恋のおまじない

杜村

屋根裏にて

 懇意にしている解体業者から緊急連絡をもらい、私は現場に駆けつけた。

 足場に掛けられた防塵シートに遮られて民家の全貌はわからないが、築50年ほどだと聞いている。おそらくはその頃にニュータウンとして売り出された地域で、近隣には少ないながら新築の家も見られる。


 家財の撤去も丸ごとお任せという家屋解体では、思わぬお宝が見つかることがある。郷土博物館に勤める私としては、築100年以上の古民家が望ましいのだが、近年は昭和の遺物にも興味深いものがある。

 古物商の認可も得ている業者からは、これまでにも面白いものを購入しているが、現場に呼び出されたのは初めてだ。


「ああ、先生。待ってたよ」

 私は先生と呼ばれる身分ではないのだが、矢木社長は何度訂正してもそう呼ぶ。還暦近い人にギリギリ30代の若輩者がそう呼ばれるのは、くすぐったいのだが。

「どうしたんですか。何が出ました?」

「2階の屋根裏。押入れの天井板が外せるようになっててね。古い家の屋根裏みたいなご大層なものじゃないが、まあ、軽いものの収納に使われるのは珍しくないんですわ」

 社長に続く形で、掃き出し窓から土足のまま上がり込む。応接セットやテレビが残されたままなので、わかっていても気が咎める。

 ギシギシ鳴る急な階段を上ると、2階のその部屋はすでに家具を運び出した後でがらんとしていた。

「ここです」

 指さされた押入れは襖を外され、天井板も1枚外されている。

 ひょいと登ろうとしたが失敗し、社長に尻を押し上げられることになってしまった。

「先生、ちょっとは痩せないと嫁が来ないよ」

 毎度の軽口を笑い飛ばして、天井裏に頭を突っ込んだ。目の前に木箱がある。靴を買った時の箱くらいの大きさのそれに、躊躇なく手を伸ばした。軽い。

 押入れの上段に座り込んで、目の前に置いたそれをよくよく……見るまでもなく、古びたお札が目に入った。貴船神社のお札だ。

「先生ー、貴船ったらアレだろ。丑の刻参りだろぉ」

 社長の声が震えている。なるほど、それで慌てて私を呼んだのか。

 いつだったか、古民家から木箱に入った藁人形が見つかったというネット記事を社長に見せたことがある。呪いの力がまだあるというオカルト寄りの記事で「こういう出物に巡り合ってみたいねえ」と言ったのが印象深かったようだ。

「貴船は縁結びでも有名ですよ」

 そう言いながら、十字に掛けられた紐をほどいた。箱は高級ウイスキーが入っていた箱である。品名がはっきり書いてある。蓋を持ち上げると、社長がちょっと後ろに飛んだ気がした。

 が。

「何だ、これ」

 私の気の抜けた声に、彼は恐る恐る近づいてきた。


 緑色のクマのぬいぐるみ。


 いかにもお手製の、ジャージ生地のぬいぐるみである。ずっと箱に入っていたせいか、古びた感じはしない。頭と胴体、手足は別々に作って縫い付けたのだろうが、ところどころ糸が見えている。顔に下着のような白い布を丸く縫い付け、目と鼻はボタン、口は刺繍。全体に稚拙な作りだ。

 特徴的なのは、腹に大きく黒と赤のマジックで「けんさく❤️」と書かれてた白い名札をつけていること。首に赤いリボンを結んでいること。


「あっ、ケンサクっていうのは、ここん家の旦那さんの名前だよ、きっと。足場を組んでたころから、近所のよぼよぼの爺さんが何回か見に来て、ケンちゃんの家もとうとう無くなるんかって話しかけてきたから」

「ははあ。じゃあ、これは奥さん手作りの、浮気封じか何か……愛情のおまじないじゃないですかね」

「へ?」

 社長はキョトンとした目を向けてきた。

「これ、胴体から髪の毛が飛び出してます」

 指差したところから、ツンツンと黒い髪の毛が数本出ているのが見える。社長は「げっ」と半身を引いた。

「そういうまじないがあるのかい」

「さあ? 女性向けの恋愛系お呪いってのは、適当に次々出てきますからねえ。そういえば、これって体操服じゃないですかね。本人が身につけていたものを利用したんでしょうか」

「嫌だねえ、そういう執念ってのは」

 社長は首を横に振りながら、ひょいと箱を取り上げた。

「先生も、こんなのはいらないやね」

「あ、それでも神社のお札が貼ってありますから。人形供養に持っていったほうがいいですよ」

「ああ、そうか、お札か。あー、先生はついでに家の中見ていってよ。処分は任されてるから、欲しいものがあったら持って行っていいから。まあ、古いものはなさそうだけどな」

 社長は箱を持って階下に降りていった。

 その後、家の中を見させてもらったが、確かに興味を惹かれるようなものはなかったので、頃合いを見て辞した。


 社長から次の電話が掛かってきたのは、一月ほど後。

『参ったよ。神社が人形供養を断るってこと、あるのかい?』

「え、断られたんですか? 例のケンサクグマですか?」

『そう、それ』


 社長は、例の民家の話も聞き込んでいた。

 ケンサクというのは先代戸主で、今回家屋の解体を依頼してきた男性の父親だそうだ。ケンサク氏の妻は彼の高校の後輩で、在学中から近所でも知られるほど猛アタックを掛けてきた末に結婚したのだという。

『その嫁さんが、時々近所にも響くくらいの大声で喚き散らすことがあったらしくてさ。ヒステリーっていうの? そんなこんなでケンサク氏の浮気も度々、そうなると嫁さんがまたまたキーキー、子ども2人は高校卒業したら出て行ったきりだったんだと』

「そんな人とよく離婚しないで、あっ」

 ケンサクグマが脳裏に浮かんだ。

『な? あっ、なんだよ』

 社長も悟ったように言う。

『あの家は、ケンサク氏の親父さんが建てたもので、ケンサク夫婦はまだ60代。旅先の事故で亡くなったって言うんだが、まあ、色々と、なあ。冗談みたいなまじないだと思ったけどよお』

「そうですねえ。で、クマはどうするつもりなんです?」

『それそれ。先生、よろしく頼むよ』

 だろうと思った。

 私は一介の学芸員で、そちら方面に詳しいわけでもなく、知人もいない。ネットを介して供養のエキスパートを探すのが関の山。

「費用はどうなるんですか? 解体の依頼主っていう息子さんに任せるのが一番でしょうに」

『費用はその人から出るさ。家財の処分は全部任せましたってのが先方の言い分なんだ』

 母親の執念、いや、妄念を実の息子も忌避するのか。わからないではないが、勘弁してほしい。


 その後、やむなく引き取ったケンサクグマだが、お焚き上げされることもなく、幾人かの手を経て現在に至るようだ。

 いつからか恋愛成就の強いお守りと言われているようだが、よくよく考えてみてほしい。胴体に入っているのはケンサク氏とその妻の髪の毛だということを。

 いや、今ではその後に埋め込まれた元持ち主たちの髪の毛らしいのだが。

 そんなもので恋しい人と結ばれて、それは本当に恋愛成就と言えるんですかね?

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恋のおまじない 杜村 @koe-da

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