土曜日
次の日の朝は、とても静かで落ち着いていた。
それは環境的にも、気持ち的にも。
約束の土曜日。
今日これからの話し合い次第で、きっと俺と香織の関係性は恒久的に確定する。
最悪の結末は現状維持。
最高の結末は……何だろう?
前のような恋人に戻ること?
……いや、違うだろう。それだけは無いと断言できる。
だって、祖母が来る前の関係に戻りたいだけだったら、俺は香織と話し合わなくていい。ただ祖母を攻略して、気持ちを変えるか実家に送り返せば済む話だ。それが容易かどうかは置いといて。
「……でも」
でも、それじゃあ何の解決にもならない。
だってそうだろう?
『幸せにする覚悟』を俺に求めてきた香織が、自分にはそれを求めなかったのかって……その上で出した結論が今の状況だというのなら、そこには彼女を縛り付ける致命的なバイアスがあるはずで。
「……ふぅ」
まぁ、全ては香織が来てからだ。
俺の思ってることをちゃんとぶつけて、香織の苦悩をちゃんと聴いて。
例え穏便に行かずとも、最終的に香織と心を通じ合わせることができたなら、その時はきっと、最高の結末に向けて大きく一歩踏み出したことになるのだから。
「……香織」
髪をセットした状態でソファに座り、俺は今一度、最愛の人の名前を呟いた。
***
お母さんとおばあちゃんが朝早くに病院へ行った後も、私はすぐには動けなかった。
これから斗真と会う。会って喋る。
そんな当たり前のことが、この数日間で途方もないほど難しくなってしまった。
喋りたくないわけじゃない。
むしろ斗真とはずっと一緒に話していたい。
それなのに話したくない。話すのが怖い。
「…………訳わかんないよね、ほんと」
誰にともなく呟くも、気持ちが楽になったりはしなかった。
机の上に広げっぱなしの問題集は何度も使ったせいでボロボロだったけど、辛うじて表紙だけは綺麗なままだった。そんなどうでもいいものが異様に目に入る。
「……ダメだ」
部屋にいても仕方がない。
そう思って私は洗面所へ移動した。
「……ふ」
鏡を覗く。
笑ってみるがダメだった。
これは全然、今から好きな人のところへ行く顔じゃない。
斗真と会うのが、初めて怖い。
「……怖いよ」
私は人の不仲が、喧嘩が、何よりも嫌いで怖いのだ。
何か決定的なトラウマがあるわけじゃない。
でも、おばあちゃんと勉強を続けていたら、いつの頃からかこうだった。
だから表面上どんなに笑顔で話していても、その裏に嫌味があったら感じ取れるようになってしまった。
不仲を避け、喧嘩を避け。
そうして出来上がった『完璧な私』の生活は、想像していたよりずっと楽しさを欠いていた。
でも、斗真といる時間だけは本当に、心の底から楽しかったと胸を張れる。
本心からの笑顔に裏も下もない心。……いや、小学生の頃はちょっとだけ下心はあったかも。でもそれは私も同じ。少なくとも私といる時間を斗真も心から楽しんでくれているのは感じられた。
中学に上がってすぐの頃、斗真のご両親が亡くなった。しばらくの間の斗真は思い出したくもないほど酷い状態で、私は必死に彼を慰めて、大好きな男の子を守ろうとした。
それから。
私にとって、斗真に家族の話は禁句となった。しかし、お姉ちゃんでいることは斗真も喜んでくれたので、それはむしろ積極的に。
たまに自分から家族の話をしてくれるけど、その時の斗真はいつも笑顔の裏で哀しんでいた。
……いや。
いやいや。
私は何を考えて……これじゃあまるで責任転嫁だ。
今回の件は100%、斗真と離れたくない思いを優先させた私が悪い。
だから斗真に何を言われて攻められようと、言い返す資格なんてないというのに……なのに私は、なんで今……っ。
「……行かないと」
櫛で精一杯髪を整えて、顔に少し水を当ててから洗面所を後にする。
服装は寝起きで着替えたままの、ブルーのカジュアルなワンピース。本当はブルーの気分でもワンピースの気分でもないけれど、おばあちゃんに見られてる以上着替えるわけにもいかないし、斗真に会うなら服くらいオシャレでいたかった。
……どの口がって自分でも思うけど。
最後にコップ半分だけ水を飲んでから、私は玄関の扉を開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます