第7話

 今日の教室は静まり返っていた。

 いや先程までは普通だった。しかし彼女が教室に入ってきた瞬間、時が止まったように教室中から音が消えたのだ。

 彼女というのは、もちろん白井さんだ。

 もしかしたら彼女はもう学校にも来ないかもしれない。もう二度と目にすることもないかもしれない。そんな懸念を抱いていただけに、彼女の姿を認めたときはさぞ安心するだろう。そんな風に考えていた。

 しかし実際に彼女の姿を見たとき、僕も周りと同じく絶句した。

 白井さんはトレードマークである長い黒髪をばっさりと切り落として、そのショートボブを鮮やかなコバルトブルーに染め上げていたのだ。

「いやどうしたのそれ」

「ん、イメチェン?」

「変わりすぎだろ」

 僕は渡り廊下の柵に肘を乗せて苦笑した。

 夕焼け空に彼女の青はよく映える。白井さんはすっかりカタカナの似合う女の子になっていた。 

「確かにイメチェンというか生まれ変わりかな」

「髪は女性の命とも言うし」

「そうそう。でも改めて考えるとカラーリングってすごいよね。あんなに真っ黒な髪を好きな色に染められるんだよ。あ、今度は赤にしようか、赤色好きの青砥くん」

「また怒られるぞ」

 放課後、僕たち二人は揃って先生に怒られた。

 僕はこの間の無断早退、彼女は言わずもがなド派手な髪色の件だ。担任にこってり絞られて職員室から帰る途中「夕焼け綺麗だよ」と彼女に誘われた。

「そうだね」

 そこで会話が途切れる。ふと二人の間に沈黙が落ちた。風の音が聞こえる。

「──私の幸せってなんだろう、って考えてみたの」

 探るような雑談を終えて、白井さんは本題を切り出した。

「私って今まで他人ひとのことばっかりで、自分のことあんまり考えたことなくてね。ほんと空っぽで真っ白で、周りの色に溺れるみたいに生きてきたの。でも、青砥くんに言われてちゃんと考えてみた」

 夕陽に彩られた渡り廊下に彼女の声が凛と響く。

 僕は静かにそれを聞いていた。

「それで思ったんだ。私、堂々と青砥くんの近くにいたいなって。近くにいても誰にも文句言われないくらい、強くて可愛くてかっこいい人になりたい。だからせめて自分のお気に入りの色くらい見つけなきゃって。ほら、どうかな」

 ふわりと風が吹いた。糸のような彼女の青い髪は風に乗って、翼のように広がる。

 白井さんは青いショートボブの毛先を指で摘まんで僕の目を見つめた。

「何色にも染められるなら、君の色に染まろうと思った」

 僕は真っすぐに彼女を見つめ返しながら、今朝の教室を思い返す。思いがけない彼女の転生はクラス中の視線を釘付けにした。けれどそれは決して批判的なものではない。

 近寄りがたいほどの美しさと誇らしげに揺れる強さに、誰もが見惚れていたのだ。

 それは僕も例外ではなく。

「すごく似合ってるよ、青髪さおがみの白井さん」

 素直に答えると、白井さんは頬を僕の好きな色に染めて「ありがとう」と微笑んだ。

「……それと、ごめん」

「ん?」

「青砥くんと過ごした時間、失敗って言っちゃってごめんなさい。どうしてもそれを謝りたくて。それに私のせいであの日早退させちゃったし」

「あーいいよ、全然気にしてないから。知ってるだろ?」

 僕はまた苦笑いを夕焼けに向ける。

 いつの間に彼女のことをそんな風に思うようになってしまったんだろうか。わからない。けれどそれが自然な気もした。

 いつだって、そこに理由なんてないんだから。

「僕は好きなもののためなら校則だって破る男なんだ」

 彼女の目が見開かれる。夕陽が混ざって茶色がかった瞳には僕が映っていた。

 ──そして、白井さんは。

 他人を全肯定し自分を全無視する、あの不幸なまでに優しい白井さんは。

 おおよそ今まで誰にも言ったことのないであろう台詞を僕に告げる。


「ばかだなあ、青砥くんは」


 それから人形のように整った顔をくしゃくしゃに散らかして。

 大きな声で、笑ったのだった。



(了)

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真っ黒髪の白井さん 池田春哉 @ikedaharukana

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