fairy tale 2:甘酸っぱい再会

紫月音湖*竜騎士さま~コミカライズ配信中

第1話 出されたお茶は気色の悪い毒色でした

「お姉さん。ちょうど良かった。これ、返しといてくれる?」


 残業続きでヘトヘトの帰り道。コンビニで買ったご褒美プリンを楽しみに家路を急いでいると、前から歩いてきたとんでもない美少女にそう声をかけられた。

 まるでビスクドールみたいな、同じ人間とは思えないほど完成された姿だ。私がだらしなく見惚れている間に、少女は一冊の本を手渡して通り過ぎていく。


「あ! ちょっと……」


 慌てて振り返ると、暗い路地にはもう私しかいない。少女も、そしてなぜかご褒美プリンまで忽然と消えていた。手元に残ったのは、ウサギのぬいぐるみが表紙絵に描かれた一冊の本だけだ。


「これをどうしろって言うのよ……」


 どこかの図書館から借りたものだろうか。それにしてもなぜ私に頼んでくるのか。あと私のプリン。

 疑問と苛立ちを抱えたままパラパラと本を捲ると、どうやらそれはウサギのぬいぐるみが旅をする物語のようで。――と、そこでハッと我に返った。

 そう言えば、この前も何だか似たようなことがあった気がする。


 やばい!と慌てて本を閉じようとしたものの、判断は一瞬だけ遅かったようだ。ぼふん!と本から星屑の煙が上がったかと思うと、次の瞬間――私はウサギのぬいぐるみになって、誰もいない夜の路地に投げ出されてしまった。


「……う……うぅ……ウサギーーーーっ!!??」


 幸いと言っていいのかどうか、周りに人の気配はない。見られなくて良かったと思う反面、誰にも助けを求められないという絶望が私の頭に夜より暗い影を落としていく。

 そんな闇を、ふっと淡く照らす光が目に入った。地面に落ちた、私の鞄の中からだ。ぬいぐるみになってしまっても体は動かせるようで、私は必死になって鞄の中から光の元を引きずり出した。

 予想通り。光っていたのは、あの不思議な店のショップカードだった。


「お兄さん! お兄さん! 大変ですっ、助けてください。助けてくださいぃぃ!」


 人気のない夜の路地の真ん中で、淡く光る一枚のカードに必死に話しかけるウサギのぬいぐるみ、という異様な光景ができあがったが今は非常事態だ。

 ぬいぐるみでも涙が出るのかと、目元がじわりと滲んだ気がした頃に、ふと背後に気配を感じて振り返る。すると塀だったはずのその場所に、見覚えのある店の扉が現れていた。そしてあの時と同じように、中から黒縁眼鏡をかけた前髪の長い胡散臭そうな男が、にゅっと顔を出したのだった。


「んだよ、またお前か。っつーか、何だ? その姿……」

「お兄さぁぁぁぁん!!」


 ぴょんぴょんと跳ねてお兄さんの足にぎゅぅーっとしがみ付くと、首根っこを掴まれてふわりと持ち上げられた。目線の高さが同じになって、眼鏡の奥の瞳が胡乱げに細められる。


「何でまた本開いてんだよ」

「すっごい美少女に本を返しってって頼まれたんですよ! そりゃ……本開いたのは私のミスですけど……。まさか、またこういう本に出会うって思わないじゃないですか。しかもお店の外ですよ? 私にあんな経験させておいて、お兄さんは関係を絶ちたかったのかもしれませんが、これは不可抗力です!」

「待て待て! 何か言葉が危ういぞ!」


 なぜか焦った風のお兄さんが、慌てて私を店の中へ招き入れる。もちろん路地に放り出された私の私物も一緒だ。

 お城の図書館みたいな本屋の奥には、これまた高級ホテルにあるようなお洒落な螺旋階段があった。そこを上がると、二階はテーブルとカウンター合わせて五席しかない、こぢんまりとしたカフェになっていた。

 一階でお気に入りの本を借りて、ここで読み耽るのだろうか。いや、読む……ではない。ここにある本は、ページを開くとその物語の中へ入り込むことができるのだ。そしてこの本屋fairy taleは、そんな本を人ならざるものたちへ提供する不思議な場所だということを知ったのは、ひとつきほど前のこと。別れ際にショップカードだけもらって、それで終わりのはずだった……のだが。


「あぁ……悪ぃ。今回は俺のせいだ」


 そう言って、お兄さんが私にくれたカードを指先で弄ぶ。


「これ。前にお前に渡したカードだが……。渡したことで、お前とこことの繋がりができちまったみたいだ。そのせいで、客がお前を店のモンだと勘違いしたんだろうな」

「あんな別れ方したのに、よりの戻し方がひどくありませんか?」

「お前の物言いの方がひでぇよ!」

「……戻るんですか?」

「ちょっと待ってろ」


 私をカウンターの上に置いて、お兄さんはその奥へ入っていく。しばらく見ていると、かちゃかちゃと陶器の擦れる音と共に、いい匂いが漂ってきた。紅茶だろうか。でも甘いキャンディーみたいな匂いがする。


「ほら。これ飲めば元に戻る」


 ふわりと白い湯気の立つカップに揺らめくのは、紅茶の琥珀色――ではなく、なぜかどぎつい緑色をしていた。


「え"……。これ、飲むんですか?」

「これは本の世界からこっち側に戻って来るための飲みモンだ。人間お前でも毒にはなりゃしねぇよ」

「見るからに毒色なんですが……」


 匂いは甘ったるい紅茶。見た目は濃厚青汁。脳がどっちを認識していいのかパニクっているのがわかる。


「ごちゃごちゃウルセぇよ。飲まないのは勝手だが、そのままだとぬいぐるみから元に戻れなくなるからな」

「っ! のっ、飲みます飲みます!」


 慌ててカップを手に取って、膨らまないぬいぐるみの胸で深呼吸をひとつ。ぎゅっと目を瞑って匂いだけに集中すれば、おいしい紅茶だと脳が勘違いするはずだ。

 そう信じてカップに口をつけると、紅茶でも青汁でもない――梅干しの味が口いっぱいに広がった。



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