなくていい……って言うんじゃ、納得してくれないんだよな」


「……うん」


 だから俺は、香織と別れた日の晩に考えた。

 お互いの想いを正直に伝え合うにはどうすればいいのか。

 どうすれば相手が納得するまで言葉を重ねられて、かつ、相手を好きだってことを再認識できるのかと。


 そして、結論は出た。



「なら、勝負しよう」


「…………勝負?」


「いつかやったあのゲーム。ターン制、自己申告制で、先に照れた方の負け。勝った方が相手になんでも一つ言う事を聞かせられるってルールで、勝負しよう」

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