しずくの夢

マツ

しずくの夢

 しずくとさんごはひとつの寝床で眠る。先に眠りに落ちるのは、いつもさんごだ。


「すーっ」……「はーっ」……「すーっ」……「はーっ」……


 規則正しいさんごの寝息は、ずっとずっと昔、さんごといっしょにテレビで見た、ダイバーのアクアラングの音に似ているとしずくは思う。そのとき、さんごのとなりに寝そべって、しずくは、底へ底へと潜っていくダイバーの姿をぼんやり追っていた。ふとさんごを見ると、テレビの中の青い海はテレビの外へ射す青い光になって、さんごの横顔を青く照らしていたのだった。


「すーっ」……「はーっ」……「すーっ」……「はーっ」……


 息を吸う音と、吐く音とが、正確なワルツを踊る。眠りの国のワルツだ。ひとり置いて行かれたような気がして、しずくはさびしくなる。さんごの後を追わなければ。さんごの呼吸のステップに、しずくは自分の呼吸を同調させる。眠りに落ちていくイメージと、海を下降していくイメージとを、ゆっくり重ね合わせる。


「すーっ」……「はーっ」……「すーっ」……「はーっ」……


 ごぼごぼという、気泡の音を、想像で加えてみる。すると、しずくの頭のなかはもう海で、海水は徐々に冷たくなり、視界は暗くなっていく。プランクトンが雪のように舞う。太陽をしらない白い魚は幽霊みたい。ゆらゆらと、いっしょに海の底へ降りていく。意識が遠ざかる。もうすぐ眠れる、という予感がくらげの姿になってしずくを飲み込む。そこでしずくの意識は途切れる。


 しずくはもう、夢を見ていた。夢の中で、しずくとさんごは双子の姉妹ということになっているようだった。二人は、いつもの寝床ではなく、犬小屋の中にいた。なんだか懐かしい感じがする。外では雨が降っている。冷たい雨。気温も低い。小屋の中の毛布は湿っていている。体の芯から冷え切っている。体を温めようと、しずくはさんごにぎゅっと身を寄せる。さんごの心臓の鼓動が聴こえる。さんごもさんごの夢の中で、わたしの心臓の音を聞いてくれているかしら、としずくは思う。屋根を叩く雨の音と、さんごの心臓のリズムが混ざる。早く夢から覚めたいな、としずくは思う。雨の音。心臓の音。犬の匂い。


 段ボールを敷き詰めた寝床で、さんごは目を覚ます。河川敷にしつらえたブルーシート製の家は熱がこもりやすい。むっとした熱い空気がすでに充満していて呼吸がしづらい。神経痛は少しましだが、今日は空き缶を集めるのはおっくうだな、とさんごは思う。しずくはまだ眠っている。近頃はなかなか目を覚まさない。仕方がない。人間なら、もう70をとっくに過ぎている年齢なのだから。えさはどうしよう。空っぽのドッグフードの箱に、ひとつでもかけらがのこっていないかどうか、半分白く濁った眼で検分し、無駄だとわかっているのに、皺とシミに覆われた、骨ばった右手を突っ込んで底をまさぐる。



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