胃の中のクジラ 3


「ですから、僕も食べるんですよ」


「……」

「僕は今、ラー君を食べています」



———私を召し上がりに来ない?



「ラー君が言ってたのは冗談じゃなかったんだね…」

「…まぁ、冗談に聞こえるのもしょうがない」

「華寿海は最初から本当だって思ってた?」

「……そうだな」


蘭滋さんが、ワゴンの下の段に置いてある箱から細長い皿を取り出し、箸と共にテーブルに置く。

「そうです、冗談などではありません」


「絵都君と華寿海も、ラー君を食べませんか?」

「これ、そうなの?」

「はい。クジラの刺身です」

「……」

「お刺身苦手でしたか?それなら、」


「蘭滋」

華寿海が低い声を出す。


「もちろん、華寿海が全部食べても良いですよ?」

「華寿海、大丈夫」

隣に座る華寿海の手を上から握った。


「…食べても良いの?蘭滋さんが知識を得るんでしょ?」

「一人で食べたいのは山々なんですが。大きすぎて、とてもじゃないですが僕一人では食べきれないのですよ。大事そうなところは避けてあるので、後の部分をお願いします」

「『大事そうなところ』?」

「はい、大抵は脳や目に大事な記憶が入っているので、そこはちゃんと僕が食べます」

「そ、そう…」


「典姚に食べさせろよ。持ってきたのあいつだろ?」

「そうしたいですが、典姚は僕の食べ物には絶対に手を出しませんから」


「クジラって、食べられるの?」

ほとんど海に行ったことのない僕に、クジラという生き物を教えてくれたのも蘭滋さんだ。

「ええ、この地の人間はよく食べていますよ」

「……そうなんだ」



「……」

「蘭滋、話がある」

「ここでは出来ない話ですか?」

「……」

ここには、華寿海と蘭滋さんと僕の3人しか居ない。ここで出来ない話となると、それは僕に聞かれたくないということになる。


「…僕、別の部屋行ってようか?」

「いや、良い。ここに居ろ…」

「はぁ、」


「華寿海、貴方は素直すぎますね。損な役回りをしているものです」

「やめろ…」

「ええ。意地悪するつもりはありませんから、ここで話しましょう」


「お前、俺たちにクジラを食わせて、その記憶をまた食うつもりじゃないだろうな?」

「はは、そうですよね」

「……」

どういうことかと聞きたかったが、僕が今それを聞いて良いのか分からなかった。

「ごめんな、絵都」


「蘭滋は、文字通り『食べて』その記憶を得ることが出来るが、その他に、生きてる人間の知識も『食う』ことが出来るんだ」

「生きてる人間?」

「人間に限りませんけどね」


「このラー君みたいに肉体を食べなくても、ある者が持つ知識を部分的に貰うことが出来るんですよ。知識を『吸い取る』とでも言うのでしょうか」

「じゃあ、ラー君も食べなくて良いんじゃ…」

「食べた方が、完全な形で取り入れることが出来ますからね」


「ですから、華寿海が心配しているのは、僕が二人にラー君を食べさせて、そうして二人が得たラー君の記憶を、僕が吸い取らないかということですね」

「ああ」

「確かに、それだと蘭滋さんがラー君を食べなくても記憶貰えるね」


「あれ?そうすれば良いんじゃない?」

「…は?ちょっと待て、絵都…」

「え?」

「ははは、絵都君は絵都君で素直ですね」


「華寿海、心配しなくとも大丈夫ですよ。あなた達がラー君を食べて、ラー君の記憶を得ることは無いでしょう。それとも、今までに魚を食べて、その魚の見た光景を自分のことのように思い出したりしたことがありますか?」

「…あるか?」

華寿海が不安そうにこちらを見る。

「いや、無いよ」


「残念ですが、それでは、僕があなた達の記憶を吸ったところで、あなた達が森で過ごした記憶を得るだけです。僕はそれでもとても興味がありますが、絵都君、どうしますか?」

「……やめとく」

「絵都、…はっきり断れ」




結局、僕はラー君を食べてみることにした。

「醤油どうぞ」

「ありがとう」


「いただきます」

小さい身を一口食べた。


「どうですか?」

「…うーん……」

「ははは、苦手でしたか。一応、ここは美味しいと聞いた部位なんですが」

「…ごめんなさい、僕はほとんど好き嫌い無いと思ってたんだけど」

「いえ」


『子供か…』

「え?」

「どうした?」


『私は食べないの?』


『たくさん海を見ておいで』

『この芝生は、……』


「蘭滋さん?」

「どうされました?」

「今、喋ってた?『芝生』とか」

「いいえ」

「…え?」


「じゃあ、今のこれは……」

蘭滋さんの目が輝くのが分かった。


「もしかして絵都君、ラー君の記憶が見えたんですか!?」

「見えたというより、ちょっと声が聞こえただけなんだけど…」

「十分すごいです!なぜ絵都さんには聞こえるのでしょうね。それに声が聞こえるだけというのも気になります」


「やはり絵都君には、『食べる』方のお手伝いをお願いしましょうか」

「おい蘭滋、やめろ」

テーブルに手を付いて前のめりになった蘭滋さんを、華寿海が手で制した。

「もう断っただろ」

「…ごめんなさい」

「はぁ、僕もあなた達には甘いんですよね…」


「あ、でもね、蘭滋さんの声がしたから、僕が今食べちゃった記憶は蘭滋さんも知ってるんじゃないかな」

「そうですね」

「心当たりある?僕本当にちょっとしか聞こえなかったから…」

「ええ、ラー君の生前の記憶に僕がいるなんて、ほとんど無いでしょう」

「確かに」

「それに、二人に出したのは尾の付け根の部位なのですが、そうなるとラー君に初めて会った時の記憶ですね」

「へぇ!元々知り合いだったんだ、……」

知り合いのクジラがいるというのがそもそも稀だが、その知り合いのクジラを食べているというのも奇妙だ。


「……」

「はは、僕とラー君のことを知りたそうですね」

「うん…」

「僕も教えてあげたいのですが、何だか華寿海に怒られそうな予感がするので、やめておきましょう。知りたかったら、後でこっそり僕のところに来てください」

「おい…」

「分かった」


「残りはどうしますか?」

「ええと、…」

「俺が食べる」

「あら、気に入りましたか?もっとありますから言ってくださいね」

「…うるさい」

「ありがとう、華寿海」

「いや、…良い」

「ん?」

「やっぱり気に入ったんですね!」

「……」

華寿海は、あっという間に皿の上のクジラを平らげてしまった。


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