ハンカチの いばしょ

しばしば

ハンカチの いばしょ

 マンションの一室、壁一面の大きな本棚に、本が目一杯詰め込まれている。

 カーペットの床の上には人間をデフォルメした2頭身のぬいぐるみが2つ並んで座っている。

 背丈は10センチ程。

 最近のゲームセンターでよく見る、フェルト地を主にして作られた簡単な顔の「マスコットぬいぐるみ」である。

 キャラクターのファンたちの間で「ぬい」と呼ばれ、さかんに収集されている種類のものだ。

 頭の天辺てっぺんには、マスコットとしてカバンなどに付けられる硬めの細いゴム紐が付いている。


 その手。

 フェルトでできた、人間の小指ほどの小さな手が、ごく当たり前のような仕草で動いた。

 「ぬい」の手によって、ページがめくられる。


「へー。これ、13年前の実験室か。やっぱ色々変わってくもんだな」


 「ぬい」が喋っている。

 見た目に反して、雄々しいイケボである。

 隣の、少しだけ小さい方のぬいが、


「あ。これ」


とページの端の名前を指した。

 小さい方は少しだけ子供っぽい印象を残しつつ、やはりこちらもアニメのかっこいいキャラが出しそうなイケボだった。


「アヤトが書いた記事だ」


 この部屋の主である紫藤アヤトは、科学系のライターだ。

 今は色んな資料がデータの形でデジタル媒体に収まっているが、人生の半分以上を紙に埋もれるようにして生きてきた種類の人間。思い出のある紙の本は捨てられないし、昔ほどではないにしても新たに紙の本を購入することもある。

 時々は整理しないと、人間の居場所がなくなってしまう。

 というわけで目下、断捨離作業が進行中。それをこの小さなぬいたちが手伝ってやっている。

 肝心のアヤトはさっき打ち合わせに出て行ってしまったが。


 ぬいの、少し大きい方のジト目が動いて、アヤトの名前と記事の年月日を確かめた。


「あいつがフリーになった頃か」


「多分、ヒデアキが生まれた頃だ」


 碧生あおいの言う「ヒデアキ」というのは、この家の次男の名だ。

 中学生で、今は学校に行っていて留守である。


「でかい写真は、紙の方が趣がある。これは捨てずにとっとこうぜ」


「うん」


 ただの「ぬい」ではない、特別に命を持つ「ぬい」たち。

 髪と服が黒くて少し大きい方が千景ちかげ

 髪と服が青くて少し小さい方が碧生あおい

 そういう名前のゲームのキャラクターの「ぬい」で、2人は兄弟だ。

 簡単な顔のぬいだが、2人の目の形は似ている。いわゆる「ジト目キャラ」なのである。

 ゲームの中では千景ちかげは21歳、碧生あおいは13歳という設定。

 布と綿わたでできた小さい体でも、この2体のぬいたちは、そういう年頃の人間のような声と口ぶりで会話をするのだった。


 千景ちかげが本を閉じて傍らに置く。古い雑誌や本が数冊積まれている一番上に。

 そして、


「よし、次。」


 別の本を引っ張り出す。


「論文雑誌か。とっくに電子化されてそうだな」


「この本、何か挟まってる」


 碧生あおいが本を開いた。

 そこに現れたのは……


「ハンカチだ」


 碧生あおいの小さな手がハンカチを引っ張り、千景ちかげと協力して2人がかりで広げた。

 特撮キャラクターのイラストが描いてあった。


「子ども用だ」


 碧生が見下ろす。


「この本には似合わねえなぁ。妙な感じだぜ」


 と千景ちかげ

 刺繍でできた「ぬい」のジト目が見下ろす先、ハンカチにプリントされた特撮ヒーローがカッコイイポーズを決めている。




***




 夕方。

 紫藤家のダイニングキッチンには、料理にいそしむ碧生あおいぬいの姿があった。自分の体ぐらいの長さのスプーンを器用に操って、手作りドレッシングを混ぜている。コンロでは何か煮込んでいる様子。


 そこへ、この家の次男であるヒデアキが帰ってきた。


「ただいまー」


「おかえり」


 碧生あおいはそう応答しながらドレッシングを混ぜ終えると、傍らにあったタオルハンカチに飛び乗った。それはふわっと浮き上がり、空飛ぶ絨毯のように、ぬいを乗せて飛ぶ。

 「空飛ぶタオル」という、魔法のようなツールだ。

 ヒデアキは自分の部屋に行く前に、キッチンを覗いた。


「お。今日、碧生あおい君が作ってくれたんだ?」


 タオルに乗った碧生あおいがキッチンの空中を通過して冷蔵庫を開けている。


「アヤトの打ち合わせが、長引いてるみたいだからな。今日はハヤシライスだぞ」


「やった!」


「なあ。あのハンカチ、ヒデアキのか?」


 碧生あおいがテーブルの隅の、特撮ヒーローのハンカチを示す。

 ヒデアキはハンカチを手に取って広げた。


「これは…シンくんじゃないかな。『仮面ライダー・ビバップ』って、シンくんがオモチャ持ってたやつだ」


「ふーん。シンタローのか」


「相当昔のだよね。どこから出て来たの?」


「『ネイチャー・ナノテクノロジー』のページの間」


「そんな難しい本に」


 ヒデアキは不思議そうな顔をしてから、


「……あ! そうだ!」


と何か思いついた風な声をあげた。


「ハンカチってしおりになるかなあ。家庭科の宿題で、リメイクのアイデア考えてるんだ」


 千景ちかげがふいに、にゅっと現れた。

 手に料理ばさみを持っている。彼も地味に、料理に加勢していたのである。


「リメイクな。切り刻めば、しおりっぽくなりそうだぜ」


「実際、しおりとして挟まってたからな」


碧生あおい

 3人揃って、特撮ヒーローを見る。

 検分するような視線を一斉に受けて、たじろいでいるようにも見えた。


「切り刻むのは、やめとこう。バチが当たりそう」


とヒデアキがぼそっと言った。




***




 しばらくののち。

 ヒデアキと碧生あおい千景ちかげが、夕食を待ちきれず、ちょっとだけおやつを食べていると、長男のシンタローが帰ってきた。


「あれ? 父さんいねえの?」


 エレキベースの入った楽器ケースを持っている。

 彼はバンドをやっていて、このまえ大学を卒業してからは、完全に音楽に専念した生活を送っている。どこへ行く時もいつも愛用のベースと一緒に移動していた。もはや楽器が体の一部のようなものである。


 ヒデアキが、


「早かったね。お父さんが帰ってきたのかと思った」


と意外そうな反応をした。

 シンタローは最近はライブの打ち合わせで毎晩帰りが遅かった。


「シンタロー、このハンカチお前のだろ」


碧生あおいが問題のハンカチを指さした。


「ん?」


 シンタローがハンカチを受け取って広げる。


「お。仮面ライダー・ビバップ。懐かしいな。小学校のときのやつだな。たぶん」


「『ネイチャー・ナノテクノロジー』に挟まってたぞ」


碧生あおい


「ふーん。変なとこから出てきたな」


 シンタローは改めて、瞬きをしてハンカチを見る。


「これ……もしかしたら……」


 そこへ、父のアヤトが帰ってきた。


「ただいまー」


 ダイニングに現れた姿に、それぞれ「おかえり」と声をかける。

 アヤトはハンカチを見つけると、目を見開いた。


「あ! それ! お母さんが探してた!」




***




 「お母さん」の部屋。

 今は仏壇のある、生活感が薄まった部屋。

 アヤトがハンカチを仏壇の前に置いた。40代半ばの女性の写真が飾られている。


「13年かかったけど、見つけたよ」

「思い出した。あれ、誕プレだ」


とシンタローが、独り言のように呟いた。


「シンとヒデ君が一緒に選んだんだよ」

「ふーん……。僕は覚えてない」


とヒデアキはキョトンとしている。

 シンタローは、


「ヒデは、このぐらいだったんだぞ」


千景ちかげ碧生あおいをちょんちょんと突ついた。

 「ちまっ」と擬音が出そうな、ぬいのサイズ感。


「いやいや。この大きさは胎児じゃねえか」


千景ちかげが、いい加減な物言いに呆れている。正確には、ヒデアキはそのころ1歳だった。


「なあ。なんでハンカチが、本の間にあったんだ?」


碧生あおい

 そういう謎が気になる性分なのだ。

 アヤトの説明は、こうだった。


「お母さんは、なんでもしおりにする癖があったからねえ。でもこのハンカチ失くしてからは、あんまり挟まなくなったかな」


 みんなその思い出に少し切ないような顔をした。

 そしてアヤトが言うには、


「こういうのを集める宝箱があったはず」




***




 少し探索すると、棚に目当ての「宝箱」があった。

 可愛いクラフト箱。

 それをアヤトが開ける。

 一同中身を見て、頭の上に「!」のマークを浮かべた。


「改めて見ると、すげえ量だな」


とシンタロー。

 大量のハンカチが詰まっていた。

 碧生あおいが箱の中に入り、一番上にあるハンカチを引っ張って広げた。

 野球ゲームの二頭身のキャラクターが付いたタオルハンカチ。


「『フルプロ』だ。これはヒデアキが選んだんだろ」


「うん」


 ヒデアキが素直に頷く。

 千景ちかげが、


「ガキンチョは、プレゼントに自分が好きなもの選ぶんだよなあ」


と笑っている。


「お母さん、ハンカチ集めてたから」


とヒデアキ。


「モノじゃなくって、絵柄の話だよ」


千景ちかげ


「最近は、ちゃんと女性用を選んでたよ」


 かなり昔のことを指摘されて、ヒデアキは不服そうである。


「母さんは子供用も構わず使ってたぞ」


とシンタローが横から口をはさんだが、千景ちかげは、


「いや、使用感に明らかに差があるだろ」


 そう言って、碧生と同じようにハンカチの山に飛び乗った。


「よく見ろ。ガキんちょ用のは、あんまり使ってねえ。観賞用だったってことだ」


 アヤトが古びた一枚を手に取って見ている。


「これ、お母さんが大学生の頃のだ。ずっと取ってたんだなあ」


「父さん、よく覚えてるよな」


「日付を刺繍してもらったんだよ。買い物行ったとき、刺繍サービスコーナーができててね。お母さんそういう、カスタマイズとか好きだったから」


「あっ。そうだ。リメイクの宿題……」


 ヒデアキの言葉に、皆ハンカチの山をしげしげと見つめた。




***




 再び、「お母さん」の仏壇の前。

 ヒデアキとアヤトと碧生あおい千景ちかげが、仏壇に向かい座っている。


「お母さん。ハンカチリメイクしていい?」


 しばらく、沈黙。


「いいって言ってるような気がする」


と、アヤトが一家の長として判断を下した。

 一同、「うん」と頷く。


しおりにすんのか? また失くすんじゃねーか?」


千景ちかげ


しおりじゃない、失くさないものにする」


とヒデアキ。

 そう言ってみたものの、具体的にどうするかはまだ考え中といった雰囲気だ。

 碧生あおいが決然と、


「おれも、リメイクをする」


と宣言した。

 ちょっと離れたところにいたシンタローが、にゅっとスマホ画面を出した。


しおりじゃなくて、これは?」

「え。探してくれてたの」


 ヒデアキはちょっと驚いた。

 スマホを弄っていたのは、全然別のことをしてるんだと思っていた。


 シンタローのスマホに写っているものを見て、一同「なるほど」と納得の反応をした。


「それだったら、毎日仏壇の前に置くよねえ」



***




 次の日。

 ヒデアキの通う、高島学園中学部。

 2年1組の教室は家庭科の授業中だ。裁縫をしながらワイワイと賑やか。

 後ろの席のコーイチローとなんだかんだ言い合いながら、リメイク作業にいそしむヒデアキの姿があった。


 母から分けてもらったハンカチに慎重にハサミを入れる。どれも全部、どこかで見たことあった。

 人に歴史あり。

 思い出を、再構築する。

 そんな言葉を考えながら、縫って繋ぎ始める。








 同じ頃、「お母さん」の仏壇のある部屋。

 千景ちかげが、


「お。ぬいが、縫い針を持ってる」


と言って碧生あおいの姿を眺めた。


「ん? これ、ダジャレみたいになってるのか?」


碧生あおいが、手に持っている縫い針を睨んだ。

 小さな体に不釣り合いな大きさだ。ちょっとした武器のようにも見える。

 碧生あおいもヒデアキと同じように、ハンカチリメイクのコースターを作っている。

 傍らで千景ちかげは何かを探して収納を開けてまわっている。






 一方、学校。

 ヒデアキはハンカチにフェルトで飾りを付け始めた。

 フェルトで、千景ちかげ碧生あおいのぬい兄弟を模した顔を作る。


(真ん中に配置するとカップを置きづらいな)


 そう考えてなるべく端っこに配置した。


 あのぬいをゲットしてきたのは、母なのだ。

 子供たちにはあまり大っぴらには言わなかったけど、母はオタ活をしていたし、千景ちかげ碧生あおいは相当に「推し」のキャラだった。

 今年も、母の誕生日が近い。








 そしてその千景ちかげ碧生あおいのぬいはというと。


「産業革命だぁ~!」


と得意げな千景ちかげの声。

 続いて工事現場のような音をたててるのは、ミシンだった。

 コースターは着々と増えていく。


 そのうちアヤトが原稿を終わらせて部屋から出てきた。


「本格的だね。何か手伝おうか」


 その申し出に、碧生が「うーん」とちょっと考えてから、


「刺繍を手伝ってくれ。このミシンじゃ、できない」


と頼んだ。


「そこまで上手くないけどいい?」


「そんなに複雑なことはしないから、大丈夫だぞ」


 千景ちかげの産業革命の横で、碧生あおいとアヤトがチクチクと不器用に刺繍を始めた。




***




 「お母さん」の仏壇の前。

 ヒデアキがリメイクコースターを仏壇の前に捧げるように置いた。

 素材は例の、刺繍で日付が入った学生時代のハンカチ。


 碧生あおい千景ちかげはそれぞれ、山のように積まれたコースターの上に座っている。


「いやー、こういうの、やりだすと面白くなっちまうな」


 千景ちかげが満足げに、コースター座布団の高さを見下ろしている。


「チカちゃんもアオちゃんも凝り性だからねえ」


とアヤトが、ハンカチコースターの山の上でふんぞり返っている「ぬい」たちを、微笑ましく見下ろしている。

 碧生あおい千景ちかげの隣で満足げな顔をして、


「日替わりで使ったとして、全種類出しきるのに1か月ぐらいかかるな」


と自分が座っているコースターの束を見下ろした。

 シンタローがマグを持ってきてコースターの上に置いた。

 ラテアートのカフェラテ。千景ぬいと碧生ぬいの顔が、ふんわりした線で描かれていた。

 シンタローはカフェでバイトをしていたことがあって、簡単なラテアートを作る特技がある。簡単な顔ならラテアートにできるのだ。

 いつもならそんな凝ったことはしないけど、今日は母の誕生日だった。

 もうこの世にいない人の誕生日を祝う、というのは複雑ではあるけど、それでも毎年一応意識はしていたので、急にやめるのは心がついていかない。


 千景ちかげがふいに、


「これは、お前が使え」


と足元のコースターをシンタローに投げた。

 ライダーのハンカチは、お花のハンカチと表裏一体になって、ご丁寧に金色のレースの飾りが付けられていた。


「うっわ。ライダーが『ゆめかわ』にされてる」


 シンタローが愕然として、受け取ったコースターを見詰めている。


「かっこいい感じにしようと思ったんだが、なんか違う感じになった。でもお前、そのキャラ好きなんだろ」


 千景ちかげが相変わらず偉そうに告げた。

 その隣で碧生あおいが、


「そういえば、兄さんがミシン出したときに、料理の本も発見したぞ」


とヒデアキに向かって言い、机の上の数冊を小さい手で示した。ヒデアキは料理が好きだったりもするから。


「へー。どれどれ」


 まだ新しそうな料理の本をヒデアキが手に取り、開く。


 ぽとっ


と擬音を発するようにして、落ちてきたものがある。


「あ」


と全員の声がハモった。

 床の上で、皆の視線を集めるもの。

 またしても、生前の母の手癖の名残だ。

 最近はやらなくなった、と言っていたけど、無意識でやっていた仕草がゼロになったわけではなかったみたいだ。

 どこかで見覚えのあるような、ないような、時を超えた置き土産。

 千景ちかげ碧生あおいのぬい兄弟の顔がプリントされた、キャラクターグッズのハンカチだった。








(♪おしまい♪)

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