ダディ・ベア【KAC2023】

凍龍(とうりゅう)

限定品のテディベア

 オレはぬいぐるみだ。

 シュタイフのテディベア。特別生産の少量限定モデルで、手触りはふわふわ、もこもこ。

 たかがぬいぐるみのくせに万札が何枚も飛んでいく常軌を逸した代物だ。

 とはいえ、もちろん最初からぬいぐるみとして生まれてきたわけではない。



 前世のオレは都内のAI開発企業に勤めるエンジニアだった。入社して数年、彼女と一緒に過ごす二度目のクリスマス、そのプレゼントに彼女が欲しがったのがテディベアだったのだ。

 オレは幼女のようなモノを欲しがる彼女の子供っぽさに苦笑しながらも、内心微笑ましくも思った。場違い感で肩身の狭い思いをしながらぬいぐるみ専門店を訪れ、どうにか買い求めたもこもこの包装を抱え、懐にもう一つ、手のひらに載るほどの小箱をしのばせて彼女のマンションに向かう途中、飲酒運転の車に轢かれて絶命し、気がつくとオレは自分が買い求めたぬいぐるみになっていた。

 彼女はひどく嘆き悲しんだ。

 形見になってしまったテディベアを引き取り、眠れない夜には涙を流しながらテディベアを抱いて眠った。

 だが、オレは動くことも喋ることもできないただのぬいぐるみだ。悲しみに暮れる彼女の肩を抱いてやることも涙をぬぐってやることもできず、もどかしい思いを抱えながらただ、彼女の体温を感じていることしかできなかった。



 それからひと月もしないうちに、男が彼女のマンションを訪れた。サラリーマン時代、俺の一年後輩だったヤツで、オレと競うように彼女を狙っていたうちの一人だ。

 ヤツは言葉巧みに傷心の彼女に近づき、戸惑う彼女の心の隙間にスルリと入り込んだ。ヤツは俺の目の前で彼女を抱き、彼女もまた、オレのことなどすっかり忘れたかのように激しくヤツを求めた。

 オレは軋むベッドの枕元で、目をそらすこともできず、二人の情事を眺めることしかできなかった。

 本当に気が狂いそうだった。

 オレが何をした。こんな地獄のような責めを受けるような一体何をしたと言うんだ。オレはそう神を呪いながら、心のなかで血の涙を流した。


 だが、彼女の妊娠がわかった途端、ヤツは彼女から離れていった。

 ヤツにとって彼女はひとときの遊びで、彼女の人生に寄り添うつもりなど微塵もなかったのだ。

 彼女はヤツを追うことはなかった。身重の体とテディベアだけを抱えて実家に戻ると、女の赤ん坊を産み、実家近くのアパートで一人暮らしをしながら近所の二十四時間スーパーでレジ打ちや配送のパートを始めた。

 そんな生活が一年ほど続き、赤ん坊は徐々に言葉にならないカタコトを口にするようになった。オレはいつの間にかその子のおもちゃになり、よだれで顔中ベロベロにされたり、腕を握ってそこら中引きずり回されたりするうちにすっかりボロボロになった。だが、彼女はオレを赤ん坊から取り戻すこともなく好きにさせた。さんざん蹂躙されるオレとはしゃぐ赤ん坊を、どこか遠くを見るような静かな表情で眺めているだけだった。



 彼女の実家から小さなクリスマスツリーが送られてきたのはその年の年末だった。かなり年季の入った代物で、電飾は今どきめったに見ない電球式だ。何でも、彼女が幼い頃に買い求めたものらしく、長く納屋にしまい込んでいたものを孫のために引っ張り出してきたらしい。赤ん坊はチカチカと光る電飾に興味津々で、オレを逆さまにぶら下げたままツリーを飽かず見つめていた。



 クリスマスイブの夜だった。

 どうにか赤ん坊を寝かしつけたところで彼女のスマホにパート先のスーパーから着信が入った。

 ケーキ配送の手が足らないので臨時で出て欲しいという依頼で、彼女はしばらく迷った末に同意した。赤ん坊は夜はぐっすり眠るようになり、数時間であれば目を離しても大丈夫だと判断したのだ。

 深夜。

 遠くで何かがガチャンと割れる音に気づいてふと目を覚ましたオレは、妙な胸騒ぎの理由を考えているうちに異変に気づいた。階下からなんだか焦げ臭い匂いが漂ってくる。匂いは次第に濃くなり、玄関ドアのポストの穴から薄い煙が漂ってくる。


(火事だ!)


 オレは全身から血の気が引いた。

 ここは築ウン十年の木造アパートだ。火の回りは相当早いだろう。

 オレは神に祈った。動かせないぬいぐるみの体に力をこめ、ただひたすらに動けと念を込めた。

 彼女が目の前で男に抱かれ、目を逸らすすべもなくそれを眺めていた時のような歯痒い思いはもう嫌だった。


(動け)

(動け!)

(動け!!)

 

 脳の血管が切れそうなほど念じると、足先にピクリとした感触があった。

 オレはその懐かしい感触にしがみつくように力を込めた。視界がすっと高くなった。

 オレは勢いのままクリスマスツリーに突進すると、電飾をブチブチと引きむしり、ツリーを窓際に押し倒した。

 勢いでガシャンと窓が割れ、深夜の冷気と近づきつつある消防車のサイレンの音が飛び込んできた。

 オレはすやすやと眠る赤ん坊に駆け寄ると、毛布ごと包むように電飾のコードでしばり上げ、余ったコードをぐるぐると巻きつけた。

 赤ん坊は泣くこともせず不思議そうな表情でじっとオレを見つめていたが、引きずられながらじっと何かを考えているようだった。

 ベランダの柵に電飾の一方をくくりつけ、苦労してエアコンの室外機の上に赤ん坊を引っ張り上げた。

 階下には消防隊の姿が見えた。


(うまく拾ってもらえよ)


 オレはベランダの手すりに赤ん坊を乗せた。その様子に階下から悲鳴が響く。

 だが、赤ん坊は気丈にも声を上げることはなかった。じっとオレのガラスの瞳を見つめると、何かに気付いたようにニッコリ笑って言った。


「パ、パ?」


 ああ。

 その瞬間、オレは自分がぬいぐるみに憑依した本当の理由をようやく悟った。


(ああ、パパだよ)


 オレは赤ん坊をベランダの外に押しやった。

 くるくると巻きつけられた電飾が解け、赤ん坊の姿はゆっくりと視界から消えていく。どっと歓声が湧き、赤ん坊が無事に地上に降り立ったことが気配で察せられた。

 だがその時、すでにオレの体は再び前のように身動きが取れなくなっていた。

 為すすべもなくずるずると室外機から滑り落ち、見えるのは物干し竿だけになった。

 だが、オレは満足だった。


(幸せになれ、娘よ)


 視界は次第に狭くなり、やがてオレは二度目の死を迎えた。

 

 

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ダディ・ベア【KAC2023】 凍龍(とうりゅう) @freezing-dragon

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