02-1 なぁんにも関係ないんだけど

 四月下旬某日。航空高度を採り、南西に進路を取る超研対一課第五のヘパイストス。

 艦体横に並ぶ大型イ重力制御エンジンの先端には、推力の発生を示す光輪が煌々と輝いている。高い出力を維持している証拠と言えるが、快晴下ではここまではっきりと視認できない。

 要するに、イオの二回目のメタストラクチャー対応は生憎の曇天となった。


 静岡県駿河湾より南海上五十キロ付近に、六百メートル級メタストラクチャーの降下予測。通常より多数のメタスクイド出現が予測されるため、超研対一課第四パーシアスとの共同作戦となる。本日早朝の午前四時頃に重力震が観測されたため、メタストラクチャー地表到達時刻は午後二時頃が予測される。今回はウィングガン一号機のセリ・エリック組が待機だ。


 3F女子ロッカールームにて。初出動時は敢えて無視したが、イオはガンナースーツの『ある部分』が気に入らない。申告サイズに成型されたスーツは、身体にピッタリ過ぎるだけでも恥ずかしいのに、胸のカップ部分だけがやけに生地が余っている。


「あの、やっぱりこれ、着ないとダメ?」


 現在のロッカールームはイオの他にリコとニュクスの三名。セリがこの場に居ないことを念入りに確かめ、隣で着替え始めたリコに囁き声で話しかけた。


「だめだよ、調律のじゃまになるし。さいあく、骨折しちゃうよ」


 ガンナースーツには耐G制御に必要な反慣性繊維が織り込まれており、搭乗時には必ず着用が義務付けられている。余計な負荷は慣性制御に影響し、正確な異重力観測を阻害する可能性がある。前回アンチグラヴィテッド調律に失敗したイオには返す言葉がない。

 淡い灰色のバックウェア姿になったリコ、好奇心いっぱいの目を更に見開く。低い背丈と髪の短さも相まって、まるで小さな男の子のよう。


「え、足りないの? むね」

「ええと、あの、それ、逆ぅ……」


 もちろん彼女に悪意があるはずもない。イオ、涙目。


「おかしいなあ。へピイ、サイズミスするなんて」


 ――― 実は盛りましたっ! ごめんなさい……


 サイズ申告が合格通知の直後だったため—— 要するに浮かれていたのだ。イオはこの時、人生●度目の己れの愚かさを呪った。


「ふぅーん……」

「あのっ、そんな、その、まじまじ見ないで……」


 リコは眉間に皺を寄せ、色んな角度から『ある部分』の観察を始める。イオが何とも言えない居心地の悪さを感じていると、彼女は何か閃いたのように手を叩いた。


「そうだ、テープ、テープでひっぱって、余りをつぶすといいよ」

「は?」


 リコは部屋の端の備品ケースに歩み寄ると、補修用のガムテープを取り出した。得意げな笑みを満面に浮かべ、手にしたテープをベーっと引き伸ばす。

 無慈悲な反応。イオはこの上なく強い眩暈を覚える。


「はい、イオ。ばんざいして」

「え、えええっ、リ、リコちゃん、本気? ホンキなの?」

「前からぐるっと、せなかまで貼れば、剥がれないよ」

「いや、そう言う問題じゃなくて……」


 リコは伸ばしたテープを前ににじり寄り、イオは思わず腕で胸を隠して後退りする。

 すると、後ろから陽気な野太い声がする。


「エリックも苦労して絞ってるんだからさあ、着なきゃダメよーっ」


 振り返ると、二人の斜め後ろで背を向けて着替えるニュクスの肩が震えている。必死に笑いを堪えているのは言うまでもない。再びイオ、涙目。

 結局、イオのスーツは他より横一本のストライプが増えた。

 着用を終えたイオはヘッドセットを抱え、項垂れながら格納庫へと向かう。幸い、テープはスーツの上に着る防護ジャケットで隠れたから、一目ではそれと分からない。

 手にしたヘッドセットを胸に押し当て、反発する感触を確かめる。


 ――― いや、分析官の仕事にはなーんにも関係ないんだけど。


 イオはウィングガン二号機の巨軀を見上げ、長い長い溜息を吐いた。

 誤解を恐れずに言うとすれば、イオのそれはリコのものと大差がない。

 差があるとすれば、将来性のみだ。


 ——— ちぇ。(ぐすん)




***




 フォワードがヒト・イオ組、アシストがリコ・ニュクス組の体制で出動した。

 海上僅か数メートルを亜音速で巡航する二機のウィングガン。乏しい陽光の下、後方には衝撃波が生む爆音と巡航高度より高い飛沫。その後方に遅れて二機を追うヘパイストス。

 超越構造体メタストラクチャーの出現により、洋上に他の艦船はない。


 今作戦は一課第四パーシアスと共同で展開するが、初手のアンチグラヴィテッド狙撃権は一課第五ヘパイストス側が受け持つ。一課第四パーシイATiと第五のへピイATiが協議した結果であり、初手で狙撃に失敗した場合は一課第四に狙撃権が移る。

 今回の六百メートル級メタストラクチャーは進行方向に対して前後にやや長く、前回トーキョーエリアで撃破した五百メートル級と質量は大きく変わらない。

 メタスクイドの出現予測は十二体。前回は先に東京湾で交戦した一課第三テーセウスが数を減らした結果の四体だった。


 イオは前回アンチグラヴィテッド調律を失敗した身だ。初手を任されたのは一課第五およびヒトの実績からだ。だが、彼のパートナーはイオ自身。おまけにメタスクイドは前回の三倍。明らかに難易度が上がっている。

 一発一億円。その言葉が頭の中でぐるぐる回って離れない。


 ――― 楽な時に成功体験をしておけば良かった。なんで選りに選って私達が初手なのか。そもそも前回は条件が楽だったから、私に出動許可が下ったのでは…… ?


 先から後ろ向きなことばかり考える。頰を殴って気合いを入れようと思い立つも、視界同期ゴーグルが邪魔して平手では上手く殴れない。グーで殴ってみたら思ったより痛かった。

 後悔して顔を上げると、ルームミラー越しにヒトが首を傾げている(ように見える)。


 ――― ああ、絶対アホの子だと思われてる……


 はあ、とため息を吐くと、異重力マップボード上のグラフィックが目に入った。

 何のためにウィングガンのコクピットに座っているのか。私が一般に希少な資質、異重力知覚を持っていたからだ。そしてそれは愛する弟達のため——


 ――― 前回の失敗はパラメータの単純な入力ミス。同じミスを繰り返さなければいい。今度こそ頑張ろう。


 イオは気持ちの切り替えスイッチを探し当てた。



 先行する偵察ドローンが、六百メートル級メタストラクチャーおよび主人の周りを泳ぐように付き従う十二体の保守防衛装置、メタスクイドの姿を捉えた。

 通常時のメタストラクチャーは水深数メートルほど着水した後に前進を開始するが、今回は僅かに海面に接触しておらず、北北東に時速二十キロメートル程度の速度で前進している。巨大過ぎる体躯の所為で、その場に止まっているように見える。

 ほぼ真横からの映像のため、イオには前回と形状の区別がつかない。


「あれ、なんで海面と接触してないんだろう……?」


 前席のヒトが反応する気配はない。イオの独り言だ。


『お魚さんはもう食べ飽きたんじゃない?』


 メインモニタ下端に黄緑のアイコンが表示され、ニュクスがジョークを言う。

 メタストラクチャーが駿河湾に入り込めば、湾の奥行き距離分だけ本土に到達する時間が稼げる。だが、そこからの彼らの進路予測が難しい。結果、避難勧告を伊豆半島を含む駿河湾沿岸の全地域に出さざる得ず、一時的とは言え経済損失も少なくない。何より上陸を許せば人的被害も避けられない。彼らは地上のあらゆる生物、つまり『人も食らう』存在なのだ。

 決して笑えるジョークではないものの、気を紛らわせるには丁度いい—— と、イオは頓知が利いた返事を考える。


「うーん、おすすめは桜エビかな……ってエビも海の幸か」

『あはは、あの辺りは海産物ばかりだから。静岡茶を勧めるのも変だよね』


 お茶を啜る彼らの絵面を想像していると、リコが二人の会話に割り込んだ。


『お茶? おいしい?』

「そうだなあ、私はお茶菓子次第かな。羊羹とか御萩とか」

『ああ、アタシはお茶より先に饅頭が怖いね、って落語か』


 ニュクスは他愛ない会話を続ける。イオに気を遣っているのだ。

 その言葉に何か引っ掛かったか、リコはある疑問を口にする。


『こわい? お茶、こわいの? ニュクスがこわいのは、セ

『あぁーっ! ゲフンゲフン、ええっと、そろそろお仕事の時間かなぁって』

「んん?」


 普段の野太い声が素っ頓狂に裏返る。と、同時にパーシアス所属のウィングガンと合流を知らせるアラートが鳴った。イオは不審に思うも今は会話の続きを諦めるしかない。再び気持ちのスイッチを切り替える。

 超研対一課第四及び第五、総勢四機の航空砲撃機による共同作戦の開始された。


《ウィングガン管制システムは各艦ATiからガンナーに動作優先権移行、神経接続開始、知覚共有システム起動、プラズマ砲セーフティ解除承認、アンチグラヴィテッド専用電磁投射砲冷却開始、思考装甲射出展開……》


 へピイATiの合成音声が終わると、ピー音と共にコクピット内の全モニタの基調色がブルーからアンバーに切り変わる。一課第四、第五のウィングガンは攻撃態勢に移行した。


 ――― また、あの感覚だ。


 イオは訝しげに思う。再び右腕にざらついた感覚。前回と同じくひりひりと熱く感じていた部分が、今度ははっきりと線状を成しているように思える。

 胸元に繋がる知覚プラグの接触不良を疑い、カチャカチャと触ってみても感覚は変わらず。取り立てて接続関係に異常は見られない。


 ——— ちょっと、もうっ、なんなのこれ…… ?


 だが、作戦は既に始まっている。余計な疑念を振り払い、己れの異重力知覚に意識を集中するしかない。

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