お空の世界~運動会編

立坂 雪花

***

 ここは、空の世界にある学校。

 今、運動会が行われている。 


 僕は超超長距離走のスタート地点にいる。

 スタートする合図のピストル音が鳴る直前。

 

 僕は、僕を走らせたがっている先生と、ついさっきまでずっと揉めていた。


この世界でも僕が迷っている事なんて完全に無視され、どんどん時間は進んでいく。と、その時は思っていた。


「位置について、よーい……」


 パーン!


 ピストルの音が響いた。



 僕が動かないでいると、周りの動きが止まった。


「あぁ、良かった! レマトヨンカジが成功したわ」


 先生は魔法が成功したらしく、ほっとしていた。


 超超長距離走は、生まれ変わってもう1回好きな人のそばに行ける資格を得る為の試験の一部。この種目以外にも他の試験があり、最終審査が行われて、決定されるのだけれど。


 空の学校では、今まで過ごしていた地上の世界から遠いところに行くコースや、この学校で学び続けるコース。他にも選択肢は沢山あるのに、先生はしつこいくらい、この競技に出るよう勧めてきた。


「私、あなたの選択肢が増えてほしいから、どうしても走らせたいから……。3時間だけ地上で妖精になってきて! いってらっしゃーい」


 そう言うと先生はいきなり僕を地上に放り投げた。



 僕は地上にいた頃、小さな約束事もしっかりと守ったし、人に喜ばれる事もどんどんした。

 

 でも空の世界では、先生の言う事には逆らったし、面倒くさいと少しでも思えばやらなかった。


 ある物が、僕の元には届かなかったから。


 それは、かあさんからのメッセージ。


 僕がこっちに来る時、火葬される僕の棺に手紙を入れたり、夢の中で伝えたり……。手段はいくつかある。


 それなのに、かあさんからは何もなかった。

 

 メッセージが配られている時、隣にいた子は親なんて嫌い。なんて言いながらもメッセージが届いていて、読みながら喜んでいた。


 どうせ、かあさんは僕の事なんて……。そう思っていた。



✩.*˚地上に



 落ちる途中完全に意識がなくなり、気がついた時には、見覚えのある場所にいた。


 正面にある窓ガラスに、今の僕が映っている。僕はぬいぐるみになっていた。


 長い水色の髪の3頭身くらいの女の子に。


 かあさんの大好きなアニメ “ キラキラ戦士ピュアリンコ ”のかあさんが推してる “ ユイカたん ”というキャラクター。


 僕が幼い頃、かあさんが気に入っているぬいぐるみだったから僕も大好きになった。一緒にお出かけしたり、寝たりもしていた。


 ギリギリ視界に入る左側の壁に、ピュアリンコのメンバーのふりふりなコスプレ衣装が、水色、緑、黄色、紫、赤とそれぞれの立ち位置順に掛けられているのが見えた。床には変身グッズが散りばめられていた。


「ここは、かあさんの好きなものを詰め込んだ部屋だよ」と言い聞かされていた部屋。


 そして今僕は、高いところに飾られているようだった。


 誰もいないのかな? 耳をすませてみた。

 辺りはシーンとしている。



 薄暗くなってきた中、視界に入るものをとりあえずしばらく眺めていると、ドアの音がバタンとした。


 玄関のドアが閉まる音。靴を脱ぐ音。鞄を置く音……。刻むリズムが懐かしくて心地よい。かあさんが帰ってきた音だ。


 僕の存在を知らせたいけれども手段がない。すぐそばにかあさんがいるのに。何も出来ないまま空に戻ってしまうのかと思っていたら、なんと、すぐにかあさんが部屋に入ってきた。


 カチッと小さな音がすると、部屋が明るくなった。

 

「すぐるたん、ただいま」


 僕の方を向きながら、僕の名前を呼んでいる。

 更に微笑んでいた。


 かあさんだ……。


 久しぶりに見たかあさんの顔。見た瞬間、心の奥でギュルンと金色に光る何かが回転し、その光は一気に心全体に広がっていった。


 多分、今僕が人間だったら涙で視界がぼやけていたと思う。かあさんを心配させてしまう言動をしてしまったと思う。ぬいぐるみだったからはっきりかあさんを見ることが出来たし、余計な言動をしなくてすんだ。今この姿でよかったのかもと思った。


 それよりも、もしかして、僕って分かったのか?


「今日も店が混んでてね……」

 

 かあさんはユイカたんの姿をした僕に仕事の話をしてきた。いつも僕に話してくれていたように。


 仕事の話を終え、僕を軽く抱きしめ頭を撫でた。


「今日も話を聞いてくれてありがとう」


 そう言うと、かあさんは立ち上がり部屋を出ていこうとした。


 まって! まだ一緒にいたい。


 その時、僕は落ちて奇跡的にユイカたんのステッキのボタンにぶつかった。


「ピュロロローン。ユイカ、変身しまーすっ!」


 大きな音が響いた。


 僕は音に驚いた。

 それよりも、動けた事に1番驚いていた。



 僕が空から落ちる時、先生が僕を見下ろしながら言っていた事を思い出した。


「3回だけ動けるからねー」と。


 意味が分からなかったけれど、こういうことか。確かに今僕は動こうとして動いた。


 ……今1回目? あと2回?


 かあさんは戻ってきて僕を抱き上げた。しばらく僕をぎゅっとしていた。


「大丈夫? どこか痛くない?」


 僕はその抱きしめられた感触で、幼い時の記憶を思い出した。


 小さい時、かあさんがしてくれる抱っこが温かくてふわふわしてて、大好きだったな。こんな風に毎日してくれたなぁ。


 ん?……なんだろう。


 僕を抱きしめているかあさんから、暗いところに沈んでいるような、寂しい気持ちがひしひしと伝わってきた。


 僕は、無意識にかあさんの腕をトントンと優しく叩いていた。本当は背中をトントンしたかったんだけど、手が届かなかった。今もあの時も。


 初めてかあさんをトントンしたのは、僕はご飯を食べるのが嫌になり、お皿をひっくり返した時。その時、かあさんは突然泣いた。


 見たことのないかあさんのその姿を見て、僕はハッとした。心がチクチクした。どうすれば良いのか、幼い僕なりに一生懸命考えたんだと思う。『かあさんとふたりきりだから、僕がどうにかするしかないんだ』と。


 思いついたのは、いつも僕が泣いた時にかあさんがしてくれているように優しくトントンする事だった。するとかあさんが泣きながら笑い、謝ってからお礼を言ってきた。僕が泣かせてしまったのに。


 時々かあさんは突然泣いたので、その度に僕はかあさんをトントンしてなだめた。


 かあさんは、後に泣いた理由を


「あの時は、全てのことがいっぱいいっぱいでよく泣いていたなぁ」


 と、弾んだ声で明るく話していた。


 

 トントンしていると、かあさんは驚いた顔をしながら、ぬいぐるみの姿をした僕の目をじっと見つめてきた。


「すぐるたんでしょ? だよね?」


 そう言うと、強く、苦しいくらいに抱きしめてきた。無言でずっと。


 抱きしめていた力を緩めると、くるりと僕を振り向かせた。

 

 僕、ユイカたんがいた場所が見える。

 

 さっき、ガラスに映った僕の姿を見ていた時に、ぼんやりとしか見えてなかったものがはっきりと見えた。

 

 僕が地上にいた頃に撮ってもらった写真が飾られていた。笑顔の写真、入学した時小学校前で撮った写真、家族写真……。


沢山のピンク色の折り紙で折られている花たちに写真は囲まれていた。台の上には、アイラブすぐると書かれたうちわやペンライトもあった。小物は全部ピンク色だった。


 おそらく写真達の横にユイカたんのぬいぐるみが置いてあったのだと思う。


 この台に飾られていたユイカたんの担当カラーは水色。でもこの台の上にあるのは全てかあさんが1番好きなピンク色。もしかして、僕のことをピンク担当にしてくれて、僕のことを推してくれているのかもと少しだけ思った。


「すぐるたんがいなくなってから、かあさんの時間は止まったままだよ」


 僕は年齢が2桁になったばかりの頃、空の世界に来た。


 僕は身体がなくて心だけが成長している状態で、何年経ったのかは分からない。あれから時間は結構進んでいると思う。


 もう一度、僕をくるりとさせると、かあさんは再び僕を抱きしめた。


「帰ってきてくれるわけ、ないよね……」


 か細い声で呟いていた。


 僕を元の場所に戻したかあさんは、正座をしながら、しばらくこっちを見つめていた。


 あと1回だけ動ける。何かしたい……。


 僕はユイカたんの決めポーズをした。


少しだけ顔を右に向けて少し顎をさげ、上目遣いのカメラ目線で口角上げて可愛く見えるように。右手を上にあげ肘を “ く ” の字に曲げ、ステッキを口元に。左手は脇の下45度開き、手の先ペンギン。足は遠慮がちな内股。


 ステッキは持っていなかったので持っている風に。実際、3頭身もないくらいのぬいぐるみの姿では細かい動きが上手く出来なかったため、手だけそれっぽいポーズになった。


 地上に僕がまだいた頃、何回も「一緒にやろうよ」と誘われこのようにポーズの説明をされていた。恥ずかしいから嫌だと断り続けていた。けれど、説明は完璧に覚えていたし、こっそり誰もいない場所でポーズを決め込んでいた。


「すぐるたんはやっぱり世界で1番尊い……」


 かあさんが呟いた。


“ 尊い ” その言葉は、かあさんにとって最上級の言葉だ。今ユイカたんではなく、僕の名前を呼んでくれた。


 

 僕は、僕の姿でユイカたんの完璧な決めポーズをかあさんと一緒にしたいと思った。


 メッセージが来なかったことなんて、もうどうでも良い。僕は、虹の色のような気持ちになっていた。


 

✩.*˚空の世界


 しばらくすると意識が再びなくなり、気がつくと空の世界に戻っていた。


 時間はまだ止まっている。


 これからどうするのかが決まった。そしてその気持ちはストンと心の中に入りこんできて、スイッチを押した。


「世界一尊い私の娘と孫よ、またふたり、逢えると良いね。私も……」


「えっ? 先生何か言いました?」


「ううん。なんでもない。さて、そろそろ時間を動かさないと。もう、走っても走らなくても……自由にしなさい」

 

 先生が魔法を唱えた。


「それーい! ケゴウヨンカジ!」


 再び時間は動き出した。いつものように。






 周りよりもスタートが遅れてしまったけれど、僕は全力で走り出した。



 後日、僕宛てに届いたメッセージを先生からもらった。


“ すぐるたん、ずっと一生神推し。世界で1番尊い。かあさんが代わりに空に行きたかった。1億年経ってもまた君に巡り逢いたい。あいしてる ”


 かあさんからだった。


「……これは?」


「すぐたんのお母さん、メッセージ送るタイミングに悲しみのあまり書けなくなって、すぐたんがお空に行ったことも受け入れられず、ずっと送れなかったらしいの。昨日、これがお空の郵便局に届いたのよ」


 かあさんらしい言葉で僕へのメッセージが書かれていた。しかも、ただの推しじゃなくて、なんと神推し。


 僕もかあさんと同じ気持ち。

 かあさん、あいしてる。





――かあさん、早くもう一度逢いたい。



 



 

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お空の世界~運動会編 立坂 雪花 @tachisakayukika

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