第25話 つむぎの術

あまねの声で、つむぎは吸血鬼との距離が縮まっている事に気が付いた。ここでじっとしていてもどうしようもないのだ。


『今ならまだ旦那様が近くにいます。だから奥様はここから逃げて、旦那様を呼んできてください』


 それは最善の方法だと思う。

 それでもつむぎはあまねを置いていけるわけがなかった。猫娘のあまねでは吸血鬼には敵わない。理性を失いかけた半狂乱の吸血鬼など、なおさらである。


ーーつむぎ!今勇気を出さなきゃ、いつ勇気を出すんですか!


つむぎの手は見て明らかなほど震えていた。それでもあまねの後ろで震えているだけなんて、とても出来ない。


ーーしっかりしなきゃいけませんね。


気が付いたら、つむぎはあまねの前に立っていた。


『奥様!?』


あまねは目を丸くした。何をしようとしているのか、あまねは動揺を隠せなかった。

 けれどつむぎはあまねとは逆に落ち着いていた。まだ術師として勉強を始めて日は浅いが、教わっていたことはちゃんと覚えている。

 大丈夫、と言い聞かせながらつむぎは呪文を唱えた。


「『式術解放』」


つむぎが呪文を唱えると、周囲が柔らかな光に包まれた。それはまるでその光が暖かい春の陽の光のようだった。


『奥様……』


つむぎの手は確かに震えていた。けれど必死に立っているつむぎの背中を見ていると、止めるのもはばかられてしまった。


「私だって……金城家の一員なんです」


震えるつむぎの声に、あまねは言葉を詰まらせた。つむぎはずっと他人行儀のような一線を引いた態度を取っていた。つむぎの事情を知るあまねは、それも仕方ないと思っていた。

 そんなつむぎが、金城家の一員だと言ったのだ。

 あまねにはそれが嬉しかった。


「ごめんなさい、あまねさん。心配してくださったのに、私。私は……」


 呪文を唱えたのだから、後はやるだけだ。

 つむぎは決意を固めた。


「私はやってみせます」


 つむぎは吸血鬼をしっかりと見据えた。確かに吸血鬼はとても正常な状態ではなく、恐ろしく感じる。けれどそれ以上につむぎには譲れないものがあった。


 認められたい。

 金城家に、そして、リヒトに。

 たとえ。

 今つむぎがしている事が無茶なことで、身勝手な我が儘だとしても。


 それでもつむぎにとっては必要な我が儘なのだ。価値のないつむぎが居場所を探すための我が儘なのだ。


 そしてその居場所は、リヒトのそばであってほしい。


『あ……ア…啞ァ…』

「『式法・制御』」


つむぎは教わった呪文を間違えないよう、慎重に唱えた。

 術を学ぶ中でつむぎにはその場を支配する術が使えると教わった。つむぎが発動させた範囲は全てつむぎの命令通りになる。

 止まれと命じれば皆止まり、死ねと言えば皆自殺する。

 それがつむぎの術なのだと。

 ならばその術を使って足止めくらいなら出来るだろうと考えたのだ。

 つむぎは下唇をぎゅっと噛み締めた。


ーー足止めくらいなら、私にもできるはずです。


今は自分を信じてやるしかない。そう思ってつむぎが術を発動させると、吸血鬼はぴたりと動きを止めた。

 うめき声を上げ、なんとか体を動かそうともがいているが全く動く気配もない。

 そんな吸血鬼の様子を見たつむぎは、ほっとした。


ーー良かったです。


自分の術が吸血鬼に有効だと分かったつむぎは心から安心した。しかしここで力を緩めてはならない。つむぎの力がいつまで続くかも分からないが、この状況では何の解決にもなっていないのだ。


「あまねさん!今のうちに旦那様を!」

『お、奥様。そんな……置いてなんて』


あまねだって主人を置いて行くわけにはいかない。


「大丈夫です。ですから、おね」

「よく耐えたね」


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